35話 妖精さんは食べ物ではありません
「…………………………」
「一回……うーん……うーん……」
来客用テーブルの上では妖精が腕立てをしていた。
眷属はその様子をしゃがみこんでジッと見ている。
部屋には二人きりだった。
主は妖精用の家具を作るため部屋におらず、ドラゴンは知らん。
妖精のあえぎ声だけが響く。
「うーん……うーん……!」
妖精はプルプル全身を震わせながらも、どうにか二回目の腕立てをがんばっていた。
いったん曲げたので、今は腕を伸ばそうとしているところだ。
「うーん……んー……! に、かい!」
妖精はついに腕立て二回目を終えた。
そうしてドサリとテーブルの上に倒れこんだ。
眷属はパチパチと拍手をする。
無表情のままだが温かい拍手だった。
「ありがとうです……好きです……」
「…………がんばった」
「がんばったです。妖精さんはこうして筋肉さんになっていくのです……」
「がんばった」
眷属が神妙にうなずく。
第三者がいれば、状況の異様さにおどろくことだろう。
それは人形サイズの生き物がしゃべったり動いたり、まして筋トレしていたりすることに対してではない。
もちろん愛想の欠片もないメイド服姿の少女がいることにでもない。
このメイド服の少女が、こんなにもしゃべることが、異様なのだった。
「……のみもの」
「妖精さんは花の蜜がほしいのです。でもその前にやらなければならないことがあるのです」
「……?」
「さがっていてほしいのです」
「……」
眷属はうなずき、しゃがんだ状態のまま一歩下がる。
妖精は体中をプルプルさせながら立ち上がり――
「はああああ……ぷろていん!」
「……?」
「運動直後の『ぷろていん』は欠かしてはならないのです。筋肉が超回復してシックスパック化が近付いていくのです」
「………………?」
「妖精さんはいずれシックスパックさんになるのです。妖精さん、筋肉さん、そしてシックスパックさんなのです」
「…………」
眷属はうなずいた。
どうでもいいからうなずいておいたという感じだった。
会話が切れたタイミングで、眷属が立ち上がる。
部屋から出て、しばらくして戻ってくる。
手にはティーセットを乗せたトレイを持っていた。
普段はミルクなどを入れる小さな容器の中には、琥珀色の粘性のあるものが入っている。
花の蜜だ。
「……たっぷり、のむといい」
「ありがとうです! 好きです!」
「…………おふろもある。かっぷ」
「眷属さん優しいのです!」
妖精は満面の笑みで言った。
眷属もちょっと微笑んだ。
妖精は抱えるようにして、ミルク差しの蜂蜜を飲む。
そして服のままティーカップのお風呂にダイブした。
「極楽なのです……」
妖精が息を漏らす。
眷属はまた妖精のいるテーブルの横にしゃがみこむ。
そして、人差し指を妖精へと伸ばした。
「なんなのです?」
「……さわりたい」
「妖精さんの腹筋に興味あるですか!?」
「……」
腹筋はないので、ないものに『興味があるのか』と言われて眷属はさぞ困ったことだろう。
しかし肯定的な雰囲気なのでいいと思ったのか、眷属は人差し指で妖精のつるつるお腹を軽くつついた。
「…………」
「くすぐったいのです」
「……まだやわらかい」
「これからギッチギチになるのです。ギッチギチなのです」
「…………ほどよいのがいい」
「なのです?」
「………………がんばって」
「がんばるのです!」
「きたい、してる」
眷属はかすかに微笑んだ。
そして。
口の端に垂れたよだれを、袖でぬぐった。
「おいしく、そだて」
「なのです?」
「がんばって」
「がんばるのです!」
妖精が拳を握りしめる。
眷属は嬉しそうに妖精の腹をつんつんした。
ちなみにあとで主に色々バレて『食べちゃダメ』と言われるのだが、それはまた別なお話。




