33話 やっぱり妖精に知能はいらない
「そういえば貴様は神殿でなにをしていたのかね?」
男性は語りかける。
相手は手の平サイズの女の子だ。
第三者視点で見れば、真っ暗な部屋で、お人形をテーブルに置いて、それに語りかけるちょっと危ない中年男性だった。
もちろん男性は危ない人ではない――というかヒトではない。
吸血鬼だ。
テーブルの上に座る、透明な四枚の羽根が生えた、トンガリ耳の、若干きわどい衣装を身につけている手の平サイズの少女は、妖精だ。
もっとも、世間では『吸血鬼』や『妖精』なんてお伽噺にしか出ないことになっている。
だからやっぱり、ここにヒトがいれば、おじさんは『ヒキコモリおじさん』から『危ないヒキコモリおじさん』に進化してしまうことだろう。
幸いにも、ここには男性と妖精しかいなかった。
聖女は先ほど帰り、眷属は菜園に水やりに行っているのだ。あとドラゴンはたぶん散歩。
「先ほど、『聖女ちゃんに捕まった』と言っていたが……」
「寝てたらつかまれたのです」
「なるほど」
どうやら動いている妖精を捕獲したわけではないらしい。
男性は胸を撫で下ろす――聖女は動いている妖精を目撃したうえで『人形です』と渡してきたわけではなかったのだ。
もしそうなら怖すぎる。
動いているものを捕まえておいてそれでも人形扱いしていたとしたら、狂気を感じる。
「聖女さんに捕まって妖精さんはなんにもできなかったのです……怖くて固まるばかりです」
「まあ、貴様の体の大きさではな……」
「はい……妖精さんは進化したエリート妖精さんのはずなのに、無力だったのです……前々から思っていたですけど、妖精さんには決定的に足りないもの一つがあるのです」
「……数多くあると思うが、貴様の意見をとりあえず聞こうか。やっぱり知能かな?」
「いいえ、筋肉なのです」
聞き間違いかな?
男性は聴覚を正常に戻すために一度耳に指を突っこんで鼓膜を破壊してから再生し、
「すまない、もう一度。貴様に足りないものとは?」
「筋肉!」
「いや、うーん……」
「足りてないのです!」
「まあたしかに足りてないのだけれどね? もっとこう、あると思うのだよ、色々」
「妖精さんはエリート妖精さんの名に恥じない妖精さんに生まれ変わるのです。趣味は筋トレ、好物はタンパク質、好きな言葉はシックスパックなのです!」
シックスパック――腹筋が六つに割れた状態の妖精とかイヤすぎる。
別につるつるお腹が好きとかそういうことではないのだけれども……
「その……『妖精』のイメージにそぐわないとは思わないのかね?」
「いめえじ?」
「クソッ! もう知能が限界か!」
「あわわ……待ってほしいのです。怒らないでほしいのです。今、頭に力を入れて賢くなるのです」
「普通、そんなことをしたって賢くはならない!」
「うーん……うーん……はい! 頭がいい! これが筋肉の力なのです!」
「絶対に違う。そして『頭がいい』という発言は頭がよくない」
「吸血鬼さん吸血鬼さん、なんのお話かわからないですけど、腕立て伏せしながら聞いていいです?」
「まあ、かまわないが……」
「うーん……一回……うーん……うーん……!」
できてねえ……
『二回』というカウントコールが永遠に来なさそうだった。
「妖精よ、なんかもう頼むからやめてくれ。貴様に筋肉はいらない」
「胸筋と三角筋が『まだいける』と言っているのです!」
「幻聴だ」
「じゃあ僧帽筋と上腕二頭筋が……」
「貴様はひょっとして知能リソースのほとんどを筋肉の名称暗記に費やしているのではないかね?」
「わかるー」
「脳味噌が筋肉になりかけているようだね」
「ノーミソは筋肉になるですか!? 夢のようです!」
男性は顔を覆うしかなかった。
バカも極まると哀愁しかない。
「妖精さんがんばってシックスパックになるのです」
「ちなみに貴様、シックスパックがなにかは知っているのだろうね?」
「将来の夢なのです! 妖精さんはそのうち妖精さんからクラスチェンジしてシックスパックになるのです!」
「貴様自身がシックスパックになるのか……」
「あ、そうなのです。筋トレにいいものがあるらしいのです」
「なにかね?」
「『ぷろていん』というらしいのです」
「ふむ。……聞いたことがあるような、ないような。それはどんなものなのかね?」
「筋トレ後に使うらしいのです。つまり使用タイミングは今なのです」
「……ああ、腕立てをしていたね。一回」
「忘れるところだったのです。ちょっとさがっててほしいのです」
「まあ、さがれと言うならさがるが……」
「いくですよー。はああああああ……ぷろていん!」
「……それは呪文的なものなのかね?」
「どうです? ぷろていんのお陰で筋肉がパンプアップしたですよ!」
「傍目には変わらないが、まあ、貴様が満足しているならばそれでいいのだろう……」
「今日も筋肉だったのです。妖精さんはこうしてちょっとずつ筋肉さんになっていくのです。今はすでに『ようせい』じゃなくて『きうせい』ぐらいにはなっているはずなのです」
次の段階は『きんせい』なのだろうか。
もう男性は微笑むしかできない。
「神はやはり残酷だな……」
なぜ妖精に知能なんか与えてしまったのか。
男性は世の無常を儚まずにはいられなかった。




