30話 吸血鬼はたまにめんどくさい
「眷属よ、そこに座りなさい」
部屋に入ったらそんなことを言われた。
意味はわからなかったが、主の言葉なので眷属は従う。
まだ朝早い時間帯だ。
聖女もまだ来ていない。
最近の主は聖女を待ち構えるために早起きするので、起こしに来たのだが――
今朝は起きていた。
そしてなぜか正装していた。
眷属は妙に落ち着かない様子でキョロキョロしながら示された席に着く。
そこは来客用のテーブルであり、普段座らないソファだった。
「……?」
「いやなに、色々考えた結果、今日は私が眷属をやろうと思ってね」
「…………………………?」
「気にすることはない。たんなる遊びのようなものだよ。だから、お前は今日、なにも気にせずに、主のように振る舞い、私を眷属のように扱いたまえ」
「……」
どうやらめんどうくさい遊びが始まっているようだった。
眷属はイヤな顔をする。
男性はなぜか口の端をちょっとだけあげて笑った。
「さあ、なにか命じたまえ」
「…………」
困るー。
いきなり言われても命令なんか出てくるわけがなかった。
第一、主の方も普段から命令をしているわけではない。
掃除とか料理とかは眷属が勝手にやっている部分が大きいのである――よくよく考えれば、たまの買い出しぐらいしか命令は受けていない。
「なにかないのかね? お腹が空いたりなどは?」
「……」
「そうか。まあ、お前もそこまで食事が必要な体ではないものな。……よし、お茶をいれようか。困った時はティータイムに限るものな」
「…………」
「ところで――普段、お前はどうやってお茶をいれているのかな?」
「………………」
眷属は直感した。
これは――逆に仕事が増えるヤツだ。
「……あるじ」
「おお、なにかな、命令かね?」
「ねてて」
「…………いやしかしだね、聖女ちゃんに言われたからというのもあるが、私も考えたのだよ。たしかにお前には色々と苦労をかけているなと。お前以外の眷属を解雇し、お前だけを残したのは、偶然にしか過ぎないが――ひょっとしたら野生に帰してやった方が幸せだったのかなとか取り返しのつかないことを次々考えてしまってね」
「……」
「そこ、めんどうそうな顔をしない。そういうわけで、今日はお前に優しくしたい気分なのだよ。ほら、なんというのかな、座りすぎた次の日は腰を労るみたいな感じだ」
どうしよう、このおじさん、引き下がる気配がない……
心底困る。
「さ、なにか願いなさい」
「…………ねて、ほしい、です」
「それ以外で」
「…………」
「お前は無口だな」
「………………じゃあ、だまってて、です」
「ふむ」
沈黙。
しかし長続きしない。
「なんだかソワソワしてしまって落ち着かないのだが、お前は普段、私が黙っている時どうしているのかね?」
「…………」
「ふーむ……まさかこの年齢になって眷属との距離感に戸惑うようになるとは。そういえば、私はお前を『個人』と思って接したことが一度もなかったものな……まあ、吸血鬼にとって眷属は手足の延長だし、当たり前と言えばそうなのだが……」
「……」
「時代の流れ、というものかね。聖女ちゃんやドラゴンが、お前と私を別々の個人として扱うもので、私もなんだか、お前の扱い方を迷ってしまうよ」
「……いままでので、いい、です」
「私もそう思うのだが――世間体があるのだ」
世間体を気にする吸血鬼がいるらしい。
だったら、まずはヒキコモリを治すところから始めるべきではないだろうか……
「よし、そうだな。お前を眷属と思うからいけないのだろう」
「…………」
「そこ、『なにかまた変なこと思いついたよ』みたいな顔をしない。変なことではないし、思いついたのは私ではない」
「……?」
「眷属よ、私を『おじいちゃん』と呼んでみなさい」
「……」
いいのかそれは。
主が悩むあまり超えてはいけない一線を超えようとしている感じだった。
通常なら絶句する場面だ。
普段から絶句している眷属は逆に言葉が出てくる。
「あるじ、それは、いけない」
「しかしだね、私は『祖父と孫』という関係をよく知らないが――『主と眷属』という関係よりは、なんというか、大事にできそうな気がするのだが」
「ねたほうがいい。つかれている」
「大丈夫だ。私の心配はいい。今日は、そういう日ではない。お前が私を気遣う日ではなく、私がお前を気遣う日なのだ」
「……」
「さあ、『おじいちゃん』と言いなさい。そして甘えてみなさい。孫のように」
孫のようにと言われてもイメージはさっぱり浮かばない。
眷属はため息をつく。
こうなった主はなかなかゆずらない。
吸血鬼はたまにすごくめんどくさい人なのだった。




