3話 実は眷属はしゃべりたくない
朝に目が覚めた――のだと、思う。
「……おや?」
男性はベッドで上体だけ起こし、首をかしげる。
周囲を見回す――が、見慣れた部屋だ。
そこそこの広さ。
床一面には深紅のじゅうたんが敷かれている。
クローゼットや来客用のローテーブル、ソファなども存在し、そのどれもが骨董価値のある代物だろう――ずいぶん昔から、ずっと使い続けているのだ。
今いるベッドは天蓋付きの豪奢なものだ。
実は、台座部分は大きな棺桶だったりする。
棺桶の内部には、故郷の土が入っている。
ずいぶん昔には棺桶の中で普通に眠っていたが――
起きたあと、体の土を払うのがめんどうくさい。
なので、棺桶の上にクッションを敷いて、その上で寝るようになった。
引きこもって眠る以外の娯楽がなくなると、次第にベッドとして完成されていったのだ。
そして今にいたる。
ベッドを作っておいてなんだが、男性は天蓋の意味がよくわかっていなかったりする――この天蓋というやつはなんのためについているのか、またつけたのか、遠い記憶のかなただ。
「……ふむ」
意味もなく顎をなでる。
それから男性はベッドのふちに腰かけ――
パチン。
指を鳴らした。
しばし間があってから、部屋のドアが開かれる。
入って来たのは、メイド服を着た、片目を黒髪で隠した少女――眷属だ。
男性は近付いてきて無表情で指示を待つ彼女の顔をまじまじとながめる。
手招きして、顎に手を添えて、首を動かしあらゆる角度から見て――
「……たしかに、幼い少女に見えるな」
「……?」
「お客さんからあらぬ誤解を受けるので、もう少し大人びた容姿にはなれないのかね?」
「…………」
眷属は首を横に振った。
できないらしい――できないと言えば、意思疎通もできない。
眷属とは『従う者』だ。
だから一方的にこちらから指示を飛ばすことはあっても、向こうからの言葉を聞く必要はなかった。
しかしこうして平和に暮らしてみると、会話もできない同居人というのはなかなか無気味なものだ。
それに、言葉もしゃべれない少女をそばに置いていることに対し、あの聖女はどう思うか。
「よし、今日はお前に言葉を教えよう」
「……?」
「そもそも――発声はできるのかね? 少し、なにかしゃべってみなさい」
「…………きーきー」
なんていうやる気のない声音なのだろう。
無表情であり、また、無感情でもあるのかもしれない――もしくはおじさんの介護に疲れ切っている可能性も考えられた。
「……お前はよく私に仕えているが、実は暇がほしいと思っているということはないか?」
「…………」
首を横に振った。
意思疎通はまったく不可能というわけでもないが、やはり、言葉がないと不便さはある。
しかしなんだ。
こう――今までまったく気にしてなかったが、意識すると、途端にどう扱っていいかわからない。
生誕六百年を超えて初めて眷属との距離感に戸惑うおじさんがいた。
かつて『暗闇より蠢くもの』や『血も凍る明るい月夜の影』とか呼ばれ怖れられた吸血鬼が、これではまるで思春期の娘を持つ父親のようではないか。
「よし、今日はお勉強をしよう。私の言葉が通じているということは、あとは、発声を覚えればいいというだけだな。私のまねをしてしゃべってみなさい」
「…………」
眷属は首をかしげた。
なんでそんなことをする必要があるかわからない――とでも言いたげだ。
真実はどうなのかわからないけれど。
かくして男性は眷属に言葉を教え始めた。
無表情な少女と、白髪の(若いころから白髪だが)男性がベッドで向かい合って「あー」とか「いー」とか言い合っている光景がしばし続く。
いつしか朝が終わり、昼が過ぎ、夜になった。
男性はうなずき、たずねる。
「よし、言葉は覚えたね?」
「……」
眷属はうなずいた。
男性は顎をなでて、
「では、なにか言ってみなさい。今の自分の気持ちなどを」
「…………」
「正直に話してみなさい」
「……しゃべるの、きらい、です。めんどい」
「…………そうか」
男性は苦笑した。
眷属は相変わらず無口で無表情だが――
しゃべるのが嫌い。
長い付き合いの末、男性はようやく眷属のことを一つだけ知った。
そんな、聖女の来ない日の、吸血鬼の日常。