28話 眷属はあのぐらいのサイズでいい
「おじさん、お腹空きませんか?」
しばらく会話をしたあとだった。
男性は唐突な話題転換に戸惑い、正面のソファに座る聖女をまじまじと見た。
「いきなり、なんだね?」
その問いかけには多少ならざるおどろきがあっただろう。
なにせ――男性は吸血鬼だ。
主食は血液だ。
もちろん、毎日ティータイムは欠かしていないし、最近呑むことも減ったが酒は好きだし、タバコだって吸う。
けれど彼の空腹を満たすのは、血液だけなのである。
そして目の前には聖女。
桃色髪の若い健康そうな少女だ。服装に露出はあまりないが、首筋は空いていて、白い肌がのぞいている。
そして吸血鬼のヒトに対する吸血は性行為に近い。
だから男性はおどろいたのだが――
「実は、おじさんが空腹だったら、おじさんを社会復帰させるための作戦があるんですよ」
聖女は笑顔で言う。
そういうことか、と男性はホッとした。
まあ、現代はこんなものだ。
かつて隆盛をほこった吸血鬼も、今の若い子にとっては『お伽噺の中の登場キャラクター』にしかすぎない。
悲しいことだが、それが時間の流れというものだろう。
男性はソファに深く座り直して――
「今日はただのおしゃべりかと油断していたが、今日もまた無駄なことをするのかね?」
「無駄じゃありません! おじさん、社会をあきらめないでください!」
「いや、むしろ私は社会の方にあきらめてもらいたいのだが……しかし、『空腹なら社会復帰させるための手段がある』? どういうことかね?」
「実は本日、こんなものを用意してきたんですよ」
と、聖女が背中から――背後に収納スペースは特にないので、きっと来てからずっとソファの背もたれと背中のあいだに仕込んでいたのだろう――数枚の紙を取り出す。
男性の中に求人広告などの嫌なイメージがよぎったが、どうやら本日はそういうのではないらしい。
カラー印刷された安っぽい光沢の紙には、たくさんの食べ物の絵が載っていた。
「デリバリーです!」
「……でりばりぃ?」
「はい! 今はケイタイ伝話から、好きな時間、好きな場所に食べ物をとどけてもらえるんですよ?」
「ケイタイ伝話?」
「はい! えーっとたしか、正式名称は『ケイ氏式タイター魔導技術使用伝達通話端末』、略して『ケイタイ伝話』と言います」
「タイターねえ……ひょっとしてジョン・タイターかな?」
「はい、そうだったと思います! おじさん、物知りですね?」
「……本当に彼なのか」
男性がまだヒキコモリでなかったころ、そんな人物と一時期ともに過ごした。
当時まだ筋肉信仰が根強かったヒトの中で、いち早く『魔法』という技術とその可能性に着目した人物である。
というか未来人とか言っていた気がする。
面白いのでしばらく一緒にいた。まあ、しばらくといっても、ほんの五、六年ぐらいだったような気はするが。
「変人か偉人として名前を遺しそうな男だったけれど、本当に名を遺すとは。いやはや」
「おじさんの中ではジョン・タイターと知り合いということになってるんですか?」
「まあ」
「……はい! なるほど!」
なにかひっかかるが、まあしょうがない。
普通のヒトに――吸血鬼をお伽噺だと思うようなヒトに『五百年前の人物と知り合いだ』と言ったところでこの程度の反応だろう。
「とにかくですね! おじさんを社会に慣らすために、まずはデリバリーを頼んで引きこもったまま外界の人と接してもらい、だんだん『あ、人って温かいな』『社会に出て働く姿って美しいな』と思っていただけたらと考えています!」
「君の要求はいつでもハードルが高いね」
「そうですか? でも働いてる人を見かけたら『お疲れ様です』とか言いたくなることありますよね? それは働く姿が美しいからで……」
「君は相変わらず光の者だね……」
思考がいちいちまばゆい。
意見だけで吸血鬼を溶かしそうな者など他にはいないだろう。
「それでおじさん、なにか食べたいものありますか? 今日はわたしのおごりですよ!」
「ほう。……まあ、お金はかかるか。昔で言うところの貴族の家に出入りしていた『御用聞き』がより一般市民に浸透したかたちなのだろうね」
「そうかもしれません! それで……」
「まずはメニューを見せてもらおうか」
「あ、そうですよね。すいません、みんなと集まってデリバリー頼む時は、だいたい『てきとうにピザ』とか言われるもので」
「……」
どうやらデリバリーも光属性の行いらしい。
たしかに貴族の家の御用聞きなどはハキハキした明るい者ばかりだった――愛想がよくなければ使われないのはいつの時代も同じなのだろう。
「ふむ、しかしたくさんあるね。迷ってしまうよ」
「もしお困りのようでしたら、おすすめを勝手にチョイスしますよ! 三人もいれば食べきれると思いま――あれ、眷属ちゃんは?」
「ああ、眷属は体調を崩していてね。本人は働きたそうなのだが、休めと命じたよ」
「働きたいなんて眷属ちゃんは偉いですね!」
他意はないのだろうが――
眷属ちゃん『は』というあたりにひっかかりを覚えずにはいられない六百歳無職だった。
「……では、注文は君に任せよう。少し喉が痛いらしい眷属にもあげられるものはなにかあるかね?」
「おじさん、この家に『ケイタイ伝話』は――ないですよね」
「まあ、ないね」
「そうですよね……あわよくばデリバリーアプリを登録しようと思ってたんですけど」
「なんだねデリバリーアプリとは」
「デリバリーはデリバリーです。アプリっていうのは『アプリコット社』の略で、そこがケイタイ伝話に登録できる便利な機能を開発した草分けの会社なので、ケイタイ伝話に登録できる便利機能はだいたいアプリって呼ばれてます!」
「……そうか」
男性はそれだけ言った。
いっぺんに新しい情報が来ると整理しきれないお年頃なのだ。
聖女は男性が見ている前で手のひら大の石版を背中側から取り出した。
どうやらそれが『ケイタイ伝話』らしい。いくらかの操作をすると、宙に石版とだいたい同じサイズの立体映像が浮かび上がる。
「注文完了です!」
「……『通話』は? 『ケイ氏式うんたらかんたら通話端末』ではないのかね?」
「アプリですから!」
「……そうか」
聖女との会話は男性に時代の流れを感じさせた。
ほどなくしてゴンゴンという音が響く。
城のドアノッカーが使われた音だ。
「ここまで来るの大変でしょうから、取りに行ってきますね! おじさんも行きましょう!」
「……いや、まあ……それほど大変な量なのかね?」
「いえ! うーん、配達員さんと接していただきたかったんですけど……まあ、いきなりはハードル高いですよね。わかりました! でもお食事をとりながらみなさんの仕事を感じてくださいね!」
聖女がサッと立ち上がり、部屋を出て行く。
男性はソファに座って待つと、ほどなく聖女は戻ってきた。
平べったい、大きめの箱を持っている。
大きな箱の上には、いくつかの小箱も存在した。
「デリバリーの定番、ピザです!」
「ふむ。ピザか。懐かしい。以前に外でそんなようなものを口にしたよ」
「まあご家庭で作るものでもありませんからね。あ、眷属ちゃんにはクリームパイを頼んであるので、よければ!」
「ありがたい。あいつは甘い物が好きでね。主食は果物だけれど、クリームも好んだはずだ」
「よかった! でも主食が果物って、成長期であろう眷属ちゃんにはちょっと栄養足りない気がして心配です。おじさんもよければ、デリバリーでもいいのでカロリーのあるもの食べさせてあげてくださいね?」
「気が向けば虫など食べるのではないか?」
「ええ……いや、えっと、虫料理自体をどうこうっていうわけではないんですけど……眷属ちゃんはそれ、喜んでます?」
「どうだろうね。無口だからな、あいつは」
「次に来る時になにか成長によさそうなもの持ってきますね!」
「成長によさそうなものか……」
眷属はもともとなんの変哲もないコウモリだった。
出会った当時と比べると、すでに質量にして十倍以上にはなっているのではなかろうか……
あれ以上成長されると、ちょっともうゆくゆくどのぐらいのサイズになるか、その成長率には恐怖さえ覚える。
「まあ、あいつはあのぐらいでちょうどいいのではなかろうか」
聖女からは「えー」という声があがった。
でも、男性は思う――眷属はあのぐらいのサイズでいい。




