24話 少年の家庭は意外と闇が深い
「おじさま、それじゃあ、また来るわ!」
そう言って少女が去って行く。
同胞だ――いや、同胞のフリをしているというか、同胞ごっこをしている子だった。
男性の中では『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』という名で通っている。
彼女が、吸血鬼を信じているのか、それとも吸血鬼はいないと思ったうえでロールプレイを楽しんでいるだけなのかはあいまいだ。
世の中にはあいまいなことが多い。
ほかにもこの部屋には――
ただのヒキコモリなのか吸血鬼なのかあいまいなおじさんがいたり――
孫なのか眷属なのかあいまいな少女がいたり――
ドラゴンなのか犬なのかあいまいなドラゴンがいたりする。
昼なのか夕方なのかあいまいな時間、男性が、ベッドに座って、生きているのか死んでいるのかあいまいな人生を過ごしていると――
ガチャリ。
ドアが開いた。
「あのー……また姉がお邪魔したようで……」
入ってきたのは、美少女なのか美少年なのかあいまいな存在だった。
吸血鬼の少年である。
最近の吸血鬼は『吸血鬼らしさ』が弱いようで、真祖とか呼ばれている男性からすれば、吸血鬼なのかヒトなのかあいまいな存在だ。
まあ、ヒトの世では生きやすいのだろう。
なにせ今、吸血鬼やドラゴンといった存在は、お伽噺の中にしかいないらしいのだから。
「あの、これ、お土産です。本日は『アップステアーズホール』っていうお酒です」
「……毎度毎度、お土産などいいのだがね」
いちおう受け取る。
つき返すのも失礼だろうという判断だ――こういう時、受け取るべきか、返すべきかもまたあいまいだ。
「ところで君は、お姉さんと一緒には来ないのかね?」
「いえ、そんな! とんでもない!」
「……しかし、姉と弟で別々に来るというのも、なんとなく手間ではないかね?」
「でも、姉が真祖さまに失礼を働いている姿なんて、いたたまれなくて見ていられないですよ! ただでさえ痛々しいのに……」
「君はお姉さんのこと嫌いなのかね?」
「いいえ、大好きですよ!」
美しい少年は、顔を赤らめて微笑んだ。
本当に好きらしい――しかし言葉にはやっぱりちょっとだけピリッとくるものがある。
「ところで、真祖さまにおかれましては、姉の設定に付き合ってくださっているようで、なんとお礼を申し上げていいやら……」
「ん……まあ、なんだ。私の立場からだと付き合う他にないというか……吸血鬼ぶる彼女の行為を否定しようがないというか……」
「ああ……その、本当に申し訳なく……」
「いや、いい。いいお姉さんだからな。ところで彼女は、『吸血鬼』を本当に信じているのかね?」
「いえその……信じてはいないと思います。憧れているだけで」
「あいまいな――いや、幻想と思いつつ憧れるのは、ヒトとして自然なのかもしれないね」
「えっと……はい!」
よくわかってないけどうなずいている感じだった。
男性は自分の言葉があんまり若者向けではないのかなと少し不安になる。
「あー……そうだ、『あいまい』で思い出したが、その、君には言いにくいことなのだが」
「なんでしょうか?」
「君のお姉さんが、私に魅了されているかどうか、あいまいな状態なのだ」
「ああ……」
「やはり、なんだ……『魅了』の効果を受けている兆候は見受けられるのかね?」
「それがちょっとわからないんですよね」
「しかし聞いたこともないような声で笑っていたのだろう? 普段と違う状態を見せるというのは、魅了されているヒトによくあることだ」
「いえその、聞いたこともない声というのは比喩表現といいますか……正確に申し上げるのであれば、三次元の存在に対して浮かべたこともない笑みを浮かべていたという感じといいましょうか……」
「……三次元の存在?」
「えーっと……姉はその、物語の登場人物に恋をするタイプでして」
「……うまくのみこめないのだが」
「紙面にのみある、創作された存在が好きなんです。つまり、二次元が好きなんです」
「……」
最近の若者は理解を超えてくる。
おじさんはかみ砕いて考える――ようするに、
「恋に恋をしている少女ということか」
「うわあ……さすが真祖さま、まるで姉が夢見る純情な乙女みたいに聞こえますよ」
「違うのかね」
「現実はもっとひどいものです。『フヘヘヘヘ、ザカリーたんまじハァハァ』とか一人でつぶやいているような存在なのです、姉は。……あ、『ザカリーたん』というのは一部お姉様方に人気のキャラクターらしく、猫耳の美少年で伝説の武器の擬人化で、本当は猫耳が生えていないのですが二次創作などではよく猫耳を生やされる存在のようです」
「……なにかよくわからんが、まあ、話を進めたまえ。こちらでわからないところは、勝手に補完した方がよさそうだ」
「はい。では――姉は現実の人間にあまり恋愛感情というか、それ以前の好意さえ向けないような人なのですが、真祖さまへ向ける反応は、二次元に向ける反応とほぼ一緒なのです」
「……」
「なので、普段と違うといえば違うし、同じといえば同じでして、魅了されているかどうかはよくわかりません。別に真祖さまと出会ってからそれまでためこんでいた本などを捨てたわけでもなし、二次元と同様にあなたさまへ好意を向けている感じといいますか……」
最近の若者はよくわからなくて怖い。
聞いててもおじさんにはさっぱりだが、なぜだろう、身がすくむような思いだ。
「……まあ、なんだ、その。私が聞くべきことは――つまり、君の姉は、普段と変わったところはあるのかね?」
「いえ。愛でる対象に真祖さまも加わった、という感じです。いたって正常だと思います」
「本当に正常なのかね? 君の話を聞くに、どうしても異常に思えるのだが……」
「まあ普段から若干異常なところがある姉ですので、異常もふくめて正常だと、家族から見て判断しています」
「……そうか」
「でもおかしいですね? 真祖さまの魅了が通じないだなんて。僕の魅了が通じないのは、僕が『魅了』という『吸血鬼的な力』を磨いていないからでしょうけど」
「それについては、聖女ちゃんがなんらかの鍵を握っているのかもしれない。まあ、なにもかもがあいまいだがね。そのうちどうにかして実験をしてみようと思っているよ」
「なるほど。聖女さまならなんでもありですね」
「……聖女ちゃんはそんな扱いなのかね?」
「はい。最近行われた『トゥーティーニーナー祭り』では、飛び交うトゥーティーニーナーの中を笑いながら一発も被弾せずに通り抜けたという伝説を作りました」
「…………なんだねその、トゥーティー……なんとかというのは?」
「ああ、この『トゥーティーニーナー』について、知らない人に説明する時、ちょっとした慣習というか、決まりみたいなものがあるんですよ」
「決まり?」
「『空を見上げて、地面を見下ろして、真っ直ぐに前を見て、お前さんがトゥーティーニーナーだと思ったものが、トゥーティーニーナーなのさ』」
「説明できていないように思えるのだが?」
「知らない人にはっきりなにか告げてしまうと、御利益がなくなると言われているんですよ。すいません。僕は姉にもらった勇気のお陰でたいていのことは怖くないですが、トゥーティーニーナーの怒りだけはまだ怖いんです」
「……」
「子供はみんな『悪い子はトゥーティーニーナーにさらわれちゃうよ』と言われて育ちますからね」
「祭りの際に飛び交うのか、そんなものが」
「はい。それはもうすごい勢いで飛び交います。死人も出たことがあるとか。でも街では普通に見かけるものなんですよ。真祖さまも一度街でごらんになってはいかがでしょう?」
「……いや。まあ、それより、君の姉に異常がなさそうならよかった」
「はい。ご心配おかけしました。姉によくしてくださって、いつもありがとうございます」
「いやなに、こちらも若さをわけてもらっているような心地だよ」
「僕らにはもう父がいないので、そのあたりも姉があなたを好む理由なのかもしれませんね」
「……君の家庭は色々重すぎないかね?」
「いえ。もう母も吹っ切れていますよ。今では元気に店を切り盛りしています」
「君の家はお店をやっているのかね?」
「宿屋です。僕も接客をやっていますよ。やっぱり吸血鬼の因子があると屋内でできる仕事を選びがちになりますね。日差しはそこそこ体にきついので……」
「そうなのか。それは、わざわざすまないね。忙しいだろうに」
「いえ! 真祖さまのもとにうかがう用事は、なによりも優先されますから! 母も真祖さまの大ファンで、昔は真祖さまと竜王さまの戦いを創作した小説を書いて、大ヒットしたらしいですよ」
「そうなのかね。一度読んでみたいものだ」
「よろしければ今度、お持ちします! あ、でも……」
「なんだね?」
「ラストで真祖さまと竜王さまが濃厚なキスをするシーンがあるので、読み手を選ぶかもしれません」
飼い主にじゃれている犬の図が思い浮かんだ。
男性の中で竜王のイメージがすっかり刷新されてしまっている――かつての竜王は、それはもう山のように巨大で……
そんな生物とキスシーン?
「……なにかヒトの世には、私では想像もできない文化があるようだね」
「姉や母の趣味は、僕にもよくわからないことが多いです。まあ、性別が違いますからね。僕はたまに女性もののドレスを着させられたりするものの、やっぱり男なので、時々あの二人についていけないこともあります」
「君の家庭はなにやら闇が深そうだね……」
「もちろんです。吸血鬼一家ですから」
少年は屈託なく笑った。
それだけで、今までいい話をしていたみたいな空気になるのだから、美少年の笑顔はなにものにも代えがたい価値があると言えるかもしれない。




