23話 ドラゴンはみんなに好かれたい
ある日の午後だった。
「おじさま、それじゃあ、また来るわ!」
そう言って少女が去って行く。
同胞だ――いや、同胞のフリをしているというか、同胞ごっこをしている子だった。
男性の中では『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』という名で通っている。
聖女とともに来ていた彼女は、今、聖女と二人、帰っていったところだった。
「……なにか、思い出すことがあった気がするのだが」
男性はベッドに腰かけ、二人が去って行ったドアを見つめる。
その足元に、チョコチョコ寄ってくる小さな生き物がいた。
ドラゴンだ。
どうやらコレがヒトには犬に見えるらしい。
こんな亀に蛇を突き刺して翼と角を生やしたような赤い生き物が犬に見えるというのは、男性からすればおどろきだった。
それとも外の世界では、こういう赤い、毛のない、ウロコで体表を覆った『犬』が存在するというのか?
それはもうモンスターじゃないのか?
男性は少しだけ外の世界が怖くなってくる。
「どうしたのだ宿敵よ」
ドラゴンはかわいらしく小首をかしげる。
もはやそのかわいい動作は熟達の域にあった――声は低いけれど。
「いや……なにか思い出すべきことがあった気がするのだが……」
「ふむ」
「……まいったな、思い出すことがあるのは覚えているのに、なにを思い出そうとしているかがまったく思い出せない」
「宿敵よ、それは――年齢のせいだ」
「……」
知ってる。
さしもの吸血鬼でも、脳機能はだんだん劣化していくらしい。
それとも、聖女の『吸血鬼的な力を視線だけで封じる能力(仮)』のせいで、再生が止まっている瞬間でもあるのか――
「……そうだ! 思い出したぞ!」
「そうか。よかったな」
「ああ。……それで、君の見解だと、『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』は、私に魅了されているということだったな?」
「うむ。あの娘が吸血鬼ではないと判明したのであろう? ならば、あの様子は魅了されているに違いあるまいよ」
「しかし――それはおかしいのだ」
「なぜだ?」
「聖女の見ている前では、どうやら私は、吸血鬼的な能力を発揮できないらしい」
「ふむ?」
「とはいえ、試したのが『翼を生やす』だけなので根拠にとぼしくはあるのだが、あの聖女は視線だけで我ら人外の人外らしい力を封じる能力を持っている可能性があるのだ」
「それで?」
「では、つねに聖女とともに私の部屋に来ている『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』が、私に魅了されるのはおかしくないかね?」
「ふむ。つまり、聖女の視線が『人外の力を封じる効果』を持つならば、その視線を受けつつ魅了が発動しているのはおかしいと、貴様は言うわけか」
「そうだ」
「そして、ひいては、あの娘がどう見ても即堕ちしているのは、貴様のアダルトな魅力にその原因の十割があり、能力のせいなどではないと言うわけか」
おじさんは『言い方があるんじゃないかな』と思った。
ドラゴンはふむふむとうなずき――
「では、それでよいではないか」
「どうでもよさそうだね、君……」
「他者がモテたとか、他者が好かれたとか、他者が美しい恋人を得たとか、そういう話ほどつまらんものはない」
「……いや、そのようにうわついた話にするつもりはなかったのだが……」
「貴様には言うまでもないかと思ったが――一つだけ、教えてやろう」
「なにかね?」
「我は、我以外の者が好かれることを好かんのだ」
「…………」
「世界中が我だけを好きであればいいと思っている」
間違いなく最低の発言なのだが……
なぜだろう、ここまで堂々言われると、すがすがしくさえあった。
「だいたいあの娘、我がどんな動作をしても我の方をチラリとも見んではないか。絶対魅了だと我は思っておるが、まあ、貴様がどう思うかは勝手だしな。いいんじゃないのそれで」
「待ってくれたまえよ。そういう話をしたいのではない。聖女ちゃんの能力について話をしたいのだ。彼女の持つ力が、もしも人外の能力を『見ただけで』封じるのであれば、それは大変なことではないかね?」
「別に。我のかわいさは損なわれんし」
「……」
「好きなだけ見るがよいという感じだ。むしろ世界中が我だけを見よと、我は最近、いつも思っておるぞ」
「……」
「というか貴様、ヒトを相手に戦ったりせんのであろう? 聖女が『見ただけで人外の能力を封じる力』を持っていたとして、なんの問題がある?」
びっくりするほど問題がなかった。
平和な世界ほど強力な異能が役立たない環境もない。
「……し、しかしだね……聖女ちゃんに私を吸血鬼と信じてもらうことが難しくなるのは、ゆゆしき問題だよ」
「それ重要?」
「じゅ、重要!? 重要だとも!」
「はーそうか。貴様はまだそんなことにこだわっておるのか。やれやれだ」
「君はこだわらないのかね? 犬呼ばわりをしたヒトを許さないと言っていたではないか」
「その情報は古い」
「……いや、そう昔のことでもないと思うのだがね?」
「ようするに、本質の問題なのだ。『吸血鬼と呼ばれること』よりも、『吸血鬼として在ること』の方が大事であろう? 我もそうだ。『ドラゴンと呼ばれること』よりも、『ドラゴンらしくあること』の方が大事なのだ」
「……『ドラゴンらしさ』とはなにかね?」
「『世界で一番かわいいこと』であろう?」
「私の知るドラゴンは絶滅したようだね……」
「我は時代への適合をすることで生き抜いてきた存在であるぞ。黄金が狙われると知れば黄金を捨て、酔わされ殺されると知れば酒を断った――まあ正直、黄金とかなんのために集めていたかわからんからな。当時夢中ではあったが、振り返れば意味のない情熱だった気もする」
「いや、しかし、それでも、捨ててはいけないものもあると思うのだが……」
「ふむ。たとえば――最近、我もキャラ付けのために語尾を付けようかと思っておるのだ。たとえば『ニャ』とかどうであろうな?」
「ドラゴンだろう、君は!?」
「いやいや。『おなかが空いたドラ~』よりも『おなかが空いたニャ~』の方がかわいいではないか」
「ドラゴン性が消え去るではないか!? 君はいいのか、それで!」
「かまわん。ドラゴンであるために――世界一かわいい生き物であるために不要であれば、我はドラゴンらしささえ捨てる」
「……」
ものすごく重い発言をされた気がするのだが、まったく心に響かない。
あと、人前でしゃべらないんだから、語尾とかどうでもいいんじゃないかなとおじさんは思った。
「宿敵よ、生きるというのは、そういうことだ」
ドラゴンは重い声で言う。
そうして、ピコピコと――絨毯の上であの造形の生き物が立てるにはあまりにも不自然な足音を立てながら、
「貴様も受け入れて時代に適合せよ」
言いたいことは以上だというように、部屋から出て行った。
ちなみに部屋のドアにはドラゴン専用の小さな出入り口がある――飛んでドアノブひねれよと思わなくもない。
部屋に残された男性は、閉じられたペット用のドアを見つめる。
そして――
「……」
なにを話そうとしたのか思い出そうとしたが――
ドラゴンとの会話のインパクトのせいで、本日の主題をまったく思い出せなかった。




