21話 吸血鬼は最近、なんだか涙もろい
「あのー……すいません、こちらに吸血鬼さんはいらっしゃいますでしょうか……?」
真っ暗な室内に気弱そうな声が響いた。
男性は目を覚ます。
今は、夜になったところだろうか。
最近は朝目覚めるのが早いせいで、すっかり夕方には眠る習慣がついてしまっていたのだ――それにしたって活動時間が短くなっている気もするが。
「誰だね?」
自分の城、しかも寝室まで勝手に踏みこまれたが、男性の応対は穏やかなものだ。
慣れているというのもあるが、基本はヒマなので話し相手が来るのは歓迎すべきことなのだった。
ともあれ――カーテンも閉めきられた、男性の自室。
ただのヒトであれば一寸先すら見えない暗闇の中――
「ああ、この部屋か……あなたが、姉の言っていた『おじさま』ですよね」
安堵したような、男女の区別をつけにくい声が、響く。
おそらく少年だろう――かすかに低くなりかけているような気配が、声にはあった。
「君が誰かはわからんが、ドアを開けたまま立っていないで、室内に入りたまえ。歳をとると話し相手は貴重なものだ。歓迎しよう――君の態度次第で、『歓迎』の内容は異なるがね」
「あ、は、はい。では、失礼します……」
おどおどと、部屋に入ってくる。
その少年は暗闇の中、キョロキョロとあたりを見回し――
「うわあ、本当に『吸血鬼』みたいな部屋ですね」
「私は本当に吸血鬼だが……君はひょっとして、聖女ちゃんの知り合いかね?」
「あ、その、たしかに聖女さまの知り合いでもあるんですが……えっと、とりあえず――お土産を持ってきました」
「ほう?」
少年は迷いない足取りで来客用テーブルセットを避け、男性のベッドの横に来る。
そして、持っていた袋から、なにかを取り出した。
「なんだね、これは?」
「吸血鬼の――一般に言われる『吸血鬼』の好物は、血と蒸留酒だと聞いておりましたので、近くの酒店で『オーガキラー』というお酒を買ってきました……母に頼んでですけど」
「ふむ。それで――君の用事はなんなのかね?」
「姉がお世話になったようなので、お礼を……あと、お詫びも」
「先ほども言っていたが、君の『姉』とは……」
「聖女さまに連れられてあなたのもとをおとずれた『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』です」
彼女が来たのは朝のことだ。
歳をとると記憶力は弱くなっていく一方だが、さすがに覚えている。
たしかに少年も、明るい金髪だ。
中性的な顔立ちに、真っ白い肌は、どことなく姉を思わせ――いや、あんまり似ていない。
どちらかといえばこの少年の方が美少女だ。
「ということは、君も吸血鬼なのかね?」
「……あーその……」
「どうしたのだね?」
「実は、僕の姉、吸血鬼じゃないんですよ」
「……なんだと」
「信用なさってくださったんですね……姉はその、なんていうか、ちょっと思いこみが強いというか、設定を大事にする方でして……」
「……では、君はヒトなのか? しかし……」
この暗闇で、初めておとずれたはずの場所を、障害物を避けながら進む――
ヒトの目でそこまで闇を見通せると、男性には思えなかった。
「僕は吸血鬼です」
少年は言った。
恥ずかしそうに、顔を赤らめて。
「姉のように、思いこみではなく、本物の、吸血鬼です。証明してごらんにいれますね」
そう言うと、目と口を閉じ、必死に力をこめるような顔になった。
しばし、「んー……!」といきむ声がして――
ポンッ。
軽い音を立てて、少年の背に、翼が生える。
「ハァ……ハァ……このように……ハァ……ハァ……がんばれば……ハァ……ハァ……翼のようなかたちを具現化することもできます……ハァ……ハァ……」
美しい少年がおじさんのベッドの横でハァハァしている。
どうやらだいぶ体力とか精神力とかを使うようだ。
「……ふむ。たしかに魔力の通った、君の翼だ。しかし――翼を出す程度でそれほど難儀するようでは、あまり健康な吸血鬼とは言えないな」
「伝説に聞くあなたのように強い吸血鬼は、今の時代、もうどこにもいませんよ」
「……伝説?」
「はい。この古城の伝説――吸血鬼のあいだで伝わる口伝のようなものですが、曰く『闇の帝王が棲んでいる』と、その活躍とともに、一部の者の中では信仰すらされています」
「そうなのか」
どうでもよさそうに言う。
内心はめちゃくちゃ気になったし、嬉しかったが、年長者の矜持があるのだった。
「どうやら伝説は本当だったようですね。僕の翼に通う魔力を見えているあたりで確信しました。僕らは――僕と母は、あなたから見れば『新しい世代の吸血鬼』ということになります」
「新しい世代の……」
「はい。僕らは、ヒトより少しだけ丈夫で、少しだけ長生きして、少しだけ力が強く、本人の努力次第ではほんの少しだけ『吸血鬼らしいこと』もできる――飛べない翼を生やすなど」
「ふむ」
「その代わりに、少しだけ日差しに弱く、少しだけ動物の血を飲み、なぜかは知らないけれど、水が怖い。――実害はないので、ヒトの世に溶け込めていますけれどね」
「……」
「母と僕は血がつながった吸血鬼の親子ですが、姉と父は違います。母は僕を連れ再婚し、姉は父の連れ子なのです」
初対面でカミングアウトされていい家庭事情ではないなとおじさんは思った。
しかし少年は、憂いを帯びた表情で続ける。
「……姉があんなのになったのは、僕のせいなんです」
「……『あんなの』」
「僕は昔から日差しと水が苦手で、泳げないことをバカにされたり、こもりがちなところを指摘されたりしていました。もちろんそれは、僕が吸血鬼だからなのですが――今の吸血鬼は弱点ばかりが際立って感じられましてね。しかも、正体をバラしてはいけない。こんな体に生まれたことや、吸血鬼という存在自体を恨みもしました」
「それは私が耳に入れていい話なのかね? もっと親しい人にしか明かしてはいけないような話に思うのだが」
「いえ、真祖さまに聞いていただきたいのです」
「『真祖』……?」
「あっ、すみません……えっと、強いころの吸血鬼――古い吸血鬼を、僕ら新しい吸血鬼は、そう呼ばせていただいています」
「……『古い』吸血鬼……『古い』……」
「話を続けても?」
「……まあ、続けたいなら、続けなさい」
「はい! では……吸血鬼というものを恨み、嫌なことばっかりだった僕を救ってくれたのが、姉だったんです」
「……ふむ」
「姉は、僕の特徴を、『吸血鬼みたいで格好いい』と言ってくれました。……『みたい』もなにも、本当に吸血鬼である僕は、当時、その言葉を全然ありがたくは思っていなかったのですが……姉は、ことあるごとに、僕を励まし、支えてくれたのです」
「……」
「ある日、あんまりにも吸血鬼吸血鬼言う姉に嫌気が差して、僕は泣いてしまったんです。そうしたら、姉は――『あなたが吸血鬼みたいなんだったら、わたくしも吸血鬼になるわ。そうしたらわたくしたちは、吸血鬼の姉と弟でしょう?』と言ってくれました」
「…………」
「僕は本当に嬉しかった。それ以来、僕は自分に自信を持つことができるようになって――あ、あの、真祖さま、どうされました?」
「いや……」
男性は目頭をおさえていた。
歳をとると涙もろくなるのだ。
「……いいお姉さんではないか」
「はい! ……ですがその、今朝、姉がこの古城に来たという話を聞きまして……しかもどうにも、真祖さまは未だに存在しているというようなことも言っていたんです」
「まあ、私はここにこうしているからねえ」
「姉が『ヤッベ、ヤッベ、マジヤッベ、マジイケ、イケおじ、ヤッベ』と聞いたこともない声で笑っているのを聞いて、『これはなにか失礼を働いたな』と思ったわけです」
「……」
「なにせ本物の吸血鬼の前で吸血鬼のフリをするとかありえませんからね。まあ、普段からあの感じなので普段からありえないという面も否定はできないんですけど……」
「君は姉のことを好きなのかね? それとも嫌いなのかね?」
「姉は恩人です。僕は姉のことが大好きですよ」
「……そうか」
「なので、もしなにか失礼をしていて、あなたさまのお怒りに触れてしまっていた場合、どうか姉を許していただこうと、こうしてお土産を持参したわけです」
「なるほど」
「どうぞ、姉の無礼をお許しください。あなたさまのお怒りを鎮め姉を救うためであれば、僕はなんでもする所存です」
少年はひざまずいた。
男性は安心させるように笑う。
「いいや。あれはあれで、なかなか楽しい一時だった――偽物だったのは残念だが、ヒトの世にはあのような者も生まれるようになっているのだと、知見が広がったような心地だ」
「……では」
「頭をあげなさい。私は怒っていない。むしろ、君のような吸血鬼の存在を知ることができて嬉しいぐらいだ」
「ありがとうございます……」
安堵からか、少年は目の端に涙を浮かべた。
よほどの覚悟で来たのだろう――言動に若干のトゲは感じられるものの、本当に姉想いの少年なのだ。
「君のような弟を持って、あの少女も幸せだろう」
「そうだとしたら嬉しい限りです。……僕は不出来な吸血鬼で、姉の願いを叶えてあげられていないので、少しだけでも、かつて姉が僕にくれた勇気に報いたいと思っているんですよ」
「願い?」
「昔のことですが――『ねえ、吸血鬼って翼を生やせるらしいわ。いつか二人で空を飛びましょうね』って、姉が」
「……」
「だから僕は努力して、ようやく最近、こんな弱々しい翼ですが、生やせるようになりました。いつかはばたけるようになったら、姉との約束を――どうされました真祖さま!?」
「いや……」
男性は目頭をおさえた。
吸血鬼は最近、なんだか涙もろい。




