20話 吸血鬼はやっぱり少しだけ寂しい
「おじさん朝――どうしたんですかおじさん!?」
聖女がおどろく。
それはそうだろうと男性は思う。むしろおどろいてくれなければやりがいがない。
すでにカーテンの開け放たれた部屋。
そこには男性とメイド服姿の少女と、子犬が――吸血鬼と眷属とドラゴンが、いるのだ。
しかもただいるだけではない。
全員、扉から入ってくる者を待ち受けるように、横一列に並んで立っていたのだ。
それだけでも『うおっなんだ!?』となるのに――
男性は正装していた。
ガウン――ゆったりした寝間着ではなく、シャツをまとい、タイを締め、ベストとスーツを着て、ピカピカの革靴を履いた格好である。
その右側にいる眷属は、なぜか彼女の身の丈の倍以上はある剣を、肩に担ぐようにして持っていた。
さらにドラゴンは右側に鍋、左側にボールを用意し、キラキラした目で聖女を見ている。
まぎれもなく全員が臨戦態勢だった。
吸血鬼はゆったりと歩み、入口を開けた状態で固まる聖女へ近付く。
「やあ、おはよう聖女ちゃん」
「お、おはようございます……おじさん、どうしたんですか、服なんか着て」
「君、私が普段全裸みたいな言い方はやめたまえ。眷属に怒られてから部屋でも服を着るようにしているのだ」
「いえその――正装なんかして、どうしたんですか? ……あっ、まさか――」
「外出はしない!」
「……そうですか」
「外出はしないが――そろそろ君が、お友達を連れてくるのではないかと思ってね。お出迎えするために、三時間ほど前からスタンバイしていたのだ」
「三時間、扉の方向を見て立ちっぱなしだったんですか!?」
「君たちが来てから慌てて準備するのは優雅ではないのでね」
ずっとキメ顔をしていたせいで表情筋が疲れている。
その点、ドラゴンはさすがだ。
三時間前から今まで、かわいい表情を崩そうともしない。プロ魂を感じる。
「でもおじさん、ちゃんとした格好をするとやっぱり素敵ですよ! どうです? せっかくですから、今日は外でお話ししませんか? 実は普段よく行くおしゃれな喫茶店がですね――」
「そこ、流れで私を外に出そうとしない」
「そんなつもりは……でも、おじいちゃんが格好よくって、眷属ちゃんがうらやましいです」
「……」
どうしてだろう。
眷属は孫ではないし、今の服装は聖女が連れてくる相手を威嚇するための、言わば『戦闘服』なのだが……
褒められると悪い気はしなかった。
「……」
眷属がいつの間にか近付いてきて、無言で男性のスネを蹴る。
男性は咳払いした。
「さて、我々の準備は万端だ――出してもらおうか、『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』を!」
男性が高らかに述べた瞬間だった。
聖女が扉の向こうに引きずり込まれる。
あんまりにも急だったもので、一同みんなビクッとした。
ほんの少しの静寂。
そのあと、聖女は戻ってきて――
「え、えっと、その前に……おじさんは本当に吸血鬼なんですよね?」
「そうだが? ようやく信じる気になったのかね?」
「わかりました。いえその、ちょっと、友達が聞いてほしいって。……ほら、言った通りでしょ? 大丈夫、大丈夫だから。仲よくできるって」
扉の外に聖女が語りかける。
すると――
――カツン、カツン。
ヒールの音を響かせつつ、部屋に入ってくる少女がいた。
黒い。
その少女の服装は、黒一色だった。
髪は明るい金髪だというのに、黒さばかりが目につく。
それはきっと、装飾品のせいだろう。
フリルとかリボンとか、あと花を模したコサージュとか、とにかくフリフリヒラヒラゴテゴテ、全身真っ黒喪中系コーディネートなのだ。
少女は男性の目の前まで来ると、大きな瞳で男性を見上げた。
そして――
「千年ぶりね!」
初対面です。
男性はあっけにとられる――千年はさすがに生きていない。だから『一度会ったが忘れている』という可能性もありえないはずだが……
吸血鬼だ。
長く生きるとわかるが、もうなんか、五百年以上はだいだい全部千年でいい気もしてくる――ようするに時間を細かくカウントする必要性をあんまり感じなくなっていくのだった。
きっと相手はそのへん、大ざっぱなのだろう。
あるいは『竜の末裔』とかいう話だったから、初代末裔からカウントしているのかもしれない――そう解釈して、話を進めることにした。
「私は君ほどに記憶力がよくないが――そうだね。数百年前、どこかで出会ったことはあるかもしれない」
「そう、数百年前だった気もするわ……」
少女は物憂げに顔を伏せる。
そして、意味ありげに笑った。
「とにかく長い時間を超えての再会なのよ。ええ、わたくしたちは、過去に一度会っているわ。それは前世かもしれないし、もっとはるかに昔かもしれない……」
「ふむ……あるいは、『親』の記憶かもしれん。我ら吸血鬼は、自身を吸血鬼にした者の記憶を見ることもあるという。ならば、君の『親』が私と会った可能性もありうるな」
「そうね! 自身を吸血鬼にした者の記憶を見ることもある――その通りだわ! その設定、メモしてもかまわなくて?」
「……かまわないが、なぜだね?」
「え? ……ええっと……わたくしは、長く生きすぎたせいか、記憶が長くもたないの」
「……なるほど。たしかに」
昨日の晩ご飯とかがたまに思い出せない瞬間がある。
そして気付くのだ――食べてなかったな、と。
「…………ああああヤバイ楽しいなにこの楽園」
「どうしたのだね?」
「なんでもないわ! ふふ、でも――吸血鬼を名乗る男性がいると聞いても、正直気が進まなかったけれど、来てよかったわ。まさかこんなところに、こんなに素敵な同胞がいるだなんて!」
「それにしても、君は外で過ごしているのだね。どうだい、最近のヒトの社会は? 我らがヒトにまじって過ごすのは、苦労も多いように思うのだが」
「ええ。苦労は多いわ。もうほんと、話の合う人いないっていうか……」
「それはいないだろう。なにせもう我らは絶滅危惧種らしいのだから」
「ひと昔前は結構いた気がするのだけれどね」
「『ひと昔』か」
数百年前だから、まあたしかに、『ひと昔』だろう。
聖女と話しているとどうにも感覚がヒト側に矯正されていくが――吸血鬼の時間感覚は本来そんな感じだ。
「それにしても――素敵なおじさまね」
「君は私より年上か、同い年ぐらいではないのかね?」
「……あっ、そうね。そうだわ! そうよ! でも、アナタ、見た目がおじさまじゃなくて? だからこう、おじさまでいいかしら?」
「そうだね。君は若々しい――まるで十代の少女のようだ。うらやましいよ」
「まあ十代の少女ですので……」
「なにかね?」
「いえ! やはり、そうね、少女の生き血のお陰かしら! 毎日欠かさず若い少女の生き血の風呂につかっているわ!」
「……現代社会はだいぶ我らにとって生き難い世の中に思えるが、そんなことをしていてその……大丈夫なのかね?」
男性は、同胞の背後にいる聖女を見た。
今の話は聞こえていたはずだが、聖女はニコニコしたままだ。
『若い少女の生き血風呂』とかいう娯楽は、ヒトとして看過できないと思うのだが……
「大丈夫よ。わたくしは、力ある吸血鬼ですもの」
「なるほど。聖女ちゃんも見逃さざるを得ないか――いや、君と聖女ちゃんとが友人関係にあると聞いて、違和感を抱いたりもしたが……聖女ちゃんさえ見逃さざるを得ない力の持ち主ということか。納得いったよ」
「ええ、そうね。そういう感じなのだわ。聖女といえどわたくしには逆らえない。うーんと、わたくしは……そう! ヒトを滅ぼさない代わりに、生贄を捧げられる立場なの!」
「なるほど……うまく立場を確立したものだ。いや、素直に尊敬しよう。妖精などと違ってヒトに取り入らなかった我らは、そのせいで滅んだのやもと思ったが――君は吸血鬼として美しく生きつつも、ヒトの世に溶け込んでいるのだね」
「アナタもどうかしら? わたくしの口利きがあれば、ヒトの世で生きることも難しくはないわ。この地味にわたくしの家から遠くて通いにくい古城ではなく、もっとわたくしの家の近くとかに引っ越して、二日に一度ぐらいのペースでこういうお話をしませんこと?」
「いいや。私はこの城にいるよ。……君も吸血鬼ならわかるだろう。我らは意外と住まう場所へのこだわりが多い。土が変わると眠れないなど、よくある」
「そうね! わかるわ!」
「だが、たまに話ができると嬉しいのは、私も同じだ。……いや、最近はね、同じ話題を共有できる仲間も減った。若いころは好戦的で、私に従わない者があればすぐさま倒し、ささいなきっかけでケンカから殺し合いに発展したりもしたが――今は同胞の貴重さがわかるよ」
「そうね! 全力で同意するわ!」
「うむ。我ら吸血鬼、ともにこの世を孤高に生きていこう」
「ええ! また会いましょう、素敵なおじさま!」
「ではまたな。『お嬢さん』」
「くうううううううううう……イケボ!」
「なんだね?」
「なんでもないわ!」
同胞は顔を真っ赤にして走り去って行った。
聖女は慌てた様子で「あ、ちょっ……お、おじさん、ではまた!」と同胞のあとを追う。
残された男性とドラゴンと眷属は、しばし呆然としたあと――
「宿敵よ、なにかあの娘、貴様に魅了されておらなんだか?」
ドラゴンが言う。
しかし、男性は首を横に振った。
「そんなわけがあるまい。吸血鬼の魅了は、吸血鬼には効果が薄い――まして私より上位の吸血鬼ともなれば、私の魅了が効く理由もあるまい」
「しかしあのメスは絶対堕ちておったぞ。あんな即堕ち、魔法以外にあるまい。巨大な剣を持った眷属の方も、これほどかわいい我の方も、一瞥もせんかったぞ」
「久方ぶりに同胞と会えて興奮していたのだろう。私も少々、興奮したよ。まあ――精神の年齢は肉体の年齢に強く影響される。彼女が浮ついて見えたのは、少女のような見た目をずっと維持しているからであろうな」
「つまり――今来た『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』は……」
「本物であろう。偽物ならば、ここまで話が合うはずもない――いや、戦うという展開にならずにすんでよかった。彼女が私より上位ならば……そんな者がいるなどと今まで知らなかったが……私と彼女の戦いは、世界に大きな影響を与えるかもしれない」
「ふむ。そんなことをすればヒトどもの介入も避けられんであろうな」
「そうだね。私は――静かにひっそりここで生きられればいいのだから、無用な争いは避けられるならば避けたいところだよ」
男性は薄く笑う。
友達はいらないが――やっぱり同胞との会話は楽しいものだと思った。




