17話 そうしてドラゴンは子犬を超えていく
「……そうだった。我はドラゴンであって、犬ではなかったのだ」
延々と――『特に意味はないけれどなにかの境地にいたるまで木材にカンナがけを続ける』という遊びを終えたあと、ドラゴンはそんなつぶやきをした。
もはやその目に迷いはない。
四足歩行で、尻尾もあるが――
毛はなく、ウロコがあり、頭には角があり、背中には翼があり、目は爬虫類のようで、首はヘビを思わせる長さなのだ。
どこからどう見ても、立派なドラゴンである――サイズ以外。
お陰で部屋はおがくずだらけになってしまったが、男性は満足気に笑う。
そして、おがくずのベッドの上で「どらごーん!」とか叫びつつゴロンゴロンするドラゴンに向けて言う。
「ようやく思い出してくれたか。そうだ、君は犬ではなく、私は社会復帰が必要な引きこもり中年男性ではない――君はドラゴンで、私は吸血鬼なのだ」
「うむ……わかっていた。わかっていたはずなのに、どこかで我は『犬の方が生きるの楽だな』と思っていた……そうではないのだな。誇りを思い出せた。大いなる天空の脅威、ドラゴンとしての誇りを!」
白髪の男性と、子犬サイズの爬虫類は、がっしりと手を握り合う。
まあドラゴンの手は手というか前足だし、握れる構造にはなっていないので、空を飛んだドラゴンの前足を男性が一方的に握るというちょっとかわいい図になっているが――
「おのれ我を犬扱いした人類め……許さん……許さんぞ……!」
「その意気だ宿敵よ。我ら闇の者、ともに光を打ち果たさん!」
「手始めになにをしてくれようか……どのようにヒトを闇へ堕とそうか……その前にこの体でカンナがけは疲れた。腹ごしらえをせねば……おい眷属! 我に『カリカリ』を持て!」
『カリカリ』とは、聖女が持ってきた『わんちゃんのご飯』である。
ドラゴンに与えたところ「うっまあ! これうっまあ!」と大絶賛で、今では彼の主食になっていた。
ちなみにパッケージには猫の絵が描いてあるので、きっとドッグフードでさえない。
眷属――部屋の端っこにいる、黒髪で片目を隠したメイド服姿の少女は、ドラゴンを一瞥する。
そして――
「……チッ」
舌打ちをして、視線を元に戻した。
ドラゴンが愕然とする。
その様子を見ていた男性は苦笑し――
眷属へ、言った。
「眷属、意地悪しないで、宿敵のご飯を持ってきてくれないかね?」
「……」
眷属はため息をつきながら、部屋を出て行った。
嫌気がさして退出した――そんな予感も一瞬場を支配したが、眷属は平皿に『カリカリ』を盛りつけて戻って来た。
ドラゴンは言う。
「なんで我の命令に舌打ちしたのかなあ!?」
「…………」
眷属は冷たい目でドラゴンを見下ろし、彼の目の前に皿を置いた。
ドラゴンは吸血鬼の背後に隠れて「我がなにをしたというのだ……」と震えていた。
「まあまあ竜王よ。眷属の非礼は詫びよう。アレはなかなか気難しい生き物でね。……それよりも、どのように人類を闇に堕とすか、その方法を考えようではないか」
「クックック……すでに人類に勝利する方法など、考えておるわ」
「ほう? どのようにだね?」
「我は目覚めてより今まで『犬』という立場に甘んじてきた――それは紛れもなく屈辱であるが、しかしお陰でわかったことがあるのだ」
「ふむ」
「我、実は――ものすごくかわいいのではないか?」
「……………………まあ、続けて」
「よく聞け。いいか、我らドラゴンは滅んだ。それはなぜかと考えた。そして行き当たった。つまり――かわいくなかったからだ」
「……」
「どれほど黄金を蓄えていようとも! どれほど酒に酔っていようとも! かわいい生き物ならば殺されることはなかったのだ!」
「……」
「愛らしい生き物が目を潤ませて見上げてきたら、その時ヒトは、剣を振り下ろすことができるのか!? ――否である! ヒトは欲望のために脅威に立ち向かう! 愛のために恐怖に立ち向かう! だが、欲望だろうが愛だろうが、それはかわいい生き物を殺す理由にはならん!」
「……ふむ、まあ、なんだ、その、言っていることはわからなくもない」
「よいか宿敵よ。我は――子犬を超える」
「……………………」
「我らが力で押さえつけても、ヒトは知恵ではねのける。重要なのは『競って勝つこと』ではなく『競う気を無くさせること』なのだ! そしてヒトが『敵』と思わないもの、それは『かわいいもの』なのである! ゆえに我はかわいくなる! 最カワドラゴンを目指すぞ!」
ドラゴン、咆える。
男性はその声を聞いて思った――なにか、なにかが、違う気がする。でも、合っている気もする。
……まあ、試しもしないうちから『ダメだ』と断じることもないだろう。
可能性は実際に試すまでは無限大なのだから。
「……君はそういう方向でやりたまえ。私は私の方向でやる」
「ふむ。たしかに、貴様に『かわいくなれ』と言っても無理であろうな。なにせヒトガタの時点で資格がない。あと、貴様どう見てもおっさんだものな」
「亀と蛇を足して翼と角を生やして赤く塗ったような生物に言われたくはないが……あと君も中身はいい加減おじさんだろう?」
「これから我は、中身が少女であるという設定になる」
渋く雄々しい声で宣言した。
声で全部台無しな気がした。
「まずはそうだな……『かわいい動作』というものを研究せねばなるまい」
「……つらい道のりだろうが、がんばりたまえ」
「宿敵よ、貴様は我がなぜ他のドラゴンが滅ぶ中、今まで生き残っていたか知らんようだな」
「どんな理由なのだね?」
「我には他のドラゴンにない『学習能力』があるのだ。百年も研究を続ければこの世で一番かわいい生き物になることなど造作もないわ」
「ドラゴンは自分以外のドラゴンを容赦なく見下していくのだね……」
「吸血鬼とてそうであろう。だから我らには同種でも友人がおらんのだ」
「かまわんさ。友などいらぬ。私にはただ、敵と眷属があるのみ」
「ほう……強くなったではないか」
「ああ。一つ高みにのぼった気持ちだ。……今となっては、聖女ちゃんが来るたびにちょっとはしゃいでいた自分が恥ずかしい。これからは敵として盛大にもてなそうと思う」
「我はかわいさを究めるが――貴様はなにをもって、人類に対抗するのだ?」
「私の最終目標は『わかりましたおじさん。人は一人でも生きていけます。わたしが間違っていました』と聖女ちゃんに言わせることだ」
「ふむ」
「なので、一人で楽しそうに生きている姿を彼女に見せていこうと思う」
「………………まあ、貴様は貴様のやり方でやるがよい」
「そうだな。君はなんだかんだ目立ちたがり屋の寂しがり屋だからな。私のように孤高たるのは難しかろう」
「そういうことでよい」
「最大二人でできる楽しい遊びを探さねばなるまい。眷属と二人楽しそうに遊んでいる姿を見れば、聖女ちゃんも私の社会復帰をあきらめるだろう」
「……眷属と二人で遊んでいたら、一人で楽しそうに生きてはおらんではないか」
「眷属だぞ?」
「…………貴様、自分で気付いておらんのかわからんが、なにかおかしなことを言っておるぞ。うまく表現できんが」
「その感想は、私も君に対し抱いている――まあ、とりあえずやってみてから、結果を待とう」
「うむ、それがよかろう。では、よき闘争を」
「ああ。よき闘争を」
おじさん二人は拳を合わせた。
その横で眷属は『時代は変わった』と思った。