15話 やっぱり吸血鬼は闇の者だった
「おじさん、朝ですよ!」
聖女の元気な声が響き渡る。
室内だ――すでにカーテンの開けられたその場所には、朝日に照らされた様々な家具があった。
どれもゴシック&アンティークな雰囲気で、部屋の主の趣味がうかがえる。
部屋の中には、すでに二人の人物がいた。
一人は眷属と呼ばれるメイド服姿の少女だ。
部屋の片隅に、まるでそういう置物であるかのように、無表情、無言で立っていた。
もう一人は――年老いた男性だ。
伸びた白髪に無精ヒゲ、着ているものはやたらとダンディな、ガウンめいたパジャマである。
男性は来客用のソファに座っていた。
目の前のローテーブルには、木製のチェス盤が置いてある。
あとチェス盤の横には犬がいた。
赤い、ウロコに覆われた、翼があったり角があったりする、爬虫類みたいな顔をした犬である――男性の知識ではこの生物を『ドラゴン』と呼ぶ。
だが、もう『ドラゴン』は『ない』のだ。
吸血鬼もその眷属もまた、お伽噺の向こう側の生物に成りはててしまった。
でもたしかに、男性だって『私は神です』とか名乗る者と接したら、相手の頭を疑う。
きっと今時の子にとって吸血鬼やドラゴンなんて、そういう感じなのだろう――時間の流れというのは残酷なものだ。
ともあれ――
男性はかすかに口元を笑ませ、低い声で言う。
「やあ、聖女ちゃん、いらっしゃい」
「最近おじさんが起きていて嬉しいです! さあ今日も元気に社会復帰を目指しましょう!」
「まあまあ。今日は――おじさんの方から話題を提供しようと思ってね」
「まあ! おじさんがちょっとだけ行動的になっていて嬉しい限りです!」
「聖女ちゃんはチェスはできるかね?」
「駒の動かし方を知ってるぐらいですかね……」
聖女が申し訳なさそうな顔をする。
男性は「そうか」とうなずきつつ安堵した。
最悪『チェス? なんですかそれ?』とか言われる可能性もあったのだ。
その場合、ルールなどを説明するつもりだったが――何百年か前の遊びがまだあるというのは地味にすごいことだ。
「どうだね、いつも君からの提案で、君の申し出ることをやっている。今日は、私に付き合ってチェスをしてみないかな?」
「なるほど! わかりました! 未熟ですが、お相手つとめさせていただきます!」
聖女は男性の正面に腰かけた。
チェス盤と赤い犬の乗ったローテーブルを挟み、男性と聖女が向かい合う。
「……あれ? おじさん、この駒手作りですか?」
「ほう、わかるかね」
「はい! おじさん器用ですよね? すごいと思います!」
「そうかそうか。まあ、大したものではないが、それなりにうまくできたとは自分でも思っていたのだよ」
男性は嬉しそうに言う。
遠くの方で眷属のため息が聞こえた。
男性は気にしないことにして――
駒を一つ、無作為に手にした。
「先手はゆずろう。あとは、希望があればいくつか駒を落としてもいいが」
「おじさん、チェスお得意なんですか?」
「そこそこだよ。ほんの五十年程度しかやっていない」
「すごいやってるじゃないですか!?」
人の基準だとたしかにそうだった。
たぶん人の尺度に合わせて言えば『二年ぐらいやってた』になるのだろうか――男性は人の感覚をうまくつかめないので、よくわからない。
「チェス歴五十年が相手……あれ? 五十年? おじさん五十歳を超えてるんですか?」
「六百年と少し生きているよ」
「へえ、お若く見えますね」
聖女は特につっこまなかった。
男性もそれ以上深く触れずに話を進める。
「そうだ、勝者にはなにかご褒美があった方がいいかね?」
「もー! おじさんの方が強そうなのに!」
「ご褒美と言っても、そこまで深刻なものは賭けないよ。そうだな――私が勝ったら、また今度別なゲームに付き合ってもらおう。これでどうだね?」
「なるほど、そのぐらいなら大歓迎ですよ。わたしがもし勝っても、お付き合いします! わたし、おじさんと仲良くなりたいですから!」
「そうなのかね?」
「はい! 社会復帰をうながす立場として、信頼していただくのはとっても大事ですから。それに、わたしとのお友達関係で、おじさんが『友達っていいな』って思ってくれれば、もっと友達の輪を広げられる場所に誘えますし!」
なんかこう、聖女とかの肩書き以上に『光の者』という感じだ。
コミュニティを広げることを、『いいこと』と信じて疑っていない様子である。
おじさんは闇の者なので、あんまり人間関係を広げることにポジティブなイメージがない――そもそも人間でさえないのに、どうして人間関係を広げられようか。
「あ、そうだ――おじさん、『ご褒美』ですけど、わたしが勝ったら、わたしのお友達を連れてきていいですか?」
「…………………………悪いが手加減はできそうもないね」
「ええっ!? そんなに嫌なんですか!?」
「……君の『友達』というと、社交性が高そうではないか」
「そ、それはもちろん、おじさんと仲良くなれそうな子を連れてきますけど……」
「いいかい聖女ちゃん、世の中にはね、『みんなと仲良くできる人とは仲良くできない人』というのもいるのだよ」
「でも、みんなと仲良くできる人なんですから、おじさんとも仲良くできますよ!」
「やはり聖女とは相容れなかったようだな……」
「え、えええ!? なにが!? なにがいけないんですか!?」
「しょせんは棲む世界が違ったということか」
強すぎる光は影をより色濃くしてしまう。
今まさにそんな感じだった。
テーブルの上でドラゴンも聖女の発言におののいている。
やはり彼も闇の者だ。『みんななかよし』とかそういう発言には反射的に身構えてしまうのだろう。
「やはり先行後攻はコイントスで決めよう」
男性は本気になった。
リア充とぼっち、それぞれの主義をかけた戦いが、今、始まる――