131話 吸血鬼は楽しんでいる
「おじさんは多才ですよね……それは、長い時間をかけて色々なことを熱心に学んだからでしょうか?」
男性は吸血鬼である。
その寿命はヒトと比較にならないほど長く、また、限界がいつ来るのかもわからない。
本来ならば老いることもないはずの生命。
……なのだが、男性は中年、あるいは壮年のニンゲンのような容姿をしていた。
とはいえ、そこにはただのニンゲンには出せない妖しい魅力がある。
赤い瞳がそうさせるのか?
真っ白い髪と肌が、色香を演出するのか?
もしもこの場に妖精がいたならば、こう答えるだろう。
――吸血鬼さんは筋肉です、と。
男性は現在、マッチョボディを作業用の漆黒ツナギに包んで、ぬいぐるみ作製の最中であった。
来客用ソファに座り、来客用テーブルの上にソーイングセットを広げている。
そんな様子を正面の席で、聖女が見ていた。
「……わたしの寿命はおじさんよりだいぶ短いけど、わたしも、なにか『これ』と言えるような、他者に誇れる特技の一つも作れたらいいなあ……」
「ふむ」
男性は片眉を上げる。
珍しいな、と思ったのだ。
聖女はいつでもポジティブで、マイナスのことは一切言わない。
なにごとも明るく前向きに解釈し、元気いっぱいに活動する。
だというのに、今日はため息をついて、憂鬱な顔をしているのだ。
桃色髪にはどことなくツヤがなく、桃色の瞳はなんとなく覇気がない。
男性は二枚の布を縫い合わせる作業を止める。
そして、
「聖女ちゃん、なにかあったのかね?」
「……『なにか』と言うほどのことはないんですけど……ただ、おじさんに、ぬいぐるみ作製をお願いしたじゃないですか」
「今、まさに、それをやっているね」
「おじさん以上にぬいぐるみ作りに熟達していそうな人が見当たらなかったから、お願いしたわけなんですけど……『じゃあ、自分はなにができるのか?』って考えて、なんにもできないなあとか、思っちゃって」
「なにもできない? 君が?」
「……『特技』と人に胸を張って言えることは、なにも。『全然できない』っていうほどのことはないんですけど、突出してできることもないっていうか……」
「ふむ」
「やっぱり努力と熱意が足りないのかなって……新しいことを始めて習得する、気概みたいなものが足りてないんじゃないかなあって……」
男性は、聖女のスケジュールを詳しくは知らないが……
聞きかじった彼女の『一日の行動』を振り返るだけでも、とても『趣味』に手を出す時間的余裕があるとは思えなかった。
そんな激務を毎日こなす。それも、精力的に。
その立派な精神性に男性は深く敬意を覚えるし、自分は絶対そんな立場になりたくない、ひきこもっていたい、と聖女を見るたび改めて誓うほどなのだ。
だが、聖女にそんな『君は忙しいんだから仕方ない』などという慰めをしても、無意味なことは、長い付き合いから察しがつく。
彼女は――何事にも意識が高いのだ。
思い返せば。
彼女が他者を褒めるところは幾度となく聞いたが、彼女が自身を褒めるのを、あまり聞いたことがない。
「聖女ちゃん、君は、努力と熱意さえあれば、自分にも突出した『なにか』が身につくと、そう思っているのかね?」
男性はゆったりした口調で問いかけた。
聖女はしばし悩んでから……
「わかりません。ただ……すごい人は、みんな、熱意を持って努力をしています。秀でた一芸を持つ人で、熱意のない人はいません」
「なるほど。君の言説、もっともだ。『秀でた一芸を持つ者に、熱意のない者はいない』……それは真実だろう。一面の真実だとしてもね」
「……一面の真実ですか?」
「物事には多面性があるものだ。この場合は、『主観性』と『客観性』かな?」
「えっと……」
「すごい人は熱意を持って努力をしている。……では、君は、どんな様子を見て、『熱意ある』『努力をしている』と感じるのかね?」
「それは……それは、たとえばおじさんみたいに、長いあいだずっと集中して続けるところとか……」
「なるほど。たしかに客観的に見て、同じことをずっと続けるというのは、忍耐も必要だろうし、熱意がなくてはこなせないように思えるかもしれないね」
「……違うんですか?」
「いや。客観的には事実だろう。けれど――主観的にはどうかな?」
「……すみません、ちょっと難しくて……」
「君は、私が、イヤイヤ絵画を描いたり、イヤイヤ木工をしたり、イヤイヤぬいぐるみ作製をしたりしているように見えるかね?」
「えっと……見えません。お願いしている立場で言うのもなんですけど、楽しそうに見えます」
「そうだね。私は楽しいと思えないことは絶対にしないのだ」
それゆえに、ヒキコモリ。
しかも男性の場合は消極的ヒキコモリなのではない。
『よし、こもるぞ!』という強い決意を秘めた、積極的ヒキコモリなのである。
「聖女ちゃん、私はね、楽しんでいるのだよ」
「……はい、でも……」
「『長い時間を費やす』は客観視すれば『忍耐と熱意の成せる業』だ。しかし、主観的に言えば、『楽しいことをやっている時、時間はあっという間に過ぎていく』のだよ」
「……あ」
「わかるかね? 強制されてイヤイヤやらされて、高い実力を発揮する者は、もちろん主観的にも客観的にも、『熱意と忍耐と努力の人』だろう」
「はい」
「しかし、一芸に秀でた者すべてがそうではない……それどころか、『楽しめないのに一流の技能を持っている者』など、少数派だろうよ。なぜならば、世にはたくさんの物事があるのだ。『つらいけど才能を感じるから続けよう』と思う者よりも『楽しいからやろう』と思う者の方が、絶対に多い」
「……そう、ですね」
「だから、熱意などいらないのだよ。……君は私を『一芸のある者』と見ているようだけれど、私とて、ただ継続してきただけだし……その時間の大部分を楽しんできたのだ。君も一芸を欲するならば、楽しめることを見つけたらいい」
「……でも、今からで身につくでしょうか?」
「その質問を私にするのは、間違いだね」
「……なぜです?」
「私が『身につく』と言ったところで、君の参考にはならなかろうよ。なぜならば――私は吸血鬼だ。寿命に限度はない。そして、楽しめることであれば、百年でも二百年でも、己で研鑽しながら続けられる。……凝り性だからね、私は」
「……」
「費やせる時間の長さは、そのまま力だ。そして私は無限の時間を持つ立場。定命の君に無責任なことは言えないよ。だって私は、なにをしても『今からでも身につく』のだから。君たちが費やせない、長い時間を費やして、ね」
「……すみません、わたし……」
「謝らなくていい。ただ、定命の者に、この私がアドバイスをするならば……」
「……」
「君たちの生命には時間的制約があるのだから、なにを始めるにしても、早い方がいい」
「……ですよね」
「そして」
「……?」
「君たちは時に、たった五十年ほどで、私が五百年かけてたどり着いた領域にまでたどり着く。三十までしか生きられなかったある画家の絵は、三百年以上費やした私の絵より胸を打つ。二十前に亡くなった音楽家の楽曲は、二百年以上聴いても彩りを失うことがない」
「……」
「ヒトは脆弱に作られた。しかし、ヒトは脆弱ゆえに、我らを凌駕することがある。君の言う熱心さを、我らは本当の意味で持つことができない。なにせすべては『いつか、できる』のだからね。制約がないぶん、情熱もないし――我らの『情熱』は、きっと、君たちとは質の違う、もっと冷めたものだ」
「……そう、ですか?」
「ああ、そうだとも。だから、楽しむといい。君に、私の五百年を五十年ほどで飛び越えるぐらいの才能があるかどうかは、わからない。『ないかもしれない』ではないよ。『わからない』のだ。つまり、無限の可能性があるということだ」
「……」
「挑戦しなさい。遅いか早いかは――才能の有無は、死ぬその時までわからないのだから。きっと、ヒトは挑戦しない時間のぶんだけ、損をしているのだろうと、私は思う」
「……もし、挑戦した、楽しいことに、絶望的なほど才能がなかったら?」
「さて、それこそ私には答えがたい質問だね。ただ……」
「?」
「絶望し、己の時間の費やし方を嘆きながら死ぬ者を見た」
「……」
「反対に、自分がどうしても『一流』になれないと、死の間際に受け入れて『それでも、楽しかった』と笑う者も見た」
「……」
「後者の生き様の方が、私には素敵に見えたね。だから……自分を追い詰めることなく、楽しみなさい。楽しんだという記憶だけでも、笑って死ねるぐらいの価値はあるようだから。君は別に、一流を強いられているわけではなかろう?」
「……はい」
「うむ。いいことだ。誰にも――自分自身にも、一流を強いられないならば、きっと楽しめることは見つかる。……まあ、個人的な感想を述べれば……」
「……?」
「君になんらかの才能がないということは、ありえないと思う。ただのカンだがね」
男性は口の端をゆがめて笑う。
聖女は――
ようやく、いつもの笑顔を取り戻した。
「ありがとうございます、おじさん。……わたし、みなさんの前では元気でいようって、いつも心がけてるんですけど……なんだか、今日は、ごめんなさい」
「なに、かまわんよ。ニンゲンならばそういう日もあろう。……我らにも気分の波はあるのだ。むしろ、君にそういったニンゲン的な揺らぎが見られて、貴重な発見だったよ」
「……おじさんはわたしをどういう生き物だと思ってるんですか?」
男性は笑った。
でも、答えは言わなかった。




