13話 吸血鬼にも昔は夢があった
「おじさん、朝ですよー!」
ガッシャアアアア!
けたたましい音を立ててカーテンが引き開けられる。
部屋に入り込む朝日――
男性はベッドから上体を起こした。
ベッドのふちに腰掛けようかと思ったが、無理だった。
腹の上でドラゴンがグーグーいびきをかいている。
しかたなく、男性は上体を起こしただけでの体勢で言う。
「やあおはよう聖女ちゃん」
「はい、おはようございます! あ、これ、わんちゃんのご飯です。あとトリミング用品とか色々……」
聖女がバスケットを差し出す。
男性はそれを受け取り――
「おや、いいのかね?」
「はい。わたしが連れて来たわんちゃんですから!」
「ん? ということは、君が自腹を切ったのか」
「そうですけど……気にしないでください! 施しを与えるのが聖女の役目です! あ、でもなんでもかんでも施したら相手のためになりませんから、ちゃんとしめるところはしめますからね!」
「ふむ」
しっかりした子だった。
まあ、いわゆるところの『わんちゃんのご飯』をこの家の『わんちゃん』は食べないだろうし、トリミングとかウロコ相手にどうしろという話ではあるのだが……
「そういうことならば、ありがたく受け取っておこう。彼も喜ぶであろうよ」
「でも、意外です。おじさん、動物好きなんですね? わんちゃんと仲良くしてるみたいで」
「動物好き……まあそう言えなくもないか……特にコウモリとオオカミが好きかねえ」
「変わったチョイスですね」
「人の基準で言えばそうかもしれないねえ。それで、今日はどのような用件かな?」
「それはもちろん、おじさんを社会復帰させるためですよ」
いつものだった。
男性は社会復帰をする気がないし、必要もない。
なにせ吸血鬼なのだ。
しかも最近、老いのせいか、あまり食欲もないし、活動時間もそう長くない。
ただ――信じてもらえない。
まあ、絵本などの登場人物がいきなり抜け出して『やあ、現実にいるよ』と言ったところで、信じるのは純真な子供ぐらいなものだろう。
非実在吸血鬼おじさんはその事実を思うたびに嘆息を禁じ得ない。
かつて人外どもが繁栄を誇った時代を知っているだけに、少しだけノスタルジィを感じるのだ。
「それで、今日はどのような手段で私を城の外に出そうとたくらんでいるのかね?」
「いえ、今日は『外に出よう』とは言いません」
「ほう? では、どうするのかね?」
「起業です」
「……?」
「このお城で商売を始めて、お客さんを呼び込むのです!」
今日はどうやら、変化球で来たようだった。
なるほど、引きこもりたいという相手の主張を受け入れつつ、社会復帰させたいという自分の主張も通そうという、見事な折衷案である。
ただ――
「そもそも、君の認識では、この城は『私のもの』ではなく『国のもの』ではなかったのかね? そこで勝手に商売を始めるなどと、国は許すのかい?」
「そこは、今日はまだ重要な問題じゃないんですよ」
「いや……重要な問題だと思うのだが……」
「今日はとりあえず、『こんなお店やったら楽しそうだなあ』っていう夢をふくらませて、現実的なことは、ふくらんだ夢を見てからやっていったらいいんです!」
「ふむ」
「やりたいこともないのに『まずは現実的なことから』とか言い始めたら、絶対にやる気がなえちゃいますからね!」
理にかなっている。
理というか――情にかなっている、のだろうか。
たしかにいきなり煩雑なことをやれと言われても、なかなかやれるものではない。
「なので今日は、妄想をしましょう。現実はいいんです! ポイしちゃってください!」
「そうは言われてもねえ。私はそもそも『商売を始めたい』と思っていないのだが」
「ペットカフェとかどうでしょう?」
「……ペットカフェ?」
「はい! 動物がたくさんウロウロしてる飲食店です!」
「……大丈夫なのかね、色々」
「まあお客さんの食べ物をペットが食べちゃったりもするみたいですけど、そういうのも含めてのペットカフェなんですよ!」
飲食がメインではない、ということなのだろうか。
男性にはのみこみがたい概念だ――古い人のせいだろう。
「おじさん、動物好きみたいですし、どうです?」
「そうだねえ。あいつらのように手間のかからない動物ならいいのだが……」
「あいつら? わんちゃん以外にペット飼ってらっしゃったんですか?」
「……いや」
うっかりしていた。
部屋の片隅にたたずむ、メイド服姿の少女――眷属。
男性はそのもとの姿がコウモリであることを知っているので、いまいち『人』として扱いにくく思っているが、聖女から見れば眷属は『人』なのだろう。
というか――孫だ。
男性の孫、というような扱いになっている。
それを『ペット』と公言したら問題にされそうな気がした。
「……昔は色々飼っていたのでね」
「へえー! そうだったんですか! だからわんちゃんのお世話も慣れているんですね!」
「まあ……」
「やっぱりおじさん、向いてますよ! ちゃんとした格好をして、髪とか整えたら、おじさん自体も素敵ですし! ファンがつきますよ、きっと!」
「ふむ……」
ファンはつくだろう、それは。
なにせ――普通の人ならば、男性に見つめられただけで『魅了』されるのだから。
聖女に効かないのは、彼女が男性からの魔法を無効化しているからである。
本人に自覚はないようだが、希有な才能と言えた――少なくとも、過去、男性が普通に外出していたころには鉢合わせしなかった能力だ。
「真っ白いシャツを着て、黒いタイなんか絞めて、トレイ片手に『いらっしゃいませ』って」
「……なにか妄想が進んでいるようだね」
「いいと思います!」
聖女が鼻息荒く言った。
男性は苦笑した。
「しかしねえ聖女ちゃん、私はそもそも、人付き合いが苦手で引きこもっているのだよ。接客は無理だし――歳をとると、新しいことを始めるのがおっくうでね」
「でも、似合いますよ! 『いらっしゃいませ』って言ってみてください!」
「イラッシャイマセ?」
「もっと低い声で!」
「いらっしゃいませ……」
「耳元でささやくように!」
「いらっしゃい、ませ……」
「たまらないですね! 声だけ持って帰りたいです!」
どんな概念だ。
最近の若い子はちょっと怖いなと男性は思った。
「……ともかく、私に接客は無理だね。いらぬ被害を出しそうだ」
「そうですか……眷属ちゃんがお料理をして、おじさんが接客をして、わんちゃんが愛されて、理想のペットカフェができそうな予感がしたんですが……」
男性はペットカフェなるものをよく知らないが……
接客は女の子がやった方がいいような気がした。
というかドラゴン自体がその気になれば接客できるので、それでいい気がした。
まあ、経営をするつもりはないのだが。
「うーん……おじさん、夢とかないんですか?」
「夢……夢かあ……昔はあったような気がするが……」
人類支配とか。
世界の王になるとか。
そういう夢を持って、精力的に活動していた時期もあった気がする。
だが、途中で馬鹿馬鹿しくなってやめたのだった。
男性が見ていた夢は、全体的に、夢を叶えてしまったあとが途方もなくめんどうくさそうなものばかりだったのである。
支配したあとの人類の差配とかやりたくもない。
「……夢は空気をいっぱいに詰め込んだ革袋みたいなものでね。歳を経るにつれ、しぼんで、最後には手の平サイズになってしまうんだよ」
「なにかよくわからないですけど、深そうですね」
「まあ、手の平サイズの夢もいいものだよ。私は過ぎたことは望まない――つまりは、別に働かない」
男性は薄く笑う。
色々考えもしたが――吸血鬼はやっぱり働きたくない。