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128話 大胸筋の内側にあるもの

「……む? なんだこれは」



 うららかな昼下がりだった。


 男性が来客用ソファで城にとどいた郵便物をあらためていると、妙な手紙を発見した。

 いつもならダイレクトメールだと思って無視するのだが(男性の住む遺産級の古城にも、たまにとどくのだ。配達員の熱心さには頭が下がる)、そこにはこんな一文がある。



『神殿連合ボディビル大会 当選のお知らせ』



「……斬新だ」



『ただいま閉店セール中!』『新しいお店ができました!』『世界一周旅行が今ならこんな価格で!?』

 ……このように、だいたいダイレクトメールというのは『安い』『新規開店』『お得』という三パターンに分類される。


 それが『ボディビル大会に出ることができます』とは。

 これをお得なお知らせだと思う層も一定数いるのかもしれないが、かなり顧客数が限られるだろう。



「うーむ……通販でプロテインを注文しているからだろうか……そういえば通販を利用し始めてからというもの、こういった手紙も増えたように思うし」



 どこかで情報が漏れているのだろうか――

 男性が外界に思いを馳せていた、その時であった。


 カタン。

 部屋の出入り口下部にあるペット用ドアが開き、何者かが入って来た。


 この家の住人五名中ペット用ドアを利用するのは実に三名という過半数だ。

 男性は来訪者の正体を確認するため、視線を動かし――



「妖精かね。どうした?」



 手のひらに乗ってしまいそうなほど小さな女の子が、背中の四枚羽根をせわしなく動かしながら近付いてくるのを目撃した。

 そいつは男性の目の前、ダイレクトメールがこんもりと乗ったローテーブルの上に着地する。



「妖精さんです」

「……いや、それは見たらわかるが……」

「吸血鬼さん……妖精さんは、この時間に吸血鬼さんの部屋に来ることは覚えていたのです」

「ふむ」

「しかしそれ以外のすべてを思い出せないのです……」

「……」

「妖精さん……妖精さんとは?」

「哲学的な問いかけだね」



 妖精とはバカである。

 しかし男性は紳士なので、そのような直接的表現を口にしない気遣いができた。


 加えて言えば、妖精も男性も『幻想種』という『世間的にはいない者』の扱いを受けている身だ。

 もちろん男性は吸血鬼で、妖精は妖精であるから、まったくの別種なのだが……

 世間では『幻想種』でひとくくりなのである。

 そういう意味で『同胞』である男性からすれば、同胞を馬鹿にするのは己の品位を疑われる行為だという思いもあった。



「まあ、君がこの部屋をおとずれた用事は、ゆっくり思い出したらいい。私はダイレクトメールの整理をしてしまうので……」

「……ああ! 筋肉!」



 妖精が飛び上がって、男性の手にしていた『神殿連合ボディビル大会』のダイレクトメールにしがみつく。



「妖精よ……ダイレクトメールの角は硬く、鋭利だ。あまりしがみつくと、君の肌ぐらいならばやすやす貫通してしまう。危ないのでしがみつくのはやめなさい」

「妖精さんは筋肉のためにここに来たのです」

「いつものことではないか」



 妖精は筋肉を鍛えれば頭がよくなると思っている。

 なので筋トレをかかさないのだ。



「違うのです! 妖精さんは――ボディビル大会に出るのです」

「……」

「その招待状がとどくから、吸血鬼さんの部屋に取りに来たのです。そして、招待状はこれなのです。黒光りする筋肉が目印なのです」

「一回のスクワットさえ経ずに記憶を取り戻したというのか」

「妖精さんはエリートなので」



『そもそも、記憶を取り戻すためにいちいちスクワットをする必要などなかったのではないか?』という疑問が先にくる。

 しかし男性は「そうだね」と妖精の主張を尊重した。



「……まあ、この招待状が君のなら、よろしい。処分はしない。君に渡そう」

「わぁい! 吸血鬼さん大好き!」

「ただ、一ついいかね?」

「招待状は一つしかないので、これはあげられないのです」

「……一つ、質問をいいかね?」

「その質問に答えたら質問が終わるのです?」

「……質問をしてもいいかな?」

「いくらでもどうぞ」

「君はボディビル大会に出るつもりなのか?」

「なのです」

「……どうやって?」

「ネットで参加登録をして、こうして招待状を受け取り、歩いて会場に行くのです」

「飛べるのに歩くのか……」

「トレーニングなのです。ゆーさんそうんどー!」

「……ああ、いや、そうではなく……君、妖精ではないか」

「妖精とは」

「君だ」

「妖精さんは、妖精さん……そう、妖精さんは妖精さんだったのです!」

「……ボディビル大会とやらにはヒトしかいないのだろう? 妖精の君がどのようにして参加するつもりなのかね?」

「たしかに、ニンゲンさんと妖精さんでは、筋力量に差異があります。けれど、密度ならどうにでもなるはずなのです。ボディビル大会で見られるのは腕力や脚力ではなく、純粋に筋肉という芸術品の醸し出す美性(びせい)なのです。彼らは日々のトレーニングによりその肉体を過去の巨匠が作りたもうた彫刻品のように完璧に仕上げているのです。それは大きさでも材質でもなく、密度とかたちから見られる日々の節制と鍛錬が醸成する『芸術品たらぬ肉の体を芸術品に仕上げる努力』とも言えて――」

「そうではなく! ……君は筋肉に関係すると急に知性があがるね」

「はえー?」

「筋肉の話題で知力を絞り尽くすのは控えたほうがいいように思える」

「はうー」

「まあとりあえず、落ち着いて、スクワットでも一回したまえよ」



 妖精は呆けたような顔のままコクリとうなずく。

 そして、ローテーブルに着地すると、尻を突き出すようにしながら腰を落とし、空気椅子のような姿勢になった。



「ふんにゅうううううう……」



 しかしその姿勢から立ち上がることはできず、しばらくプルプル震え――

 バタバタバタバタ!

 背中の四枚羽根がせわしなく動き、彼女はようやく直立姿勢に戻った。



「……頭がいい!」

「頭脳的なスクワットだったね。……それで、妖精、私の言葉はわかるかね?」

「ことばー!」

「……まあなんだ。種族の壁があって、ヒトの開催するボディビル大会に、君は参加できないのではないかと私は思うのだが」

「なのです!? そんな、そんなことは……」

「だいたい、我らは世間的に『いないもの』扱いではないか」

「でも吸血鬼さん、ボディビル大会の参加要項には『妖精は参加できません』なんて書いていなかったのですよ」

「だいたい、我らは世間的に『いないもの』扱いではないか」

「参加資格は『熱くたぎる筋肉を持っていること』のみなのです! 妖精禁止なら最初にそう書いておくべきなのです!」

「だいたい、我らは世間的に『いないもの』扱いではないか」

「妖精は筋肉が大好きなので、妖精禁止を書かなければ、ボディビル大会に妖精が参加したがることものすごいのですよ!?」

「我らは世間的に『いないもの』扱いだとさっきから言っているのだがね?」

「妖精さんが世間にいなくとも、妖精さんはここにいるのです」

「いや、うーん……大会主催者がね、妖精という存在を『いるわけない』と思っているから、最初から募集要項に『妖精参加禁止』と書くという発想がなかったのではないか? と私は言っているのだが」

「わかるー」

「君へなにかを説明しようと試みる時、私はいつも、とてつもない絶望感に襲われるよ」



 難攻不落。

 一切の解説を理解できず、長すぎる説明を把握できず、詳細な解説を解読できないモノ――それこそが妖精。馬鹿の代名詞たる幻想種なのであった。



「まあ、とにかく、無理だ。あきらめたほうがいい」

「……無理ですか……そんな……せっかく、妖精さんの大胸筋が歩き出す様子をマッシヴメイツのみなさんに披露できると思ったのに……」

「大胸筋は歩かない」

「吸血鬼さん。そんなことは妖精さんも知っているのです。大胸筋は歩く時に稼働するメインの筋肉ではない……その程度の知識、妖精なら持っていて当然なのですよ」

「当然でもないと思うが」

「しかし、ボディビル界では、このように筋肉を褒め称える言葉が日々生み出されているのです。大胸筋は歩かない。けれど、歩き出しそうな大胸筋というものはある……それが、ボディビルであり、筋肉――すなわち、知能なのです」

「なに一つ理解できない世界が広がっているのはわかった。……とにかくだ。私は、ボディビル大会への参加は見送ったほうがいいと思う。……最終的に決めるのは君だがね」

「妖精さんは筋肉に不可能はないと思うのです」

「ふむ」

「妖精さんは、たしかにニンゲンさんではありませんし、吸血鬼さんでもない……でも、筋肉では、あるのです」

「……」

「すべての生き物に、筋肉はあります。つまり、筋肉の前に、すべては平等なのです」

「……そうか。君の決意は固いようだね。わかった。ならば、もう言うまい。行ってくるといい」



 幻想種が世間に出る。

 その行為が世界に、そして男性になにをもたらすか――想像が及ばないわけではない。


 だが、男性は紳士であった。

 他者の信念、決意――想いを頭ごなしに否定することはしない。

 たとえ己に累が及ぶとしても、想いというものは尊重されるべきだと男性は考えているのだ。



「妖精さんは行くのです。……最後の絞り込みをおこなって、この筋肉で世界をあっと言わせるのです」

「……うむ。がんばりたまえ」



 男性はそれ以上なにも言わなかった。

 そして――



 大会当日。

 うららかな昼下がりに妖精が男性の部屋をおとずれる。



「……妖精? まだ城にいたのかね? もう間に合わないのではないか?」

「ここは妖精さんのお城なのですよ?」

「そうではなく……まあ、そもそも私の城なのだが、そういう話でもなく……君、ボディビル大会はどうしたね?」

「……ボディビル大会?」



 妖精は首をかしげた。

 男性は、ハッとする。


 ――そうだ、妖精の記憶は長くはもたない。



「……」

「吸血鬼さんどうしたのです?」



 妖精は背中の四枚羽根ではばたきながら、男性のまわりを心配そうに飛び回っていた。


 男性は着ているガウンのポケットから懐中時計を取り出し、時間をたしかめた。

 ――間に合わない。


 妖精がボディビル大会に出るという決意表明をしてから、男性は妙に気になって、会場の場所やら時刻やら、過去の参加者やら大会の模様やら動画やらを熱心に漁っていたからわかる。

 大会のおこなわれる場所は、今から城を出ても、絶対に間に合わない。



「吸血鬼さん?」



 しかし、妖精はもう、忘れている。

 あの決意も、あの覚悟も、あの情熱も――『最後の絞り込みをする』ほど入れあげていたボディビル大会の存在自体をも、忘れているのだ!



「……吸血鬼さん、妖精さんは、この時間に、吸血鬼さんのお部屋をおとずれることになっていたのです」

「……」

「でも、この時間におとずれること以外、すべてを忘れてしまったのです……」

「……」

「吸血鬼さん、妖精さんは、なんでここに来たのです?」



 その問いかけに。

 男性は――彼女の無垢な瞳に、男性は。



「……それはね、妖精よ」

「……」

「私と筋トレをする約束をしていたからだよ」



『思い出させない』という選択をした。


 妖精はおどろいた顔をする。



「筋トレ! そんな大事なことを妖精さんはなぜ忘れていたのです……」

「まあいつものことだ。それより、今日は私もちょっとやる気だからね。さあ、がんばろうではないか」



 男性は脱いだ。

 張り詰めた大胸筋がピクピクと揺れる。


 ――大胸筋は歩かない。

 ただ、この分厚い筋肉は、優しい心と、明かしてはならない苦い真実を隠すには、頼りになるなと思った。

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