127話 ドラゴンと吸血鬼のあいだには大きな隔たりがある
「……世間は愚かよな」
男性が伊達メガネをかけて本を読んでいると、そんな声が聞こえた。
手にしていたハードカバーの分厚い本から視線を上げれば、テーブルの上には謎の生き物が丸まっている。
犬。
今や世界を支配している種族と言って過言ではないヒトどもからは、そのように認識されるらしい生き物だ。
ウロコ生えてるし、尻尾は太く長いし、翼まで生えているし、首も長い。
目には爬虫類を思わせる瞳孔があり、おまけに額には角があった。
こんなものが犬に見える世間は、たしかに愚かなのだと男性も思う。
どう考えてもドラゴンだろう。
「愚かよな……」
ドラゴンは繰り返した。
男性は経験で知っているが、これは男性が話を聞かないと延々話を聞いてもらえるまで『愚かよな』と繰り返し続けるやつだ。
そんな面倒なまねをせず、話したいなら話しかければいいようにも思えるが……
なにか、こだわりがあるのだろう。
男性は紳士なので、他者のこだわりを尊重するのである。
「なにがかね?」
男性は読んでいた分厚い本を閉じ、ドラゴンに話しかける。
ドラゴンはおっくうそうにチラリと男性を見上げ、ため息をついた。
「我は先日、顔出しで声も出し、動画配信をおこなったのだ」
「……君、ずいぶん思い切ったことをしたものだね」
ドラゴンは、世間的に『幻想種』――『現在おらず、過去にも存在していない空想上の生き物』ということになっている。
世間では犬と思われているようだが……
だとしても、『犬が人語をしゃべる』というのは大事件だろう。
「うむ。我は我という存在を正しくアピールすべく、動画配信をした。顔を出し、声を出し、己の詳細を語ったのだ。そう、家畜たちの王として政治資金を集めるために」
「……『ドラゴンだ』と言ったのか」
「そうだ。『ドラゴンだ』と堂々明かしたのだ」
「それは……それはなんというか……うむ。まあ、君の正体を君が明かしたことに対し、私がなにかを言うべきではなかろうな」
男性は吸血鬼である。
見た目は白髪で目の赤いおじさんなのだけれど、その正体は『おぞましき血の化身』と称されし人類の敵なのだ。
吸血鬼の扱いは、世間におけるドラゴンと同様、『幻想種』である。
いないはずのモノ――すなわち、いるとわかれば人々が騒ぐような存在なのである。
であるから、ドラゴンの『世間に広く正体をばらす』という決断が、どれほどの問題を引き起こすか、男性にはなんとなく予想がついた。
大変な勇気――あるいは思慮のなさだと言える。
「……まあ、ドラゴンよ。君のことだから色々考えたすえの決断なのだろうとは思うがね」
「いかにも。我は『思考する泰山』と呼ばれし者よ。リスクは承知のうえで、それでも明かさねばならぬと思い、顔を出し、素のままの声で、己の正体を語った……」
「……それで、どうなったのかね?」
「バーチャル動画配信者扱いされた……」
「…………バーチャル…………それは、いったい」
「そうか、貴様は知らんか。バーチャル動画配信者というのはな、アバターの姿で動画配信をする者どもよ。昨今、急速にその勢力を伸ばし始めている」
「……あばたー」
「ゲームをしたことがあるであろう?」
「あるね」
「その時に、己が操作していたキャラクターがいるであろう?」
「いたね」
「ざっくり言えば、そういう存在がアバターなのだ。二次元上に存在する、己の分身と言うべきモノか……」
「…………つまり君は、ゲームのキャラクターだと思われたのか」
「だいぶ違うが、そう認識してくれてもいい。貴様へ正しく説明するのは大変ゆえにな」
今、年寄り扱いされた気がした。
ドラゴンに年寄り扱いされるのは気にくわない男性ではあるが、反論もできない。
実際に意味がわからないからだ。
ここで『もっと詳しく説明してもらえればわかる』と食い下がれば、ますます年寄り感が増してしまうだろう。
これはきっと、聞いた瞬間に『ああ、アレか!』とならなければいけないやつだ。
「我の動画には『バーチャル家畜王』とか『自分をドラゴンだと思っている精神異常犬』というタグがつけられてしまった……」
「なんだかわからんが、元気を出したまえよ」
「いいか吸血鬼よ、世間は愚かなのだ」
「ここから本題かね」
「そうだとも! ……我は名乗った! 我はこの姿をあますところなく見せつけた! そうして我はドラゴンという生き物について語った……! だというのに、世間は我をドラゴンとは認めぬのだ! なぜならば――世間は『ドラゴンなど実在しない』と信じているゆえに!」
「……」
「吸血鬼よ……貴様は吸血鬼で、我はドラゴンだ。この城には妖精もおり、ミミックもいる」
「うむ」
「しかし、世間は信じぬ」
「……」
「姿を見せ、あますところなく己のことを語ろうとも、世間は我らの実在を認めようとせぬのだ……ヒトは、己の信じるもの以外は信じぬのだ……己にとって都合の悪い事実は――自分より強大な存在がおり、その存在がずっと秘匿され続けてきたという、都合の悪い事実は、いくら事実だと言われても耳を貸そうとせぬ。それが愚かしく、それが虚しい」
「ふむ……」
たしかに、それは愚かしく虚しいことなのだろう。
ああ、けれど――
だけれど、男性は思うのだ。
自分の信じるもの以外信じない。
自分に都合の悪いことに耳を貸そうとしない。
その愚かしさ、虚しさについて――
ドラゴンが言うな――そう思うのだ。
「ドラゴンよ、もし、真実を信じぬ世間を、都合の悪い事実に耳をかたむけぬ世間を愚かと言うのであれば、君がまず改めたまえよ。君の自分に都合の悪い話を聞かない率は、すさまじいものがあるぞ」
「吸血鬼よ」
「なんだね」
「世間とはなんだ?」
「……世間とは、世間ではないのか?」
「世間とは、そこらを歩くヒトどものことであり、道行くすれ違った誰かのことであり、こうして今我と話している貴様のことだ」
「……だから、なにかね?」
「世間とは、『あなた』だ」
「……」
「『わたし』ではない」
「……すまない、意味が」
「我が『世間』という言葉を口にする時、我自身は『世間』にふくまれておらん。だというのに、『世間が愚かと思うなら君が改めろ』とは、てんでおかしな話ではないか」
「……すまない、意味が……」
「我は、我以外の愚かさを語っているのだ。そこで、我が槍玉にあがる意味がわからん」
「いや……いや、だからね? 君が世間に認める『愚かさ』は、君自身も持ち合わせているのだよ。ゆえに、世間をどうこう言う前に、君自身が改めるのが先ではないか? と」
「論理のすり替えをやめよ」
「君に言われたくない言葉のランキングがあれば、トップ十位以内には入る発言だね」
「我にそういった、『世間』どもと同様の欠陥があったとしよう。そして、それを改めたとしよう。すると、どうなる? 世間は変わるのか?」
「それはまあ、そう簡単にはいかないだろうが」
「であろう? であれば、的外れで、意味不明な、『いい機会だから普段感じていたことを言っちゃえ』みたいなことを言うのはよすのだな。――我が変わっても世間は変わらぬ。我と世間のあいだに、そのような相互干渉力はない」
「まあ……うむ」
「我はあくまでも、世間の愚かさを嘆いているのだ。そして、世間に変わってほしいと思っている。それを、まるで『我が変われば世間が変わる』かのように偽装して『まず君が変われ』と言うのは間違っている。そうだな?」
「……まあ、そうかもしれないが」
「我に改めるべきところなどなにもないのだ。わかったな?」
「いや、世間とは関係なく、君はもう少し他者の意見に耳を貸すべきだと思うし、改めるべきところがたくさんあるよ」
「今は世間の話をしているのだ」
「私は君の話をしているが。……だいたい、君の論説であれば、私が『世間』という言葉を使う時、そこには君もふくまれるではないか。世間とは『わたし』ではなく『あなた』なのだろう? 私にとって、君は『あなた』だ」
「わけのわからないことを言うな」
「君が私に言ったことだよ」
「わかった、わかった。貴様にもわかりやすく言い換えてやろう」
「なんだね」
「我は特別だ。何者にも代えがたい」
「……」
「世間とは、我以外――すなわち、特権階級である我に奉仕すべき、すべてのモノのことを指すのだ」
「君のその自負はなにによって支えられているのかね?」
「もちろん、カワイさによってよ」
男性は無言でテーブルの上にある『ファミレスのアレ』を押した。
すぐさまメイド服をまとった、黒髪の少女――眷族が部屋に現れる。
「眷族、このドラゴンを鏡の前に放置してきなさい。現実を見せてやるのだ」
眷族は慣れた動作でドラゴンの四肢を縛り、そのままガシッとつかんで去って行った。
一人部屋に残された男性は思う。
「……しかし、鏡の前に置いても、効果はなかろうな」
自分のそうカワイくない爬虫類ルックスを見せられても、ドラゴンはそれを『カワイイ』と信じて疑わないのだろう。
そう、ドラゴンが見るべきは、鏡ではないのだ。
現実。
しかし、それを見せるのはあまりにも難しく、男性では考案できなかった。




