125話 吸血鬼vs聖女、開戦
「おじさん、おはようございます!」
ガッシャアアアア!
聖女のおとずれとともに、男性の部屋のカーテンが勢いよく開かれる。
メイド服の少女――眷族の手によるものだ。
朝の光に照らし出された室内はゴシック調で、華美ではないが上等そうな調度品の数々が見られた。
男性はベッドの中で上体を起こす。
「おはよう聖女ちゃん。今日は早いようだね」
「本日から『早起き週間』なので」
「……『早起き週間』? まあ、まずはそこに座りたまえ」
男性は来客用ローテーブルを指し示す。
聖女をそこに座らせると、自分もベッドから出て、聖女の対面に腰を下ろした。
と、そのタイミングで、眷族が二人にお茶を出し、一礼して部屋の隅に戻った。
男性は薫り高い紅茶を口にふくみ――
「ところで先ほど言っていた『早起き週間』とはなんなのかね?」
「あ、はい。それはですね、『いつもより早く起きて、いつもより早くに出勤して、いつもより早くに仕事を終えて、夜は家でゆっくりしよう』という週間です。神殿主導で今おこなっている試みなんですよ」
「ふーむ。その試みは歓迎されているのかね?」
「今はまだ周知している段階ですね。こういった試みは、何回か繰り返さないと効果がわかりにくいんです」
「そうか。いつの世も行政の謎試みはあるものなのだね……」
ヒトは急激な変化に弱い生き物のはずだ。
なので急激に生活習慣を一時間早めさせる試みが歓迎されるわけはないと、男性でも思う。
男性は吸血鬼である。
社会性はない。
なので、社会がおこなうあらゆる試みに対し、なにかを言える立場ではない。
それゆえに『たぶん意味ないどころか、いい迷惑だよな』と思っても、それを口にしないだけの分別はあるのだった。
「なににせよ、朝早くからご苦労なことだ。君とていつもより早く起きるのはつらかろうに」
「わたしは全然! この早起き週間で、全国の働く親御さんが、夜に子供と一緒にいる時間をとれるなら幸いです」
「……まあ、少し休むことも大事だ。私の家ではゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます」
「なに」
「それでおじさん、順調ですか?」
「なにがかね?」
「就職活動ですよ」
男性は無職でヒキコモリである。
聖女はそんな男性を就職させ、社会とかかわらせることを目的にしている。
「……聖女ちゃん、私はね、吸血鬼なのだよ」
「おじさん、吸血鬼だから社会とかかわらなくていいということはありませんよ。それにおじさんには様々な特技があるじゃないですか! 改めて考えても、おじさんは社会から適切な評価を受けるべき人材だと思うんですよね」
「……」
「――と、まあ、このようにいきなり『働け』と言うばかりではいけないと、わたしも学んでいるのです」
「む?」
「『仕事を始める』――なるほど、これはたしかに、ハードルが高いのかもしれません。しかし、能力を活かして社会とかかわるのは、なにも仕事だけが手段ではありません」
「……前に君が言っていた『趣味の集い』というやつかね?」
「いえ」
「では、なにかね?」
「おじさんの作品を、オークションにかけることができるのです」
「……私は別に、名の知れた画家などではないが」
「最近は、別にネームバリューがなくても、個人の創作物を売ることのできるシステムがあるんですよ!」
「……?」
また男性には理解しがたい時代の流れがあるようだ。
オークションは、わかる。
男性がまだヒキコモリでなかった当時にもあった。
しかしそれは有名な絵画や骨董品などを、大きく豪華な会場で、金持ちどもが競り落とすというもののはずだ。
ネームバリューのない個人の創作物を売ることができるオークション?
男性は『オークション』という言葉の意味の変容についていける感じがしない。
「おじさん、なにか適当に安く値段をつけて手放してもいい創作物などはありますか?」
「……うーむ。ああ、そうだ。このあいだ作った八ピースの木製パズルがあるね。ほら、これなのだが……」
「ではケイタイ伝話をお借りして、アプリをインストールし、写真を撮って、説明文をつけつつ出品をします」
「……」
「すると売れます」
「……は?」
すごいスピード感だった。
まったくついていけず、男性はただただ戸惑うばかりだ。
「……もう売れたのかね? 誰が買ったのだ? どのように?」
「おじさん、これがネットオークションサイトの力です」
「なんだと……」
「今はまだ入札中ですので、実際に買い手が決まるのはまだしばらくあとです。でも、今出品したおじさんの手製パズルに、すでに値段をつけたヒトがいるんですよ」
「なんと……実物も見ずに」
「まあ、そこまで高額にはなりませんから。でも、出品して即値段がつくというのはすごいことですよ。写真で見ただけでも、おじさんの作品の素晴らしさはわかるということです」
「……」
なんだろう、そう褒められると――悪い気がしない。
おじさんは吸血鬼だがおじさんなので、若い女の子に褒められて嬉しくなる気持ちがあるのは、仕方のないことなのだろう。
いかに紳士とて、喜びまでは消せない。
「どうですかおじさん、おじさんは家にいながら、今、社会とかかわったのです」
「むう」
「こうして自信をつけていき、いずれは実際にヒトと会い、おじさんは友達の輪の一部になるのです」
「友達の輪の一部……」
なにか知らないが巨大な生き物に取り込まれている感がある。
もっと他の表現方法がなかったものかと男性は思わずにいられない。
「おじさん、最近は社会の制度がだいぶ変わりました」
「そうなのかね?」
「はい。個人が、個人の能力だけでできることが増えたのです。……それこそ家にいながら、誰とも会わずに生きていくことだって、可能でしょう」
「……」
「けれど、わたしは、おじさんに社会のみんなとかかわってほしいと、思い続けています。改めて――おじさんは吸血鬼です」
「……うむ」
「ヒトとは違う生き物です。……そういった生物がいると、みんな思っていません。ですから最初は色々な問題もあるでしょう」
「うむ」
「けれど、わたしはやっぱり、おじさんに社会とかかわってほしい。生の社会……顔を合わせて、目を見て、誰かと会話をしてほしいのです」
「なぜだね?」
「そこに神がいらっしゃいますから」
「……?」
「神様は『よくわからないけど素晴らしい、ヒトに幸せをもたらすもの』だと思います。……私はその『神』を、他者と顔を合わせ言葉を交わしている時、身近に感じるのです」
「……」
「おじさんとのやりとりも、ずいぶん長くやっていますが……わたしはようやく、わたしの心の置き所を見つけました。わたしは――おじさんに、幸せになってほしいのです。わたしの感じている幸せを、おじさんにも感じてほしいのだと思います」
「……ふむ」
「これは聖女としての活動というよりは、個人の願望、欲望に属するものだと思います。……ですが、わたしの思う幸福を、おじさんにも経験してほしいというこの願いは、間違っていないものだと、わたしは確信しているのです」
「……ふっ」
「…………すいません、おかしなこと、言っていますよね」
「いや」
男性は口の端をゆがめた。
そして赤い瞳で、聖女の桃色の瞳を真っ直ぐに見る。
「そうでなくてはならない」
「……」
「これでようやく、君と戦える。……いいかね聖女ちゃん、君が己の欲望を見出したことで、私もまた、己の欲望をしっかりと認識することができた」
「……おじさんの欲望、とは?」
「私は――外に出たくない」
「……」
「なにがなんでも、外に出たくない」
「……そんな力強く」
「いや、これは力強く述べねばならないことだ。……吸血鬼としての矜持、長年続けてきた習慣を変えてたまるかという意地――そのようなものではないのだ。そうでは、なかったのだ。私はただ、『外に出たくない』という欲望を抱いていただけ、だったのだ」
「……」
「それを、理由、言い訳、他者の理解を求め、わかりやすくかみ砕いて……まったく、くだらないことをしてしまったものだと、我ながら汗顔の至りだよ」
「……」
「いいかね聖女ちゃん、戦いとは、意地と意地、欲望と欲望のぶつけ合いだ」
「……」
「純粋なものなのだよ。それを、大義をかざしたり、理解を求めたりするのは、不純と言わざるを得ない。君は私を外に出す。私は外に出ない。これこそが戦いだ。手練手管を尽くし! この戦いを純粋に楽しもうではないか!」
「……その戦い、勝敗はどのように決めるんですか?」
「それはわからない。ただ、この戦いは、非暴力的で、紳士的なものとなるだろう」
「……」
「ようするに、君は私の『外に出たい』という欲望を刺激したまえよ。『出たくない』という欲望を、『出たい』という欲望が上回れば、私とて外出することであろう」
「つまり、今まで通りなんですね」
「そうとも言う。だが、己の欲望を認識するのは、よいことだ」
「……わたしもそう思います」
「うむ」
「……よし、わたし、がんばりますね! おじさんを外に出してみせます!」
「ああ。期待しているよ。もっとも、私も簡単には負けないがね」
男性と聖女は熱く視線を交わした。
ここにおっさん吸血鬼と聖女の、欲望のぶつけ合いが始まる。
つまりなにかと言えば――
どうせ今までとそうは変わらないであろう。




