123話 竜の末裔で吸血鬼の魔法使いのストーリーテリング
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その古城は人里離れた森の中にひっそりと建っていて、深夜ともなると月明かりを受けて浮かび上がる姿に一種の幻想的な趣さえあった。
うっそうと生い茂った暗い緑の植物が城壁を覆い尽くしているさまは人工物であるはずの古城と大自然とが一体化しているような、なんとも不思議な感慨を抱かせてくれる。
(ああ、ついに、こんなところまで来てしまったんだわ……)
少女は両手のひらを胸にあてる。
長いまつ毛は不安のあまり震え、細い体は、緊張のあまり冷え切っていた。
不思議な少女だ。
服装がシチュエーションに見合っていない。
ていねいに整えられた金髪。細い体を包むのは上等とは言えない、しかし清潔なワンピース。足は古式ゆかしい紐でくくるサンダルにつつまれ、そして荷物らしきものはなにも持っていなかった。
森林の中にいるには、あまりに不自然。
ここまで森歩きをしたならば必ずあるはずの痕跡――サンダル裏に柔らかな土がついていたり、長い髪に木の枝や葉がひっかかっていたり、ワンピースにはねた土の汚れがついていたり――といったものがない点も、彼女の不自然さをますます強めていた。
彼女は生贄だった。
だから、ここまで綺麗な状態で運ばれてきて――
帰りの道も知らないし、森の中で過ごすための道具もない。
そして彼女の目の前には生贄を求めるモノが棲むという、古城があった。
「……行かなきゃ」
恐怖はあった。
けれど、それ以上の使命感が彼女の足を前へ進ませる。
雨上がりの柔らかく湿った黒土を踏みながら歩いていく。
たった数歩でサンダルにはねっとりとした土がからみつき、汚れていく。
裾の長いワンピースに泥が跳ねないようスカートを持ち上げながら行けば、彼女はいよいよ巨大な、そしておそろしい城門にまでたどり着いてしまった。
「す、すいませーん!」
生贄の作法をよく知らないし、教えられもしなかった少女は、とりあえず固く閉ざされた門扉へ向けて声をかける。
このまま開かなければいいのに、そうしたら帰れるのに――少女の中にそんな願望が芽生えるぐらいのあいだ、門は閉ざされたままだったが……
ゆったりと、重々しい音を立てながら門が開いてしまう。
彼女は緊張のあまり呼吸さえ上手にできなくなりながら、ちょうつがいをきしませ、ゆったりゆったり焦らすように開いていく門の切れ間に視線を奪われていた。
現れたのは、
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「ここで登場するのは、おじさんがいいかしら。それとも美少年がいいかしら。ねえ、おじさま、どう思います?」
男性が渡された原稿を読み終えたぐらいのタイミングで、そのような声がかけられた。
視線を上げる。
目の前にいるのは、派手な容姿の少女だ。
鮮やかな金髪に、黒を基調とした装飾過多な服装。
スタイルもよく顔立ちも美しい。
『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』。
『自分は竜の末裔で吸血鬼の魔法使いだ』というロールプレイをしながら生きている一般人間女性であった。
「……どう、と言われてもねえ」
男性はメガネの奧の瞳を細め、困ったように口の端をあげた。
ローテーブルの上に渡された紙束とメガネを置くと、正面の竜の末裔で吸血鬼の魔法使いへと語る言葉を探し、
「なんと言えばいいのかな……私は、読者ではあるが、作者でも、編集者でもないのだよ。今後の展開についてたずねられても『楽しければなんでもいい』としか言えないのだがね」
「しかし担当編集さんから『先生の物語展開はちょっと突飛というか、読者が置いてけぼりになるスピード感があたえられちゃっているので、もう少し読者に合わせてください』と言われているんです」
竜の末裔で吸血鬼の魔法使いは、『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』というペンネームでデビューしている小説家なのだった。
その彼女はどうやら作家としてなんらかの壁にぶち当たり、男性を頼ってきたらしい。
なぜ男性が頼られることになったのか――これがよくわからなくて、男性も己の心の置き所を定めきれずにいる。
なにせ男性は作家ではない。
男性はヒキコモリである。
そして吸血鬼でもある。
おそらく読者には人間が大多数であり、そして働いている者がやっぱり多数であろう竜の末裔で吸血鬼の魔法使い先生の作品に対し、大多数の読者が思っているような意見を言える立場にないのだ。
「……竜の末裔で吸血鬼の魔法使い先生」
「おじさま、一つよろしいかしら?」
「……なんだね?」
「『先生』をつけないで。なんか落ち着かないわ」
「……竜の末裔で吸血鬼の魔法使いさん」
「なんでしょう?」
「私に聞くより、なんだ、君の横にいる聖女ちゃんなどに聞いたほうが、いいのではないかね? どうにも君の小説は少女向けのようだし、私は見て分かるとおり、少女ではない」
「しかしおじさま、わたくしにもプライドがありますのよ」
「……どういう意味だね?」
「聖女はたしかに、読者層そのものです。頭の回転もいいし、人の話を真面目に聞いてくれます」
「いい読者ではないか」
「でも、この子が言ったとおりの展開を書くのは、なんかイヤ……!」
「……」
「聖女に展開を選ばせたら、わたくしはきっと、聖女が選んだ展開と逆の展開で話を進めてしまうことでしょう……」
竜の末裔で吸血鬼の魔法使いは爪を噛んだ。
作家ってめんどくさい生き物だな、と男性は思った。
「……それにしたって、私にこの先の展開をたずねるのは、少々違う気がするがね。そこのところ、君の横でニコニコしたまま黙って成り行きを見ている聖女ちゃんは、どう考えているのかね? というか彼女はなぜしゃべらないのかね?」
「わたくしがおじさまに質問をしている最中、聖女には一言もしゃべらないよう、きつく言い聞かせてありますのよ」
「なぜ」
「聖女が展開について触れたら、わたくしは反発してしまいますから。聖女もそれを了解しているので、こうして黙っているのです」
「……では、なぜ伴って来たのだ」
「いえ、だって、一人でおじさまのおうちをたずねるの、ちょっと緊張するっていうか……」
竜の末裔で吸血鬼の魔法使いは、鮮やかな色の金髪を指先でもてあそんだ。
めんどくさいヒトだな、と男性は思った。
しかし男性は紳士である。
めんどくさいから取り合わない、なんてことはしないのだ。――めんどうというだけで会話を打ち切るようでは、ドラゴンとか妖精とかの相手はつとまらない。
「おじさま、あくまで、一つの意見として、たずねているだけです。どうか深く考えず、『自分ならこういう展開がいいなあ』ぐらいのものを、わたくしに」
「うーむ……しかし私は、このあと出てくるのがおじさんだろうが美少年だろうが、どちらでもいいと思うのだがね」
「おじさま」
「なんだね」
「おじさんと、美少年、どっちが好きか、考えてみてください」
「……」
その質問は、おじさんにするヤツじゃない。
若い女の子にするヤツだ。
「どちらを答えても問題があるように思えて、少々答えにくいのだが」
「しかしおじさま、魂に問いかけた答えがなんであろうと、わたくしは決して馬鹿にしたりはしませんわ。なぜならば、わたくしもまた、魂の声に導かれ生きているのですから」
「魂の声か……」
おじさんの魂に問いかけたところで、『おじさんと美少年どちらが好きか?』という質問の答えが得られる気はしなかったが……
普段はまわりくどい言動が大好きな竜の末裔で吸血鬼の魔法使いが、今日はまったくそういった遊びもなく、真剣に問いかけてきているのだ。
ここではぐらかしたりするのは、紳士道不覚悟だろう。
「……そうだねえ。私は、美少年が好きかな……」
「おじさまは美少年が好きなんですね」
「まあ、どちらかと言えばそうかな。若者を見ていると元気をもらえる気がするからね。それに私は経験上、歳をとった男性は偏屈なのしか知らんし……」
「……なるほど。ご意見ありがとうございます。決めました!」
「そうか。力になれたならば幸いだ。登場するのは美少年になったということかね?」
「『美少年にもなれるおじさん』にします!」
「…………」
意見、必要だった?
そう問いかけたいのを、男性はこらえた。
「このあと、美少年おじさんに案内されて城の中に招かれた『少女』は、館の主と会うわけなのですが……館の主は吸血鬼の予定なのです」
「ほお」
「そこで吸血鬼と会食した『少女』は食事中になにかあって吸血鬼に好かれ、なにかあって半吸血鬼となり、城で半吸血鬼として日常生活を過ごしていくことに……」
「『なにか』とはなんなのかね?」
「それは書きながら考えますわ」
「……先に考えておくべき重要事ではないのかね?」
「しかしおじさま、そのあたりは、館の主である吸血鬼と、『少女』との会話の流れ次第です。話させていればどこかに気に入る要素も出てくるでしょう」
「……そんなものなのかね?」
「そうなのです。もし吸血鬼が少女を気に入らないようだったら、その時は」
「その時は?」
「その時です」
「……どうするのかね?」
「その時に、あらためて考えます」
「……小説家というのは、もっと事前に考えて物語を紡ぎ上げるものかと思っていたが」
「他のかたは知りませんが、わたくしはその場のノリで書いていますから。そう、深淵なる闇の彼方から展開が降ってくるのです……有名な作家の言葉にこんなものがあります。『お前が展開のことを考えている時、展開もまたお前のことを考えているのだ』と……」
「すまない、意味がよく……」
「考えてはいけません。小説家は、考えないのです。ただ魂の声の導きに身を任せ、深遠なる暗闇から浮かび上がる展開をつむいていくだけの肉のカタマリでしかありません。『物語を考える』というのは傲慢な思考なのです。木彫り職人が材料となる木材をジッと見ていると完成形が見えてくるように、小説家は白紙の原稿を見ていると書くべきことが自然と見える人種なのです」
「なるほど」
男性は小説家ではなかったが、木彫り職人の側面はあったので、なんとなくわかった。
竜の末裔で吸血鬼の魔法使いの横では、聖女が笑顔のまま首をかしげていた。
「しかしおじさま、ここで悲しい現実の話に戻りますが……」
「聞こうか」
「はい……悲しいことに、人生には『〆切』が存在するのです……」
「……」
「白紙の原稿の前でジッと深遠なる闇から展開がわき出てくるのを待つのが小説家なのですけれど、〆切の前にわき出てくれるとは限りません。だからわたくしはこうして、傲慢ながらも話の展開を考えているのです。おじさんにしようか、美少年にしようか、そんなのは本来わたくしが考えるべきことではなく、闇からわいてくるものなのですが、それでも考えねばならないのです」
男性の人生には〆切がないのでよくわからなかった。
「……まあ、なんだ。小説を書くのも大変なのだね」
「はい。なので、もうしばし、わたくしに力を貸していただけると助かりますわ」
「うーん……まあ、いいけれど」
その後も問われて意見を述べていく男性だったが……
男性が述べた意見が素直に採用されることは一度もなかった。
小説家はめんどくさい。




