122話 ミミックはジュブヌルヌボン
夕焼けが差しこむ時間帯になって、深紅のカーペットの赤と沈んでいく日差しの赤がまじりあい、部屋を血のような色に染め上げている。
ゴシック調の家具がそろえられた室内では、血のような光に染まった白髪の男性が本を片手に一人でチェスをさしていた。
「……まあ、そうだな」
詰めチェスだ。
男性の手にある本はずいぶん古びていて、表紙は崩れ、紙のふちには指の脂が原因と思われる黄ばみが存在した。
男性が二手動かせば、チェックメイトとなった。
よどみのない手つきだった。手応えというものが感じられない。
男性は『仕方ないか』と笑う。
「……やはり、一度解いた問題集は覚えてしまっているな」
男性は吸血鬼である。
見た目は白髪の壮年男性。しかしその中身は衰えのない人外の化け物。
世間において『いないもの』とされる、幻想生物――それが男性の正体であった。
「まあ、記憶力は完全とは言えないし、物忘れもするが……ふむ。考えながらやったことは、案外身についているものだね」
退屈は紛らわせることができなかった。
男性がパタンと本を閉じ、チェス駒を片付けようとすると――
ガタガタガタ!
そんな音を立てつつ、ペット用出入り口から入ってくるものがあった。
ツボだ。
『ツボがガタガタ音を立てながら部屋に入ってきた』。
それは飛び上がっておどろいてもいいぐらいの異常事態のはずだったが、ツボを自室に迎えた男性の態度は落ち着ききったものであった。
「やあ、君か」
ツボに親しげにあいさつをする。
なにも知らない者が見れば、男性の頭の具合を心配するところであろう。
だが、男性はおかしくない。
なにせ、男性はツボにあいさつをしたわけではなく、その中身にあいさつをしたのだ。
ミミック。
そう呼ばれる触手生物――吸血鬼同様、現代では『いないもの』とされているそいつが、ツボに入っているのである。
――ジュボッ!
ミミックは部屋に入ると、ツボからその体をのぞかせた。
黄色く、粘液をまとってテラテラ光る、触手を束ねたようなおぞましく冒涜的な容貌。
そんなものが動くツボからいきなり出てくるのだから、余人であれば怯え、すくみ、正気を失うかもしれない。
しかし男性は落ち着いたものだった。
『ふっ』と笑い、
「うわあ、びっくりした」
あいさつのように言ってのけた。
このミミック、自分の行動で他者がおどろくととても嬉しそうにジュボヌボするのだ。
ミミックは満足げにジュボヌボヌプッジュボすると、ヌプンして、ガタガタしながら接近し、ソファの上にピョーンした。
そしてまたジュボンすると、興味深そうにその体をのたくらせて、チェス盤に視線(?)を注ぐ。
「……ミミック、ひょっとして君、チェスがわかるのかね?」
男性の問いかけに、ミミックはヌボッジュボッウネウネする。
男性は「ほお」と言いながら顎をなでた。
「なるほど。君のもとの飼い主に教わったのか……ではどうかな、一局」
ミミックはヌポッウネウネジュルリジュルヌル。
男性は承諾を得たので、駒を並べる。
「先攻、後攻、どちらがいいかね?」
ヌルッヌプ。
「では、白をもらおうか」
こうして二人のチェスは始まった。
男性がポーンを動かすとミミックはヌルリポタポタコトリ。応じるように男性が別な位置のポーンを動かすとやはりミミックもヌルリコトン。男性がナイトをコトリ。ミミックがヌルヌル。コトン。ポタポタポタウネヌルリヌルコトン。コトン、ウネウネコトン。コンコンコトンヌルウネコトリコトンウネウネジュボヌプここが大事な一手だとミミックもわかっているのだろうウネウネジュボジュブブシュウコトン男性コンコンコトンヌルリコトンコトンコトンコトンウネウネ……
「……む、そうだな。これで、チェックメイトだ」
白熱した勝負であった。
盤面には勝負の痕跡である垂れた粘液が落ち、勝負の中で日差しはとっくに陰っていた。
触手とおじさんが暗闇の中、互いの健闘をたたえ合うかのように見つめ合っている。
「いい勝負だった。久しぶりに考えてチェスをした気がするよ。やはり対人戦はいいものだね。ケイタイ伝話でもできるらしいが……駒の感触が、好きでね」
ジュブンウネリウネリ。
「わかってくれるか。この駒はね、私の手製なのだよ。いいだろう、特にこの、ナイトの首回りの曲線がね……ここをなめらかに、そして色気のあるように仕上げるのにはヤスリがけが大事でね」
ウネウネ。
「……うむ、いいものだね。こういう静かな会話ができる相手が、この城にはあまりいないのだよ。ドラゴンは他者の趣味に耳をかたむけることをしないし、眷族は会話にならない……妖精はまあ、なんだ。そう、筋肉だね」
ヌルーリ。
「もう一局……は、やめておくか。また暇があったら付き合ってくれたまえ」
ヌルン。
ミミックは触手をのたくらせてジュブリヌポッヌルヌルジュル。
ジュルリゴトッガンフワリガタガタガタパタンガタッ。ジュボヌボッヌルヌル。
ウネウネ。




