121話 ドラゴンはカワイさを見つめなおす
「『カワイイ』とはなんだ?」
日差しに照らされたゴシック調の室内で突如として哲学的な問いが、低く、重苦しく響いた。
男性が視線を向ければ、そこには赤くてまるまる太った生き物が存在した。
犬。
縦に切れ目の入った爬虫類を思わせる瞳。額には角。長い首はヘビのようで、胴体はまるまるとしていて硬質で、どことなく亀を連想させる。
おおよそ『つかむ』機能の見られないずんぐりとした短い四本足も亀そのものであり、しかし根元から先端にかけて次第に細く鋭くなっていく、長い、円錐形の尻尾が亀にしても異質な存在感を放っている。
極めつけに背中には翼があった。
そして彼の体を覆うのは、毛皮ではなく赤いウロコだった。
『犬とはなんだ?』
カワイイがなにか論じる前に、男性はその部分を、彼を犬扱いする世間に問いたい気持ちでいっぱいだった。
こんなのどう見てもドラゴンやん。
「……なんだね、唐突に。まあ、君が話題を提供する時は、だいたい、いつも唐突だがね」
男性はケイタイ伝話の画面から顔をあげる。
陶芸について調べるのを一時中断し、話を聞くことにする。
赤い生き物は翼をはためかせ、男性の目の前、来客用ローテーブルの上に降り立つ。
そういえば『テーブルに乗る』というのは行儀の悪い行為で、男性は行儀にわりとうるさいほうだと自覚しているが、相手が小動物のせいか責める気にはなれない。
「吸血鬼よ……我は今、伸び悩んでおるのだ」
「身長の話かね?」
「いや、カワイさの話だ。それ以外にあるまい」
ドラゴンのカワイさが伸びていた時期が思い出せなかった。
しかし、そのあたりを論じると話が平行線で終わることを、男性は知っている――ドラゴンに道理を説くのは、赤子にそうするより難しい。
「吸血鬼よ……我は最近、思うのだ。『カワイさ』とは、一つの基準、一つの指標ではかれるものではないのではないか、と」
「ふむ。詳しく」
「たとえば――赤子はカワイイ」
「うむ」
「しかし、女性アイドルに対する『カワイイ』と、赤子に対する『カワイイ』は、違うものであろう?」
「そうだねえ」
「であれば、我はどのジャンルのカワイさを極めればいいのか、今一度見直す必要があるのではないかと、そう思ったのだ」
「その前に『カワイさ』を極める必要があるのかね?」
「我はドラゴンなるぞ?」
そして男性は吸血鬼である。
どちらも『お伽噺の中にしか登場しないもの』という意味の、『幻想種』と呼ばれる絶滅危惧種だ(世間的には最初から存在していないが)。
男性は思い出す――ドラゴンとは、なにか?
それは、ヒトがもっとも怖れる脅威の一つであったはずだった。
山のような巨体。
吐く息は高熱を帯び、風下に立てば骨さえ残らず焼き尽くされるであろう。
黄金を好み、酒を好み、美しいものを好み、女を好む。
この強大なる生き物には『対抗しよう』と考えるのがまず間違いだ。ヒトはドラゴンという大いなる種の怒りをかわぬよう、ただただつつましやかに生きるしかない。ドラゴンの目が自分たちの持つなにかを『財宝』と定め、興味を示さぬことを祈りながら……
ドラゴンとは、そういう存在であったはずだ。
では、ドラゴン本人の意見を聞いてみよう。
「ドラゴンよ、ドラゴンとは、なんだったかね?」
「『最高にカワイイ生き物』である。カワイさによる人民支配……それを成すべき存在こそが、我らドラゴンなのだ」
男性は涙をこらえるために、まぶたを指でおさえた。
時代の流れは残酷だ。
「……吸血鬼よどうした。目にゴミでも入ったか」
「入ったのはゴミではない。哀れな生き物だ」
「妖精でもいたのか?」
「……なんでもないよ。それで? 君は今回、なにを言いに私の部屋をおとずれたのだね?」
「うむ。我はこの優れた知力と学習能力により、己で考え、己でことを成してきた。他者の介在などいらぬ……なぜならば、我は賢いゆえに……」
「…………うん、まあ、うん」
「……しかし、このたび、我の今後の方向性を定めるため、客観的意見の必要性を感じたのだ。そこで貴様に、力を借りにきたというわけだな」
「客観的意見ねえ。私はなにについて述べればいいのかね?」
「先ほども言ったように、我がどのジャンルのカワイさを目指せばいいか、貴様の客観的で忌憚ない意見を聞きたい」
「ふむ……ちなみに、私である理由は?」
「わからんか? この城にいるのは、触手、アホ、メイド……まともに意見をくれそうなのは貴様しかおらんではないか」
消去法らしかった。
これから意見をもらう相手に対し『消去法でお前を選びました』も同然の発言をするのは失礼なのだが、ドラゴンの中に『失礼』という概念はない。
「……ドラゴンよ、では、客観的意見を述べよう」
「聞こう」
「君は『カワイイ』を目指すべきではない」
「そういうのはいいから」
「……」
「はー。貴様はほんと、飽きぬものよなあ。我とコミュニケーションをとるたびに『カワイくない』とか、そのネタ、面白いと思ってやっておるのか?」
「…………」
「わかった、わかった。はいはい、カワイくない。カワイくない。……で、真面目な話に戻るが、我はどの方向性でカワイイを目指せばよかろう?」
「君に客観的意見を聞き入れる機能はなさそうだね」
これほど『しゃべるだけ徒労』感を醸し出せるのも一種の才能だと男性は思った。
世間に歓迎されないタイプの才能だ。
「……ドラゴンよ……いい機会だから言うが、私が君を『カワイイと思わない』と述べるのは、ネタでもなければ、繰り言でもない。私から見える真実を、包み隠さず語っているだけなのだよ」
「しかし吸血鬼よ、百歩ゆずって貴様の言葉が本心だとして……」
「なんで私が嘘をついているような感じで受け取るのだ。百歩もゆずるな。本心だ」
「我を『カワイくない』と言うことに、なんの得がある?」
「得?」
「そうだとも。我はカワイイ。これは、我の動画を再生した者のコメントから見ても、あきらかなことだ」
「君はあらゆるコメントを自分の都合のいいほうに解釈するではないか!」
「解釈の余地があるということは、好きに解釈していいということだ」
「そんなわけがあるか!」
「吸血鬼よ、いいことを教えてやろう」
「なんだね」
「貴様はネガティブだ」
一瞬、なにを言われているのかわからなかった。
男性はしばし言葉の意味を考えてから、
「……まあ、ポジティブかネガティブかで言えば、ネガティブなのだろうが……」
「冷蔵庫にプリンがあるとしよう」
「……なんだね、その比喩は」
「聞け。冷蔵庫にプリンがあるとしよう。そのプリンはうまそうだ。だから、食べた。ところがそのプリンは他人のものだったのだ! ……そんな時、貴様はどう考える?」
「……うーん……どういう話術かわからないので答えるのを拒否したいが……まあ、そうだね。他者のものをその気はなくとも奪ってしまったのならば、反省し、他者にあたえた損害を補填したいと考えるのではないか?」
「それが、ネガティブよ」
「……いや、倫理的に当然の意見だと思うがね?」
「うまそうなプリンを食べたら、こう思えばいい。『プリン、うまかった』と」
「……元の持ち主の気持ちはどうなる? 不当にプリンを奪われた、本来の持ち主の気持ちは」
「しかし貴様の意見だと、プリンの気持ちが考慮されておらんではないか」
「プリンに気持ちはない」
「ある」
「ない」
「あるとも! プリンをはじめ、料理、食事どもは、『おいしく食べてほしい』という願いがあるのだ! プリンの気持ちとはすなわち、プリンの作り手の気持ちだ!」
「……まあ、作り手の気持ちと言われれば、たしかにあるかもしれないが……」
「それを『申し訳ない』だとか『損失の補填』だとか、小難しいことを考えおって! いいか、よく聞け! プリンの持ち主の気持ちを考えてネガティブになるぐらいならば、プリンの作り手の気持ちを考えてポジティブになれ! そこで補填とかいう小難しいことを考えるから、貴様はネガティブだというのだ!」
「……プリンについての君の意見はわかったが、それがなんなのかね? 先ほどのカワイさの話とどうつながるのだ?」
「貴様は我をカワイくないと言う」
「言うね」
「我の気持ちはどうなる?」
「……いや、しかし、カワイくないし」
「たとえおっさんの貴様の感性では、若い者におおウケの我のカワイさがわからんとしても! そこでまず文句から入って、誰が得をする!?」
「……それは」
「貴様にとっての真実は、世界にとっての真実ではない! 貴様にとっての真実をこんな、我と貴様しかおらんような場所で発表したところで、貴様は貴様で別に気分よくなかろうし、我だっていちいちネタで『カワイくない』と言われて気分悪いわ!」
「しかしカワイくないものをカワイイとは言えない」
「言えるだろう! 貴様は嘘のつきかたを知らぬ子供か! 貴様のような、『ものを見るたびまず文句を言う輩』が、世間の空気を悪くしているのだ!」
「……」
おどろいたことに――
反論できなかった。
ドラゴンがカワイイかどうかはおいておけば、たしかに、『ものを見てまず文句を言う行為が世間の空気を悪くする』という意見には、反論の余地がない。
「吸血鬼よ。悪態をついたり、問題点を見つける前に、まずは称え、褒めよ。世の中に『真実』などない。貴様の見ている世界があるだけだ。ならば『いいところ』を探せ。さすれば世の中はいいものであふれていくであろうよ」
「……たしかにそうかもしれない。プリンのたとえはちょっと違う気もするが……」
「プリンは、うまかったのだ。うまいものを食べたらするのは反省ではなく、反芻だ」
「まあ、それはそれとして、他者のものをとったら反省はしたほうがいい」
「さて、貴様の意識改革も終わったところで、さっそくこれから我が目指す『カワイさ』の方向性について、貴様から建設的な意見を聞こうか」
「うーむ……」
意識改革は、悔しいことに、たしかにおこなわれたかもしれない。
だが、それはそれとして、ドラゴンは別にカワイくないので、建設的な意見は出せそうもない。
しかしここで『やっぱりカワイくないし』とか言おうものなら、今の話が繰り返されるだけだろう。
男性は『詰み』の状態におちいっていた。
そんな時――
――バァン!
男性の部屋の扉が、勢いよく開かれる。
そこにいたのは、メイド服を着た、黒髪で片目を隠した少女――眷族であった。
「あるじの、おやつの、ぷりんをとった、どろぼうに、しを」
眷族は呪文のようにそんな言葉を言うと、背中側から大きな剣を抜き放った。
眷族の身長より長く、眷族より横幅の広い剣――彼女のベッド用に男性が買い与えたドラゴンキラー(命名 眷族)である。
鬼気迫る眷族(無表情)。
しかし、そんな彼女に接近されてなお、ドラゴンは余裕の表情で笑い、
「……吸血鬼よ。うまいプリンを食えば、その感想は『うまかった』以外にないな?」
「いや、他者のものを盗ったら反省は必要だと思うよ」
ドラゴンは眷族に連行された。
その後、ドラゴンの行方を知る者は誰もいない――(翌日、一部記憶を失った無事な姿で発見された)




