120話 吸血鬼は空気を読む
「おじさん、おはようございます!」
男性が朝のティータイムを楽しんでいると、聖女が現れた。
手にしていたカップを置き、そばにいた眷族に目配せする。
と、眷族はうやうやしく一礼して、部屋を出ていった。
アイコンタクトが正しく伝わっていれば、聖女のぶんのティーセットを持ってくるはずだ。
「おはよう聖女ちゃん。まあ、おかけなさい」
対面のソファをすすめる。
すると聖女は「失礼します」と言いながら、腰かけた。
「おじさん、本日はお話があってまいりました」
珍しく真剣な様子で切り出す。
男性は彼女の桃色の瞳をながめ、首をひねった。
「君が来るたび『お話』はあった気がするのだがねえ」
「そうではなくって、眷族ちゃんについてのお話です」
「ふむ」
珍しい。
いつも聖女は男性に『就職しろ』と言いに来るが――
眷族関連の話をすることは、あまりなかったのだ。
「うかがおう。ああ、本人もいた方がいいかね?」
「最終的にはそうですけど、まずはおじさんだけに聞いていただきたいのです」
「わかった」
「眷族ちゃんなんですけど……」
「……」
「……ひょっとして、眷族なのでは?」
「すまない、意味が……」
「いえ、おじさんは吸血鬼じゃないですか」
「うむ」
そう、おじさんは吸血鬼であった。
現代では『いないもの』とされている未確認非行生物なのである。
どのぐらいの非行を働いているかと言えば、『血風とともに立ち去る者』『忌むべき真夜中の影』などのあだ名を聞けば、なんとなく想像もつこう。
今でこそヒキコモリなどして、無害で無職なおじさんぶっているが――(無職は事実)
かつてはヒトを襲い、その血を吸って生きていた人類の敵なのである。
※今はニワトリの血で生きている。
「いかにも私は吸血鬼だが、それがなにかね?」
「わたし、吸血鬼について調べたんですよ。そしたら、眷族って、つまり血を吸った相手のことなんですよね?」
「……正しい情報が失われているようだね。眷族は、『血をあたえて』つくるものだ。血を吸った生き物ではないよ」
「そうなんですか……それで、眷族ちゃんって、眷族ですか?」
「まあ、眷族は眷族だが……」
「お孫さんじゃなくて、眷族なんですね?」
「そうだねえ」
「つまり、見た目通りの年齢ではない?」
「うむ」
「うーん、そうなのかあ……」
聖女が表情を曇らせる。
珍しい。
彼女はいつだって、明るい顔をしているのだ。
「どうしたね、聖女ちゃん。なにか困り事でも?」
「いえ、実はですね、びっくりさせようと思って黙っていたんですけど……」
「サプライズというやつかね? ……眷族はともかく、私の方はねえ。いきなりおどろくようなことをされても、咄嗟に対応できないし……私にだけは言ってくれてかまわないのではないかね?」
「そうですね。実は――『教科書』を用意していたんです」
「……教科書?」
「はい。眷族ちゃんに、神殿で行っている初等教育用の、教科書を……」
「ふむ……」
「でも、見た目通りの年齢じゃないなら、今さら、いらないかなあ、って」
「読み書き計算ぐらいは、できるねえ。……私が教えたわけではないのだが、いつのまにか覚えていたよ」
「ですよね……」
聖女ががっくりと肩を落とす。
男性は無精ヒゲの生えた顎を撫で――
「しかしまあ、いいのではないかね?」
「……なにがでしょう?」
「いや。……贈り物なのだ。実用性も、もちろん大事だが……それ以上に大事なのは、気持ちではないのかと思ってね」
「……でも、教科書ですよ? 読んでおもしろいものでは……」
「その教科書は、多くの子供たちが『初等教育』として使っているものなのだろう?」
「はい」
「であれば、たとえ、計算や読み書きができたとしても、その教科書は役立つはずだ。……私の無精が原因なので言ってしまうのも恥ずかしい話だけれど、眷族は独学なのだよ。そのせいで、おそらくあいつの読み書き計算は、今風ではないのだ」
「……読み書きはまあ、古語がありますからわかりますけど、計算が『今風でない』とは?」
「教育には時代が反映される」
「……」
「教える順番はもちろん、過去にあって、今はない教育、また、今あるのに、過去にはなかった教育……そういったものを知り、学ぶことは、あいつのためにもなるはずだ」
「えっと……」
「簡単に言えば――『読み書き計算』のために、『読み書き計算の教科書』を使うのではない。『歴史教育』のために、現代の『読み書き計算の教科書』が役立つだろう、ということだよ」
「……なるほど」
「まあ、あいつの生まれたころはそもそも現代のように、多くの子供が机を並べるような教育は存在しなかった……しても、あまり有名ではなかったので、そもそも『教科書』自体がなかったが」
「現代の教育形態についてはお詳しいんですか?」
「ネットで知ったのだ」
「……」
「君たちにとっては当たり前のことだから、私のような過去の者に対して『現代の教育はこうなっています』というように解説がなされていたわけではないよ。だが、様々な情報を総合し、そこから想像する……そうして実態を推測するという『遊び』を、私は好むのだ」
「……」
「『空白を埋める遊び』、とでも言うべきか。……そして、その遊びで養われる能力は重要なものだと、私は考えている。君が教科書をくれるならば、眷族にその遊びをさせる役に立つと、そういう話だね」
「うーん……ちょっと難しいです」
「そのうちわかるかもしれないし、わからないかもしれない。……今の話は、私の『趣味』のようなものだよ」
「趣味、ですか?」
「『自分の経験からの教訓を若者に話す』――歳をとった者は、そういう『趣味』を多かれ少なかれ持つようになるのだ。君たち若者にとってはうるさいだけかもしれないが、それでも記憶の片隅にとどめおいてもらい、いつか役立ったら、これ以上の喜びはない」
「わかりました。貴重なお話、ありがとうございます」
「いや、なに」
「……お陰で、おじさんの考えはわかりました。私にはおっしゃられたことすべてを理解はできませんでしたが、とても素晴らしいお考えだということは感じました。……しかし、眷族ちゃん自身の意思がどうなのか……」
「ふふふ」
「……どうされました?」
「いや。お茶が遅いと思ってねえ」
男性は指を鳴ら――ではなく、テーブルの上に置いてある、『ファミレスのアレ』を押した。
機械的な『ピンポーン』という音が鳴り響く。
そして――
ガチャリ。
そんな音を立てて、お茶を持った眷族が入ってくる。
「あ、眷族ちゃん……」
「…………」
眷族は聖女の前にティーセットを出す。
そして、お茶を注いだ。
「眷族ちゃん、その……」
「きょうかしょ」
「……うん」
「…………ありがたく、いただく、です」
「うん」
それきり、眷族は黙った。
男性は笑う。
「さあ、お茶にしようか」
男性は二人に言った。
そう、男性はわかっていたのだ。
眷族は教科書の話が始まったぐらいには、すでに部屋の外にいたが――
色々意見を聞かれるのがめんどうで、話がいい具合にまとまるまで部屋に入らず待機していたのだと。
あと、教科書も別にもらってももらわなくてもどっちでもよかったが――
『もらわない』と言うと、質問とかされそうでめんどくさかったから、もらうことにしたのだと。
男性はわかっていたが、解説はしない。
聖女が嬉しそうにしているし、眷族とて、絶対にいらないというわけではないだろう。
だったら、わざわざ詳細を解説して台無しにすることはないのだ。
吸血鬼は、最近、空気が読めるのである。




