12話 吸血鬼はそれでも宿敵を見捨てない
「ところで、我を散歩に連れて行くのはどっちなのだ?」
渋く、重々しく、威圧感のある声があたりに響いた。
全員の視線が声の主に向く。
それは赤いウロコに体表を覆われ、頭には角が、背中あたりには一対の翼が生えており、長い鎌首をもたげ、瞳孔が縦になっている爬虫類みたいな目をした――
四足歩行の、ちょうど女の子が両手で抱えるのに適したサイズの――
犬だった。
本当は違う。
ドラゴンと呼ばれる、今ではお伽噺にしか出てこない種族だ。
本来のドラゴンは山のように巨大で、軽く嘆息するだけで町一つを灰にするような炎の息吹を吐く、人類にとっての天災である。
それが長く眠っているあいだに力が衰え、今では散歩をねだっている。
暗い室内で響く『ハッハッハッハ……』という息づかいが異様な雰囲気を醸し出している。
部屋の主――吸血鬼の男性はベッドから上体を起こした体勢で頭を抱えた。
犬――もとい、このドラゴンはかつてのライバルであった。
それが今やこのていたらく。
時の流れの残酷さにただただ打ちひしがれるばかりだ。
「おい吸血鬼、なんだその顔は」
頭を抱えていたら、指摘された。
ふわりと飛び上がり、ドラゴンが目の前まで飛翔してくる。
「吸血鬼よ、貴様、まさか――我が犬的な動機で散歩をねだったとは思っておるまいな?」
「……違うのかね?」
「もちろん違う。我はあくまでも生存のため犬のまねを磨いていっただけであり、その生態は『大いなる天空の覇者』、ドラゴンである」
「では、なぜ散歩など……」
「趣味だからだ」
「……犬が散歩をしたがる動機と、どう違うのかね」
「違うとも」
だが、具体的な違いは示されなかった。
ドラゴンははばたき、吸血鬼の眼前に浮かびながら続ける。
「しかし、我はこの城の内部構造に詳しくない。一人で散歩を開始しては、どこかで迷って遭難する可能性がある」
「たしかにこの城は広い……しかし、そこまで無節操な広さでもないはずなのだがねえ」
「我は道を覚えるのが苦手でな」
それ、帰巣本能のある犬より劣っ……
男性は浮かび上がった考えを、頭を振って打ち消した。
「……わかった、わかった。しかし、私はこの城のことならばだいたい把握できる。君が一人で回って迷っても、あとから迎えに行くことも可能なのだがね?」
「迎えを待っているあいだ寂しいではないか」
「……君は本当に、かつて私と何度も殺し合い、そのたび生き延びた竜王なのかね?」
「もちろんだとも我が宿敵よ。思い出すな……あのナハトヴルム山頂での決戦……空を舞う我に対し、貴様はコウモリの編隊を率い挑んできた」
「ああ、たしかにそんなこともあった――追い詰めたと思ったら、君の咆哮でコウモリたちが落とされ、最終的には一騎打ちになったな」
「うむ。その矮小なる大きさで、我と一騎打ちをし、逃げ延びるとは――あの時は言わなかったが、あの戦いで我は貴様を認めたものだ……」
老人二人は遠い目をして過去を懐かしむ。
まぶたを閉じれば、脳裏にはかつて駆け巡った空が浮かぶかのようだ。
「それで、どちらが我を散歩に連れて行くのだ?」
かつて駆け巡った空が消え去った。
戻れないあの日々が男性の胸をしめつける。
「……眷属」
男性が呼びかける。
すると、部屋の隅で控えていた、片目を黒髪で隠したメイド服姿の少女――眷属が近付いてきた。
「眷属よ、我が宿敵を散歩に連れて行ってあげなさい」
「…………」
眷属は口を半開きにして、目を半眼にして、眉間にシワを寄せて、鼻の穴を大きく開いた表情で停止した。
つまりは超イヤそうだった。
「……なにがそんなにイヤなのかね?」
「…………」
「まあ、こいつとは確執もあったが、今は世界に残り少ない人外同士、手を取り合って生きていくのもいいだろう」
「……」
「そうではないのか……すまないが、言葉にしてくれないか?」
眷属は世界中の『大嫌い』という気持ちをその顔面で全部引き受けたような顔になった。
つまりは超イヤそうだった。
「なぜお前は、そんなにもしゃべるのを嫌がるのかね?」
「……」
「しかし理由を言ってくれないことには、どうにも」
「…………」
眷属は深いため息をついた。
つまりは超イヤそうにして――
「じぶんで、かったんだから、じぶんで、せわしてください」
「…………」
「せわしてください、ませませ」
どうやら『ませ』を余計に一つつけるぐらい、散歩に連れて行くのがイヤなようだった。
そこまで嫌がるのならば仕方ない。
「……ドラゴンよ、私が君の散歩をしよう」
「うむ、ようやく決まったか。我は待ちくたびれたぞ」
ドラゴンはあくびをしながら後ろ足で首を掻いていた。
足は短めだが首が長いのでどうにかなっているようだ。
ひとしきりあくびをして――
体を小刻みにプルプルさせてから、ドラゴンが言う。
「――と、そうだ。危ない。我としたことが、大事な物を忘れるところであったな」
「どうしたんだね」
「昨日、あのあといったん帰ってまた城に来た聖女から、我への捧げ物を受け取っていたのだ。ええと――『首輪』と『リード』だな」
「………………」
「身につけるのがどうやら、フォーマルルックらしい。さっそく我の首に首輪をつけ、リードを引いてもらおうか」
男性は固まった。
どうコメントしていいかわからないぐらい複雑な感情が、彼の中ではうずまいていた。