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118話 筋肉とはなにか?

「吸血鬼さん……吸血鬼さん……」



 呼びかけに応じ、男性は目覚めた。

 真夜中だから、寝ていたのだ。


 しかし、男性は吸血鬼であった。

 本来は『闇を征く者』などと呼ばれる夜行性の生き物である。


 今時はお伽噺ぐらいにしか出てこない、幻想種扱いされているが――

 事実、男性はかつて、闇夜を歩き、人類に恐怖された本物の吸血鬼だったのだ。


 それが、『夜に起こされる』。

 男性は己の変化に思わず笑みをこぼさずにはいられなかった。

 これではまるで――ヒトのようではないか、と。



「吸血鬼さん……」

「なんだね、妖精。聞こえているよ」



 男性はベッドで上体を起こす。

 そして、暗闇の中で燐光を放ち飛ぶ、小さな小さな少女を見た。


 妖精。

 手のひらに乗ってしまうようなサイズの、背に四枚の羽根を生やした生物である。


 これもまた、幻想種扱いされている、世界では『いないもの』とされる生き物だ。

 夜におじさんのもとに妖精がおとずれ、ささやきかけ、起こす――

 男性がおじさんでさえなければ、物語の始まりを予感させるような一幕であった。



「吸血鬼さん……妖精さんの質問に答えてほしいのです」

「その質問の答えはネットに転がってはいないのかね?」



 五百年ヒキコモリを続け、世間とは隔絶した暮らしを行っていた男性ではあるが――

 ――最近、文明に毒されていた。


 また、寝起きなのである。

 男性は紳士であるから、眠っているところを起こされても相手を邪険にあつかったりはしない。

 しないのだが、年に一度ぐらいは腹の虫の居所が悪い日もある。

 今日がたまたまその日であり、寝込みを起こした妖精への扱いが多少ぞんざいになってしまうのは、仕方ないことと言えた。



「吸血鬼さん」

「……なんだね」

「筋肉とはなんなのですか?」

「そこにある『ケイタイ伝話(でんわ)』で調べたまえよ」

「妖精さんがほしい答えは、そこにはないのです。筋肉とはどういう物体か? そんなことは知っているのです。妖精さんはエリートで、賢いので……」

「……」



 男性は押し黙る。

 妖精の知能は、頭の大きさから見てわかるように、耳かきいっぱい程度だが……

 筋肉や運動関連の知識は、だいぶためこんでいるのだ。


 男性はそれら知識のせいで日常生活に必要な知能が圧迫されている説を提唱している。

 つまり妖精の知能は筋肉に支配されているのでは? という疑いを抱いているわけである。


 その妖精が『筋肉とはなにか?』と問いかけてくるのだ。

 男性はちょっと本腰を入れないといけないかなと思い、身を乗りだした。



「妖精よ、君の質問の意図がわかりかねるのだが……君はどのような答えを求めているのだね?」

「筋肉についてなのです」

「いや、それはわかる。しかし、その意味がわからないのだ。『タンパク質がどう』とか、そういう話ではないのだよね?」

「吸血鬼さんは、筋トレをしていないのです」

「……まあ、していないね。一瞬やったが、長続きはしなかった」

「でも、吸血鬼さんは筋肉なのです」

「……まあ、意味はわからなくもないから、うなずいておくか」



 男性は筋肉であった。

 太い首。盛り上がった僧帽筋。発達した三角筋。

 上腕は二頭筋、三頭筋などすべての筋肉がバランスよく鍛えられ、腕だけで美しい逆三角形を描いている。

 前腕の太さ、美しさも、その筋の審美眼を持つ者であれば思わずうなるようなレベルだ。


 腹筋が六つに割れているのなど言うまでもない。

 もちろん腹直筋だけが鍛え上げられているわけではない。背筋はもちろん、外腹斜筋、内腹斜筋にいたるまですべての筋肉がバランスよく張り詰めているからこその太く美しい胴回りを維持できているのだ。


 臀部の筋肉たるや、もしヒトが見ればその人類では及ばぬ美しさの頂に、ある者はため息をつき、ある者はひっぱたきたい衝動にかられることであろう。

 俗に『尻えくぼ』と呼ばれるものが、本来まるく柔らかいイメージをあたえる『臀部』という箇所に、硬質な印象と色気を同居させているのだ。


 奇跡のバランス。

 臀部から伸びる大腿も美しくないわけがない。


『上半身に比べ下半身が貧弱』――見てくればかりを気にする者は、そのような状況に陥ることがある。

 胸板はあついのに、腹筋は割れているのに、ふとももはだるんだるん――そういう悲しいことが、たしかに世の中にはありうるのだ。


 ところがどうだ、その太く、ぎっしりと中身の詰まった大腿は!

 鍛えていない人体の腕や脚などは『円柱形』に見えるもの。

 けれど男性のそれは『三角錐』と表現されるべきであろう。


 臀部から膝に向けて次第に鋭角になっていく、(じつ)のある、見てくれだけではない筋肉。

 膝から足に向けても同様で、鍛え上げられたふくらはぎは、そこに装甲でも入れているかのような、堅牢な印象を他者に与える。

 それらすべての重量を支える足自体も、小さくはなく、けれどいびつに大きいということもない、美しいサイズ、デザインをしている。


 まさしく筋肉。

 そう、男性は吸血鬼であり、おじさんであるが、それ以前に筋肉だったのだ。



「吸血鬼さんは、筋肉なのです」



 妖精はもう一度言った。

 男性はまたうなずく。



「ああ、たしかに私は筋肉だろう。しかし、それが、なんだね?」

「一方、妖精さんは筋トレをがんばっているのです。けれど、筋肉ではないのです」

「ふむ」



 男性の体を上から順番にもんだならば、『ガチッ! ムチッ! バキィ!』と音がするだろう。

 ……もちろん優れた筋肉は柔軟性も備えるものだ。だからあくまで、この硬そうな音はイメージにすぎない。


 一方、同じイメージで語るならば、妖精の体を上から順番にもめば、『ぷにっ、ふわっ、とろっ』と半熟オムレツみたいな音が出るだろう。

 そう、妖精は筋肉を目指しているが、その身はまだまだ筋肉ではないのだ。



「妖精さんは気付いてしまったのです……筋肉を鍛えるために、筋肉を鍛えることに意味はないと……」

「……んんん? つまりどういうことかね?」

「毎日鍛えても体が吸血鬼さんのサイズにならないのは、きっと、少し調べただけではわからないなにかがあるからなのです」

「ふむ、まあ、君が私のサイズになるのは、ちょっとした悪夢だが……」



 どうしてこの城の女性陣は大きくなりたがるのか。

 男性はその疑問をひとまず横においておいて、考える。



「……妖精よ。つまり君は、こう言いたいわけだ。『努力をしていない吸血鬼が自分より優れた筋肉を持っている。だから、なにか特別なことを知っているに違いない』と」

「妖精さんはそう言いたかったですか?」

「そう言いたかったのだ」



 決めつけた。

 妖精と会話するコツは、妖精の疑問をいちいち本気で検討しないことである。



「しかしね妖精よ……世の中に『優れている者だけが知っている特別なこと』などないのだよ」

「でも……」

「いいかい、聞きなさい。……自分より成果を出している者を見て、その者をうらやみ、『きっと特別で簡単な方法を知っているに違いない』と思うこともあるだろう。けれどね、そんなものは幻想なのだ。成功している者が知っている情報は、君もたしかに手に入れていて、けれど気付けていないことでしかなく、あるいは君の知らないところで地道な努力を重ねた成果でしかないのだ」

「……」

「だから、うらやむあいだに、君も君なりの努力を重ねるべきなのだよ。……たとえ『才能』や『資質』と呼ばれるものが君と成功者とのあいだにあったとして、それは手に入れられないものなのだから、うらやむだけ時間の無駄というものだろう?」

「……」

「わかったかね?」

「わかりました」

「そうか」

「ところで、吸血鬼さんは、きっと、妖精さんの知らないなにかを知っていると思うのです……それさえわかれば妖精さんも筋肉がすごくバンプアップだと思うのです……妖精さんは賢いから、気付いてしまったのです……」

「……」



 どうやら妖精は賢い言い回しを覚えたようだった。

 普段なら『わかるー』とわかりやすくわかっていない感じの返事をしたのに、今は『わかりました』などというガチでわかっているみたいな返事をしたもの。


 騙された。

 妖精はなにもわかっていない。



「妖精よ」

「吸血鬼さん、筋肉とは……」

「筋肉とは、努力だ」

「……努力?」

「そうだ。努力だ。がんばれ!」

「が、がんばればいいですか? がんばるだけで?」

「そうだとも。成功者はいつだって『努力は報われる』と言うだろう? つまり、努力をすれば成功するのだ!」



 欺瞞であった。

 成功者も努力してるかもしれないが、失敗した者が全員努力を怠っていたかと言えば、そんなことはないだろう。


 でも、男性は言い切る。

 妖精にはわかりやすい言い回しでないと伝わらないのだ。



「努力……! 妖精さんは、努力です!」

「そうだとも! さあ、努力せよ!」

「努力するです!」

「とりあえず明日の筋肉のために、夜は眠りなさい」

「眠るです!」



 妖精はそう言って、男性の部屋のテーブルに降りた。

 寝た。



「…………」



 男性は微妙な表情でため息をつき――

『こんなこともあろうかと』と眷属が用意していた(何度か妖精が男性の部屋で夜を明かしたことがあるのだ)妖精用毛布をそっとかけると――



「……私も寝直すか」



 寝た。

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