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117話 吸血鬼、記憶喪失になる

「うーむ……困ったぞ……」



 ソファに腰かけ、ローテーブルに向かいながら、男性はうめいていた。

 室内に照明はともっていないが、男性は視界には困っていない。


 なにせ、男性は吸血鬼である。

 闇夜を見通せずして、吸血鬼ができようか?

 だから男性は、視界に困っているわけではないのである。



「……おい、吸血鬼よ。『困ったぞ』のあとに言葉を続けぬか。この我がヒマにあかせて貴様の相談にのってやろうという気分なのだぞ」



 しゃべったのは、小動物であった。

 この赤い、毛のない、首の長い、ずんぐりむっくりした、最近また太り気味になってきたこの小動物、どうやら世間では犬と思われているようなのである。


 ありえない。

 どう見てもドラゴンだろう――男性は見るにつけ、しゃべるのを聞くにつけ、そういう思いを禁じ得ない。


 だけれど、世間は男性のような観点はもっていないらしいのだ。

 なぜならば、吸血鬼もドラゴンも今では『幻想種』――『お伽噺の中にしか登場しない生き物』扱いであり、現実に目にした生物に幻想種の名をあてはめることを、世間のヒトはしないのである。


 でも、ちょっとは自分の目も信じた方がいいと思う。

 犬に見えるかぁ? コレが?



「なんだ吸血鬼よ、我をまじまじと見て……まさか!? ついに貴様も我のカワイさに気付いたか! いや、気付かぬはずがないものな……気付いていたが目を逸らしていた事実を、ようやく認めたくなった、といったところか……」

「どうしよう、最近、君のカワイさトークが始まるたび、私は諦念を通り越して殺意がわくようになってきたのだがね」

「殺意を抱くほどカワイイのか……」

「……」



 ドラゴンはポジティブの化身であった。

 己に都合が悪い解釈はせず、己に都合が悪い発言は聞こえないのである。


 男性は殺意の先にまたやってきた諦念の視線で、テーブルの上で腹を見せて前脚をチョイチョイとやるドラゴンを見据えて――

 ――戯れに、悩みを打ち明けてみることにした。

 少なくともドラゴン(老人男性)の『(本人は)カワイイ(と思っている)ポーズ』を延々見せつけられるよりは、マシだろう。



「ドラゴンよ、居住まいを正して聞いてくれるかね?」

「待つのだ吸血鬼よ。カワイイポーズは『型』……一度開始したら、終了するまで止めてはならぬのだ」

「では終了したら教えてくれたまえ」

「わかった」



 その後ドラゴンは、何度か前脚後ろ脚でチョイチョイと空中をひっかいたあと、起き上がろうとして起き上がれず、ジタバタしたすえに横回転し、転がったままテーブルから落ちた。

 本当に一通りやったドラゴンが、背中の翼ではばたきながらテーブルの上に戻ってくる。



「終わったぞ」

「……ドラゴン、実は、私が困ったことというのはね、記憶喪失なのだよ」

「ああ、年齢からくる……」

「否定はしないが、まずは最後まで聞いてほしい。いいかねドラゴンよ、私は今、なにかをしようとしていたのだ。それは趣味の続きであり、つい先日までたしかに着手していたもののはずなのだ」

「ふむ」

「私は一度趣味として始めたからにはとことんこだわる方でね……その趣味としたものの来歴も一通り調べるし、その道で有名な者が書を記したとあれば、取り寄せて読む。今は通販とネットで便利な時代になり、私の抱え込んだ情報量はかなりのものになっているのだ」

「……なにやら妙なまわりくどさを感じるな。つまり、『その趣味』とはなんなのだ?」

「思い出せないのだ」

「……」

「やっていたこともわかっているし、今さら名前を忘れるようなアレでもないはずなのに、名前が全然、思い出せないのだ……!」



 恐怖!

 名称が出てこない!


 男性は困惑していた――いや、愕然としていた。

 その趣味は、男性にとって『趣味』と呼べるぐらい習熟したものだったはずなのだ。

 しかも、そんなに複雑な名前のものではなかったようにも思う。


 誰もが当たり前にやる、アレだ。

 そのアレが、出てこない。

 なんとなくふんわりどんなのかは覚えているのに、名前を言おうとなると、記憶にガッチリと鍵をかけられてでもいるかのように、全然、最初の文字さえ、思い出せない!



「ドラゴンよ、君は年齢ゆえのアレと言うし、私も今さら『いいや、私は若いのだ』と言うつもりはない。なぜならば、私は年齢を受け入れたからね」

「そうだな」

「しかし、いくら年齢でも、ここまでの記憶喪失が起こるものだろうか? 逆に、年齢を重ねていない者には、起こらないものなのだろうか? ……ここまでわかりやすいものの名称が全然出てこないと、私は年齢ゆえの衰えではなく、身体の異常の方を疑ってしまうのだよ」

「しかし貴様、吸血鬼であろうが。身体の傷や病などであれば、たちどころに治るのが自慢であろう?」

「そうだが、例外はある。たとえば聖女ちゃんの目の前で翼が出ないなどの問題は、今解決していないし、今後も解決のめどは立っていない」

「うむ」

「それに、それにだ――白状すれば、脳機能の衰えは、聖女ちゃんとは関係なくだんだん進行しているような気さえ、する……」

「……なんだか我も急に怖ろしくなってきたぞ」

「つまり、吸血鬼でも、ゆるやかな、あるいは急激な脳機能の減衰ないし破壊は防止できないという仮説が立つ」

「いかにも」

「だからね、私を悩ますこの症状は、年齢によるアレなどではなく、放置したら手遅れになるたぐいの、深刻な破壊が起こっている――という可能性は考えられないかね?」

「おい、やめよ。その話はサブイボが立つ。我が笑えぬたぐいの年齢の話はよすのだ」

「現実を見つめたまえ。君にも似たような心当たりがあるのではないかね?」

「あるから、やめよ、と言っておるのだ!」



 ドラゴンが長い鎌首をもたげて、頭を身体の下に隠した。

 彼なりの『耳をふさぐ』ポーズのようだった。


 しかし男性はドラゴンを持ち上げる。

 そして、ジタバタ短い手足をもがかせる彼に、続けた。



「吸血鬼! 吸血鬼ィ! 貴様、放せ! 放さんか!」

「これは我らにとって重要な話なのだ。この城で年長組に入る、私と君に……」

「年長で我と貴様をくくるな」

「以前、君が年長で私と君をくくったこともあった」

「我がやるのはいいのだ!」

「……聞きたまえ。君がいかに『魔法で醜い竜に変えられているかわいそうな美少女』を自称したところで――」

「おい、『醜い』とかいう我にそぐわぬワードが入ったようだが?」

「――我らは、歳をとっているのだ」

「……い、息ができない……」

「別に首はつかんでいないが……」

「避けたいのに避けられない現実を正面から突きつけられると、我は呼吸がままならなくなるのだ……!」



 体機能が現実逃避をしたがっているらしい。

 己の肉体に意識を向ければ、男性の身体もたしかに、悲鳴をあげているような気がした。


 ああ、心が拒否している――

 そうだ。これから始まるのは――



「ドラゴンよ、我らも『終活』をすべきなのだ……!」



 ――己の死後の話。

 いや、『死後』ではない――きっと寿命はまだまだ先だろう。

 死なないからこその、話。



「聞くのだ、ドラゴン! もし我らがこのまま歳を重ね、寿命は尽きず、けれど今私に起こったような異常が頻発するようになれば! その時になってから、自分の身の振り方を考えても遅いのだ!」

「グワァァァァ! イタイイタイイタイ! 心が! 我の繊細なハートが! やめろ! やめてくれ! 我はそんな我の姿想像したくない!」

「私とてそうだ! しかし、私は君たちの生活を保障する立場! 私がもし直前に自分がなにをしようとしていたかを記憶できない身になった時、備えがなくば困るのは君らなのだぞ!」

「ぐううう! なぜ我はヒキコモリ老人に生活の保障をされているのだ……! これが巨乳の年下寮母であればラブコメだというのに……!」

「ラブコメがなにかはよくわからんが、爬虫類と人類でも成り立つものなのかね?」

「最近は成り立つのだ」

「そうか……まあ、では、いい。はなはだ不本意だが、君が話を聞くとあらば、私を君の好きな姿と思って聞いてくれたまえ」

「その声! そのガタイ! その無精ヒゲ! 貴様の全てが我の想像力を凌駕する! せめて縮め! できるであろう!?」

「私は今の姿に誇りがあるのだ。君の想像の中で陵辱されるのは止めようもないが、私が自ら君の想像で陵辱されるために姿を変えることは、ない」

「貴様を陵辱など、我とてしたくないわ! ええい! 放せ!」



 ドラゴンが、男性の手から抜け出す。

 そのまま羽ばたき、男性と距離をとった。



「我はまだ死なぬ! 脱皮を繰り返し永遠に生き、いつか本物の美少女となるのだ!」

「君っ! まだそんなことを……! いいか、君が生きるつもりかどうか、そんなのは関係がない! ヤツは――『死』は、『年齢』は、容赦なく平等に我らに襲い来るのだ!」

「逃れてやるわ! 貴様の手より逃れたようにな!」

「『死』は私ほど甘くはない! 考え直せ! 受け入れるのだ!」

「ハハハハ! 我は死なぬ! 我は老いぬ! 我は永遠にカワイきドラゴンなのだァァァ!」



 ドラゴンが羽ばたき、逃げていく。

 男性はとどめるように手をのばしていたが――

 その手を、くたりと力なく落とす。



「……ドラゴンよ、認めねば、ならぬのだ。認めねば、いつかきっと、私のように……」



 大事なものを思い出せない恐怖を、味わうことになるだろう――

 なお、思い出せなかったアレは、このあと一時間ほどぼーっとしていたら、急に思い出した。

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