114話 吸血鬼と眷属のお茶会
「……む?」
男性は視線を感じて背後を振り返った。
しかし、誰もいなかった。
自室である。
男性はヒキコモリレベルが高いので、外出はおろか、自室から出ることさえ希なのだが――
今日はなんだか、やけに背後から視線を感じるのだ。
「……むう」
視線の主がわからない。
これは、男性にとってありえないことであった。
なぜならば、男性は吸血鬼である。
その気配感知能力は非常に高い。
城内で起きたことであれば、室内にいながらだいたい把握できる。
最近、『趣味に没頭していると無理』『寝ていると最近すぐには起きられない』『なじんだ気配だと慣れてしまってよくわからない』などの例外こそあるが、今でもまだすごい方だろうという自負はある。
それが、視線を感じるほどの距離にいられて、わからない。
だから男性はぬいぐるみキットの説明書をテーブルの上に置き、ソファに深く腰をあずけて、ちょっと考えてみる。
逆に。
逆に――『こっそり視線を投げかけてくる者』は、誰かいただろうか?
さすがにまったく知らない誰かが侵入していればわかる自負があるので、城の住人、そうでなくとも一回以上男性とコミュニケーションをとったことがある相手と予想できる。
男性とコミュニケーションをとった相手となると、非常に少ないので、簡単だ。
聖女、竜の末裔で吸血鬼の魔法使い、その弟――
城の住人だと、眷属、ドラゴン、妖精、ミミック。
この中で『こっそり視線を投げかけてくる』という慎ましさを備え、なおかつ男性が振り返った瞬間に煙のように消えられる者は――
「……眷属よ、そこにいるのはわかっている。後ろからこっそり見ていないで、用事があるなら言いなさい」
男性がそう言った瞬間――
正面、テーブルから生えてくる者があった。
そう、『生えてきた』のだ。
男性は知っている。この出現方法は、男性も昔やったことがあったからだ。
影に潜み、タイミングを見計らって、影から出現する。
魔法の一種なのである。
そんなわけで、テーブルの上にメイド服を着た少女がせり上がってきた。
黒髪で片目を隠し、眠いんだか機嫌が悪いんだかわからないぼんやりした表情をした、まだ幼い女の子である。
予想にたがわず、眷属である。
彼女は腕を組み、足を肩幅に開いた状態で、テーブルの上に出現した。
「……」
「…………」
「………………」
そしてまた、影に沈んでいく。
男性がぼんやり見ている前で、影からゆったりと出てきた眷属は、またゆったりと影の中に戻り、見えなくなった。
「……お前はなにがしたいのだ」
男性もさすがに困惑する。
すると、再び、眷属が影から出てきた。
ただし今度は全身ではなく、頭だけである。
第三者が見れば、テーブルの上に少女の生首が乗っているように見えるだろう。
「…………あるじ」
頭だけ影から出した眷属が、言葉を発する。
非常に珍しいことである――眷属はしゃべるという行為を非常に嫌う。
きっと大事なことを言おうとしているのだろう。
男性は身を乗りだした。
「なんだね?」
「…………できるようになった」
「なにが」
「かげに、しずむやつ……」
どうやら新たに習得した技能をお披露目に来ていたようだった。
男性は口元に笑みが浮かぶのをこらえられなかった。
「……わざわざその報告をするために、機会をうかがっていたのかね?」
「…………」
テーブルの上に乗った生首がうなずいた。
男性は笑う。
「そうか。それはなんというか……」
「……」
「いや、すまないね。こういう時、どういうことを言えばいいのか、私にはよくわからないのだよ」
「……がんばった」
「そうか。ならば、『よくやった』と褒めることにしよう」
「…………ひとがたに、なるのは、ふひょうだったので」
「不評ということもないが……お前はよくわからないところで、よくわからないことを気にするのだね」
「……」
「ううむ……」
男性はうなる。
なんというか――最近、眷属と間がもたなくなってきているのであった。
昔はそもそも『手足』という扱いだったので、存在を気にすること自体が珍しかったが……
最近の眷属は急速に『一個の人格』と化しているので、男性は接し方をはかりかねているのである。
その戸惑いというべきか、困惑というべきか、もやもやとした感情は、どうにも眷属側にも伝わっているようで、最近は眷属の方も、ちょっと距離をおいている――
――ような、気がする。
すべて男性の杞憂かもしれないが。
「……眷属よ、今日のお前はしゃべってもいい気分のようだし、ちょっと他愛ない話をしようか」
「……?」
「これといったテーマはないよ。ただ、なんというのかな……本当に、とりとめのない雑談をしてみようかと思ってね。お前の趣味とか、お前のしたいこととか……」
「…………?」
「不器用な切り出し方ですまないね。ただ、私も戸惑っているのだよ。……眷属との接し方に戸惑う吸血鬼か。これでは主と眷属というより、まるで……」
「……」
「……いや。なんでもない。ともかく、今日はお茶でも飲みながら、少しお前と向き合ってみようか」
眷属は男性の提案にうなずいた。
かくして始まったお茶会は、なぜだか微妙にむずがゆいような、しかし居心地の悪い感じではない、不思議な空気が漂っていたという――




