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112話 妖精と筋肉と汗の園

「吸血鬼さん……妖精さんはお城を出て行くのです……」



 男性は思わず跳ね起きた。

 あまりの異常事態に、己の聴覚を疑う。


 だが――正常に決まっていた。

 なぜならば、男性は吸血鬼である。


 世間的には『吸血鬼なんかお伽噺にしか登場しない』と思われているので、ヒトには完璧に『無職ヒキコモリおじさん』扱いをされてきたが……

 そのへんにいる、ただのおじさんとはわけが違うのである。


 自己再生する、おじさんだ。

 なので、聴力をふくめ、身体に年齢による衰えはありえないのであった。



「妖精よ……急にどうしたのだ……」



 だから、聞いた言葉に間違いがありようはずもなく、男性は年甲斐もなくオロオロした。

 とりあえずベッドのふちに腰かけ、意味もなく枕元から眼鏡(伊達)を取り出し、かけたり外したりする。


 視力だって悪くない。

 男性が見ている先にいるのは、手のひらに乗ってしまいそうなほど小さな、背中に生えた薄い羽根をせわしなく羽ばたかせ宙に浮く女の子だが――

 あれだって妄想や遠近法によるトリックなどではなく、あの小ささで実在するヒトガタの生物なのである。


 妖精。

 世間では吸血鬼同様『空想上の生き物』扱いではあるものの、吸血鬼と違って広く愛されている存在だ。


 知能がヤバイぐらい低いという欠点はあるものの、容姿の可憐さとあいまって、城内でもみんなに――一部『自分より愛される者が嫌い』とかいう性格の悪いドラゴンを除いて――愛されている。

 だから、城での生活がつらくて出て行くわけではないと思うのだけれど……



「どうしたのだ……まさか、君のかわいらしさを妬んだドラゴンが嫌がらせを……? あるいは……そうだな……ドラゴンが嫌がらせを? もしくは……ええと……ドラゴン……ドラゴンが……嫌がらせを……?」

「わかるー」

「……そうか。それはないな」



 ドラゴンの嫌がらせ以外の可能性が思いつかなかったが、それもなさそうだ。

 なにせ妖精の知能では、たとえ本当に嫌がらせを受けていても、それを知覚できないのだから……



「ハッ!? そうなのです。吸血鬼さんに言わなければいけないことが……」

「城を出て行く話かね?」

「どうしてわかったのです?」

「……まあ、話を続けなさい」

「妖精さんはお城を出ていかなければならないのです……なぜならば……」

「……」

「家の中でできる運動には限界があるから……」

「……」



 男性はちょっとだけ考えてみた。

 そうして、察した。



「ひょっとしてそれは、夕飯までには帰る感じの外出なのかね?」

「妖精さんはエリート妖精さんなので、ご飯はしっかり食べるのです。食事をおろそかにしては筋肉がつかず、頭が悪く、そうして妖精さんは頭がいい……」



 なんか別に長くない外出のようだった。

 深刻な様子で切り出されたのでなにかと思ったが、ひと安心だ。

 しかし――



「妖精よ、その、なんだ、外出はどうしてもしなければいけないものなのかね? 世間は君にとって、そう安全な場所ではないと思うのだが……」



 現状、妖精は『実在しない生き物』という扱いになっている。

 世間にあふれるニンゲンに見つかれば、どんな扱いを受けるかわからない。

 実際、ドラゴンなんかは『変な犬』扱いで石とか投げられたらしい。



「家の中でできる運動には限界があるとはいえ、君は小さく、この城は広大だ。どのような運動をしたいのかはわからんが、君一人が走ったり飛んだりしたところで、この城は狭すぎないと思うのだがね」

「わかるー」

「外に行くのはできたらやめてほしい」

「それはできないのです」

「なぜだ」

「妖精さんは――ジムに会員登録をしに行くのです」

「……すまない、なんだって?」

「吸血鬼さんに言わなければいけないことが……」

「そこから繰り返さなくていい。……ええと、ジムに会員登録? ジムとはなんだね?」

「マッスルエリートたちが集う、筋肉と汗の園なのです」

「……実態が見えてこないのだが」

「なんでも様々な器具がそろえられ、鍛えたい筋肉を集中的にトレーニングでき、希望があれば専属のトレーナーがつく他、運動後はプロテインバーで他の筋肉さんたちとエリートらしいマッスル談義ができるとか……」

「……」

「妖精さんが、妖精さんの動画を見ようとしたら、いきなりそういうことを言われて、これはきっと、妖精さんが、妖精さんに、妖精さんたちのことを教え、導こうとしているのだと妖精さんはエリート的な考えでわかったこと多数」



 ようするに動画を再生すると出てくる広告みたいなもので、ジムとやらの紹介があった、ということなのだろう。

 男性もすっかり妖精言語に慣れたものである。



「うーむ、しかし、君の話を聞くに、どうにもその『ジム』はニンゲン用施設のようではないか。君のサイズで使える『器具』があるとは思えないのだが……」

「しかし吸血鬼さん、そこには、筋肉があるのです」

「……だからなんだね」

「妖精さんは、筋肉なのですよ?」

「……」

「なぜなのです?」

「君、いつにも増してわけがわからないが……ひょっとして、先ほどまで運動をしていたのかね?」

「……先ほど……」

「わかった。していたようだね」



 妖精は疲れると知力が落ちるのだった。

 筋力と知力との関係性は不明なのだが、この妖精はマッスルなポーズを決めると知力が上がったり、腹筋などを行うと下がった知力が回復したりする。

 レトリックではなく、本当に脳みそが筋肉なのかもしれない。



「とにかく、君では『会員登録』は不可能だと思うが……」

「賢くても?」

「たとえ賢くても不可能のように思われる。まあ、賢くなってみなければ断言はできんがね」

「……そんな」

「別にいいではないか。器具が必要なら、私が用立ててやらんこともないし……」

「しかし筋肉あるところに妖精さんはいるのです。ジムには妖精さんのほかにも妖精さんがいるかもしれないのです……『筋肉と汗の園』に行ったら仲間がいるかもしれないのです」

「……」



 男性の記憶では、『妖精が筋肉に集まる』みたいなことはなかったので、筋肉にこだわりが強いのは、目の前の個体だけの特徴のように思われたが……

 仲間を求める彼女の気持ちを思えば、無碍に『やめろ』とも言いにくい――男性は紳士なのだ。紳士は他者に優しくあらねばならない。


 しかし実際問題、『ジム』に『会員登録』は不可能だろう。

 妖精が普通に人間社会の施設に出現したら、絶対に騒ぎになる。


 聖女が今、男性を吸血鬼だとやっと認めるにいたったが……

 だからといってすぐに世間すべてが『幻想種は幻想じゃなかった』とはなるまい。


 ……だが、うちひしがれている妖精の姿を見ると、彼女の無垢な願いを叶えてやりたいと思ってしまう。

 どうしたらいいのか――



「……なあ、妖精よ……なにも、ジムだけが『筋肉と汗の園』ではあるまいよ」

「しかし……ジム以上に筋肉密度の高い場所は……」

「これを見ても、意見は変わらんかね?」



 発言しながら――

 男性は寝間着にしているガウンの胸襟を開いた。

 中から現れたのは、やや白すぎるきらいもある肌の下にギチギチに詰まった、筋肉だ。

 そう――男性はマッスルであった。



「はああああ!? 筋肉!」



 妖精が興奮する。

 男性は自分の胸をピクピクと動かしながら――



「いいかね、妖精よ……筋肉はここにあるのだ。君にもあるし、私にもあるし、ドラゴンにだって、眷属にだって、あるだろう。それに、汗だって、生物はみんなかく」

「……」

「つまり、誰かがそこにいる限り、そこは『筋肉と汗の園』たり得るのだ」

「……」

「君の『筋肉と汗の園』は、この城にあったのだよ」

「……妖精さんは、見失っていたのですね。こんなに近くにあった、筋肉を……」

「わかってくれたかね?」



 男性は胸筋をピクピク動かしながら、ダンディな声でたずねた。

 妖精はコクリとうなずく。



「妖精さんは……妖精さんは……ひょっとしたら、頭が悪かったかもしれないのです……こんなに近くにあった筋肉に、ずっと気付かなかったなんて……」

「……さて。では、軽く運動でもしようか」

「……」

「汗をかかねば、『筋肉と汗の園』たり得ぬだろう?」

「……! ま、マッスル?」

「マッスル」



 男性はうなずいた。

 どういう返しをしていいかわからなかったが、どうやら正解だったらしい。

 妖精は嬉しそうに――



「マッスル!」

「うむ。マッスル」

「マッスル!」

「ああ、マッスルだとも。……さて、では始めるか。――これよりここを、『筋肉と汗の園』としよう」

「吸血鬼さん……ありがとうなのです……」

「なに、かまわんさ」



 男性は微笑み、うなずく。

 ――こうして少女の夢は守られた。


 あとには筋トレをする男性の息づかいと――

 ――『なにしてんだこいつら』という顔で男性と妖精を見る眷属の姿があったという。

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