108話 幻想種だって褒められたい
「褒められたい……」
その声はあまりに低くて、男性は『大地がしゃべったのか?』と錯覚した。
足下から聞こえたというのも大きいだろう。
男性が視線を下げれば、床に寝そべる赤い物体があった。
丸い胴体、長く太い尻尾――
背中に翼、長い首の先についた爬虫類そのものの頭部には、角が生えている。
――ドラゴン。
現代では『いないもの』とされるその珍生物は、濃い赤のカーペットと同化するように、来客用ローテーブルの脚付近でゴロゴロしていた。
「……評価されたい……」
「君、地の底から響くような声で情けないことをつぶやくのはやめたまえ」
「む? ……そうか、聞こえたか、我の心の声が……」
「ハッキリ口に出ていたが」
「そうだ、我は褒められたい――なんにもせずに、ひたすら賞賛されたいのだ……」
バサッ、とドラゴンは空を舞い、ローテーブルの上に着地した。
男性は目の前にいる珍生物を見て――
「しかしね君、それは非常に難しいことだよ。『賞賛』というのはそもそも、行動のあとに勝手についてくるものだ。目的にするようなものでもないし、ましてや『なんにもせずに』などというのは……」
「ああ、違う。正確には『なんにもせずに』ではないのだ」
「と、言うと?」
「『指先一つでできるような、簡単な行動だけして、激賞されたい』――ぐらいであろうか。最小の労力をもって、最大の結果を出したいということだな」
「……」
「だいたいにして、我はカワイイ……しかしこの城には、我のカワイさを認める者がおらんではないか。それが我にとってどれほどのストレスか、貴様らはわかっておらんのだ」
「君、自分がカワイイ扱いされていないことを認識……そういえば、このあいだ自己客観視がやっと発動したのだったね」
「そうだ! 自己客観視の結果、気付いてしまったのだ……我の周囲には『カワイさのなんたるかも知らぬ枯れたおっさん吸血鬼』に『小動物をゴミ扱いするメイド眷属』に『アホ』に『触手のバケモノ』しかおらん……」
「……」
「我を褒められるほど文明化された存在が、一人もおらんのだ……カワイさの持ち腐れ……宝石の価値を知らぬ者の中にあっては、宝石とてただの『光る石』にしかすぎぬ……」
ドラゴンはため息をついた。
男性に向けてくる視線は『お前が悪い』とでも言いたげなうらめしさがにじんでいた。
「なんか、なあんにもせずに、我をひたすら褒めてくれる者は、おらんかなあ」
「そういう評価だけ求めるようなのは、よろしくないと思うのだがね」
「吸血鬼よ……」
「なんだね」
「『褒められたい』という欲求は、知性のある生物として当然なのだ。当然の欲求を『よろしくない』と言うのは、それこそよろしくないぞ」
「『知性ある生物』と言うがね、それはニンゲンに限った話だろう?」
「知的生物ならば、ニンゲンもそれ以外も、そうだ。……正直に言え。貴様、かつて『闇夜に浮き出る美しき脅威』とか呼ばれていたの、本当は――気持ちよかったのであろう?」
「……!? い、いや、それは……」
「貴様、自分につけられたあだ名はよく覚えているではないか」
「……!」
「恥ずかしがらなくともよい。――チェックしていたのであろう? 自分の評価が気になって、ニンゲンたちが自分をどう呼んでいるか、耳をそばだてていたのであろう?」
「いや……」
「過去のニンゲンたちの残した書物の中で、自分のことが出ると、嬉しくなったりはせんのか? するであろう?」
「……」
する。
覚えがあった――ミミックの元の飼い主が残した日記。吸血鬼の出た項目はつい、読み返してしまったりも、した。
「吸血鬼よ、認めるのだ。貴様のしていたことは、現代風に言えば『エゴサーチ』――つまるところ、『自分が世間ではどのように見られているか』の調査であり、ようするに『評価を求める行為』なのだ!」
「しかし……」
「認めろ! こうまで証拠を提示し、貴様も反論できぬではないか! つまり――貴様とて、評価はほしかった! 評価を求める我を馬鹿にはできんはずだ!」
「……たしかに、そうかもしれない」
「ほらぁ! なんにもせずに巨乳美女になでなでパフパフされたいであろう!?」
「しかし、君と私とは、違う」
「なにが違う! 評価を求め、評価を気にする! その欲望は我にも貴様にも、同じようにあるではないか!」
「同じではないのだ。私の中にもたしかに『評価されたい』という欲望があるのは認めよう。だけれどね、それは『一番の目的』ではないのだ」
「……どういうことだ?」
「君は『評価されたい。できたら行動はしたくない』というものだろう? だがね、私は『行動をした。その結果がどういう評価なのか知りたい』というものなのだ」
「同じではないか!」
「いいや、違う。私が気にし、私が評価されて嬉しいのは、『己の行動』であり、『己自身』ではないし――評価は『できたらほしいもの』であり、『なかったらなかったでいいもの』なのだよ。つまり……」
「つまり、なんだ」
「どうあがいても、私から『なんにもせずに評価されたい』などという言葉が出てくることは、ありえない。『なにかをした結果、どう言われるか知りたい』のが私だからね」
「……!」
「……だがまあ、『評価を受けて嬉しい』のは、認めるよ。主目的ではないが、あったら嬉しいという気持ちまで否定はしない。そして――嬉しいものなのだから、『評価だけほしい』と思う君の言葉も、なるほど、理解すべきだったね。頭ごなしに否定してすまない」
「くうう……大人のような対応を!」
「まあ、大人だからね。私も、君も」
「だが、貴様は一つ、大事なことを忘れているぞ」
「……なんだね?」
「『行動の結果として評価を求める』とうそぶく貴様が――『働きたくないが情けないおじさんとも思われたくない』と普段から言っているではないか」
「……まあ」
「これは『なにもしたくないが評価はされたい』とどう違うのだ?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
時が止まった気がした。
呼吸と心臓ぐらいは実際に止まっただろう。
「なんだ、反論がないのか? ん? 吸血鬼ぃ! 他者にものを言う時は、己の行動ぐらいかえりみるべきであったなあ!」
「……い、いや、それは、その……」
「認めろ! 評価されたいであろう!? 聖女から『わあ、すごい、おじさん、無職なのに! 働かなくてもいい、すごい! 無職、すごい!』とか言われたいであろう!?」
「『無職、すごい』とは言われたくはないがね!?」
「……吸血鬼よ。何度でも言うが――『褒められたい』は知的生命として当然の欲求なのだ。恥じることはない」
「だが……!」
「ああ、いい、いい。反論せずともいい。むしろ、ここで会話を終わろう」
「いや、しかし!」
「貴様のその様子を見たことで――我の承認欲求は満たされた」
「……」
「やはり誰かを打ち負かすというのは、心地よいものよな……いい討論であった。礼を言うぞ吸血鬼」
「いやっ! いや! まだだ! まだ私は反論があるぞ!」
「お互いに、礼。ありがとうございました!」
「ドラゴン! 行くな! ドラゴぉぉぉぉぉぉぉぉぉン!」
「ハーッハッハッハ! ハッハッハッハ! 超気持ちい! 気持ちいいなあ!」
ドラゴンがピューという音を立て、素早く部屋から出て行った。
男性はソファの上でドラゴンの行った方向に腕を伸ばし――
その腕を、くたりと落とした。
「……私は、あのドラゴンと、同類……なのか」
その事実はあまりにも重く――
男性はしばし、なにも行動できなかった。




