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104話 吸血鬼、言語に絶する

「おじさん、おはようございます!」



 聖女が部屋に現れて、男性は初めて『もう朝だ』ということに気付いた。

 どうやら徹夜してしまったらしい――『ばんぺーくん』を彫るのに夢中で、時間の経っているのに気付かなかったようだ。


 男性の見た目年齢で徹夜というのは、通常、えらく体に堪えることだろう。

 けれど、男性は疲労を感じていなかった。


 吸血鬼だからだ。

 今では『お伽噺の中にしか登場しない』と言われている種族の一つだが、男性はたしかに吸血鬼なのである――その肉体は見た目より頑健であり、一日徹夜したぐらいではそこまでのダメージもない。

 まあ、吸血鬼は『眠る』種族なので、徹夜に気付いた今、眠くないわけではないのだが……



「やあ、聖女ちゃん、おはよう。とりあえず正面にお掛けなさい」



 男性は口の端をゆがめ、聖女に正面のソファを示した。

 眠そうな様子を見せぬよう、気を引き締める。


 なぜならば、男性は紳士であった。

 せっかく遠くから(王都からこの城まで地味に遠いのだ)たずねてきてくれたお客人に、『眠いから帰ってくれ』と言うようなことはしたくなかった。

 言葉でハッキリ告げなくとも、男性が眠そうな様子を見せれば、聖女は気遣って退出するであろう――あくび一つしないように気を引き締めねばならない。



「では、失礼します! ……あ、おじさん、今度はなにを作ってらっしゃるんですか?」

「ん……これかい? これはね、たしか……『ばんぺーくん』とかいうのだったかな……」

「ああ、あの! たしかに『ばんぺーくん』ですね。どうにも錆びた鉛色のイメージが強くて、木彫りだと一瞬わからなかったです」

「たしか『返り血を浴びている』という設定だったね」

「はい! 王都の守護聖人をゆるキャラにしたので、そういうところに聖人の逸話が残ってるんですよね。あと声なんかも、逸話に由来する要素があるんですよ」

「声?」

「はい。『複数の英霊たちの集合体』なので、何重にも重なった低い声でしゃべるんです」

「……うーん……その、かわいらしいフォルムをしているから、てっきり子供向けのキャラクターなのかと思っていたが……実は子供向けではないのかな?」

「いえ、子供向けですよ! わたしの暮らしている神殿に『神の子院』が併設されてるんですけど……」

「神の子院?」

「神様が神殿の前に遣わされた、人間の親がいない子供たちが暮らす、院です」

「……」



 そういえば、『孤児』という言葉は使ってはいけない世の中なのであった。

 世論というのは本当にめんどうくさくて、男性はそういうのに触れるたびまた外に出たくなくなっていく。



「……まあ、神の子院ね。それで?」

「はい。そこの子供たちのあいだでも、『ばんぺーくん』は大人気なんですよ」

「ほう……」

「男の子の将来の夢ランキングでは、『ばんぺーくんの中の人』が一位なんですよ」

「……キグルミの中の人かね?」

「いえ、ばんぺーくんを構成する英霊の一部という意味です」

「……」

「あ、ばんぺーくんは『英霊の魂を鎧の中に封じこめた存在』という設定なので、中には歴史的偉業を成した聖人たちがたくさんいることになっているんですけど……」

「それはわかるが……その、世の中は大丈夫なのかね?」

「どういう意味ですか?」

「いや……」



 うまく言えない。

 うまく言えないが――なにかヤバい感じだけはひしひしとしている。



「……まあ、カルチャーギャップというやつかな。きっとそうだろう」

「おじさん、なにか顔色が悪いですけど……」

「大丈夫だ。……ああ、そうそう、そんなに人気なら、私が今作っているこれも、完成したらあげようか?」

「え、いいんですか!? ありがとうございます! 子供たちも喜びます!」

「いや、なに、いいんだよ」

「あ、でも、きちんとお金は払いますよ!」

「お金? なぜだね?」

「おじさん、やりたい仕事が見つかったんですよね? それって『木彫り職人』なのでは?」

「……」

「始めるまでに時間がかかる的なことをおっしゃっていたので、てっきり木彫り職人としてデビューするための作品作りの時間かな、と……現に今、作ってらっしゃいますし……人気のばんぺーくんを彫ってらっしゃったのも、商売としてなのかなとか……」

「……」

「…………あ! いえ! 大丈夫なんですよ!? 別に、仕事を始めるからといって、趣味に時間を割いてはいけないことはないですからね!? でも眷属ちゃんはバリバリ在宅ワークしているから、おじさんもそろそろ焦ってたりしてるかなとか……え、えっと、気を回しすぎ、ですかね?」

「……」



 なにも言えない。

 なにも言えないが――黙ったままだと空気がヤバい感じだけはひしひしとしている。



「あー、その、聖女ちゃん、仕事のことなんだがね……」

「はい! 木彫り職人ではないんですよね?」

「まあそうだね……そもそも、制作関係は趣味だからねえ……仕事にするのは、ちょっと未熟な感じがするというか……」

「そんなことないですよ! おじさんのテクニックはすごいです! 世界に出せますよ!」

「……」

「それに、趣味を仕事にしたっていいじゃないですか! 稼ぎが不安定でも、稼ぐだけマシですよ! 眷属ちゃんに在宅……あっ、内職をさせて無職を貫くより、ずっといいと思います!」



 聖女は拳を強く握りしめ、力説した。

 男性は言葉の暴力で死にそうだ。


 稼ぐだけマシとか無職を貫くよりいいとか、そういうのも、もちろんものすごい威力だが――

『在宅ワーク』を男性に合わせて『内職』と言い換えている感じが透けてしまって、そちらもそちらですごいダメージだ。

 心配りで心が痛い。



「おじさん、不安定な仕事でも、稼ぎの少ない仕事でも、とにかく『社会に触れる』ということが大事だと、わたしは思うんです」

「……あ、ああ……」

「おじさんの今までをわたしは見ていますから、おじさんにとって、社会が怖ろしい、異世界のようなところなんだろうなということも、なんとなく、わかります」

「う、うむ……」

「そんなふうに社会を怖れていたおじさんが、ついに、少しでも、社会に触れようと自ら行動を開始している……大事なのは、一歩踏み出そうとしている、事実です。おじさんの中に芽生えた勇気こそが、大切なものなんです」

「……聖女ちゃん、君、泣いているのかい……?」

「……す、すいません。おじさんがついに社会に出ようとしているかと思うと、なんだか嬉しくて……ごめんなさい。おめでたいことなのに、泣いたらいけませんよね」



 聖女は人差し指で目をぬぐった。

 男性は優しい笑顔を浮かべて、ガウンのポケットからハンカチを取り出し、差し出した。



「………………うむ」



 なにが『うむ』なのかは男性にさえわからなかったが、男性はとにかくうなずいた。

 もちろん、男性には働く気がまったくないが――

 この雰囲気の中で『いや、働かないけどね?』と言える生物がいたら、そいつはきっとドラゴンだろう。


 そして男性はドラゴンではなかった。

 吸血鬼であり――紳士である。



「まあ、その、うむ。うむ…………涙、ぬぐう。よろしい。いけない」

「……あはは。おじさん、ありがとうございます。そうですよね。わたし、笑います! 泣くのは、おじさんが社会に出て、軌道に乗った時にしますから!」

「まかせなさい。わたし、しゃかい、でるよ」



 自分がなにを言っているかさえわからなかった。

 とりあえず声と表情だけ大人の渋さをたもったが、言語を全然思い出せない。



「すいません、今日はこれで失礼しますね。なにかあったら、是非、おっしゃってください! おじさんの社会復帰のために、わたし、協力は惜しみませんから!」

「うむ」

「では、これで! ……あ、ハンカチは洗ってお返ししますね!」

「うむ」



 聖女が去って行く。

 男性は大人びた笑みを浮かべ、聖女が出て行った部屋のドアをいつまでも見つめていたが――



「…………うむ」



 いつまで経っても言語を思い出せなかったので、とりあえず寝ることにした。

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