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10話 まだまだ聖女は吸血鬼をあきらめない

「おじさん! 今日はいいものを持ってきましたよ!」



 ガッシャアアア!

 けたたましい音とともに分厚い遮光カーテンが開かれた。


 部屋にはさわやかな朝日が入ってくる。

 男性はさわやかな朝日に肌の表面をチリチリ焼かれつつ、寝ていたベッドからむくりと体を起こす。



「おはよう。なんだね、『いいもの』とは」

「これです!」



 と、聖女は腕にさげているバスケットを示した。

 男性はちょっと警戒する。



「中身は求人広告かね?」

「違いますよ」

「では、在宅ワークキット?」

「違います。前回と前々回の反省を活かして、今日は別方向の説得方法を考えてます!」

「別方向の説得――というと……」

「もちろん、おじさんを社会復帰させるための方法です!」



 力強く拳を握りしめる。

 そうなのだ――男性は吸血鬼だが、世間にはもう吸血鬼がいない。

 なので、男性は『吸血鬼のフリをする社会不適合おじさん』と思われているらしかった。

 聖女とはそういう社会になじめない人を、上手に社会になじませるのが仕事らしい。


 時代は変わったものだと男性は思う。

 かつて『聖女』といえば、それは『対人外人型最終兵器』とかいう意味合いをふくんでいた――吸血鬼が唯一怖れた相手とさえ、言える。


 それが今ではほぼ介護職である。

『聖女』という言葉が本来持つ意味としては正しいのかもしれないが、かつての苛烈なる聖女たちを知っている男性からすれば、まったくありえない変化だった。



「なにをされようと、私は社会復帰などしないが……というよりも、『社会復帰』という表現は私に用いるには正しくないのだがね。もともと、人の社会で働いていたわけではないのだから……」

「はい。つまりおじさんには――職歴がないんですよね?」

「……………………まあ」



 そうとも言える。

 でも、そういう表現はされたくなかった。

 なんかすごくイヤ。



「大丈夫です! わたしにお任せください! 社会経験がなく、職歴もなくって、『働くのってなんか怖いな』と思っているあなたでも働きたい気持ちになるような、そんな用意をしてきましたから!」

「ふむ。つまり、今日はなにを持って来たのだね?」

「今までのわたしは性急でした。ただただ仕事を押しつけるばかりで、おじさんの気持ちをまったくわかっていなかったのです……」

「今はわかっているのかね?」

「はい!」



 その自信がどこから来るのか、男性にはよくわからない。

 少なくとも彼女が『吸血鬼は存在しない』という論を曲げない限り、理解し合える日は永遠に来ないような気さえする。



「というわけでですね、本日はこんな物をお持ちしました!」



 聖女がバスケットの蓋を開ける。

 中にあったのは――



「……パン? と、複数の紙袋?」

「はい! パンです! 紙袋はその材料! 本日のテーマは『職人のすごさを知ってみよう』です!」

「ふむ」

「普段わたしたちが何気なく使ったり、食べたりしている物だって、そこには一生懸命働いている人の技術や苦労が詰まっているものなのです。そういった内情を知ることで、働くことのすごさ、素晴らしさをわかっていただこうと、そういう試みですね」

「なるほど」

「記念すべき第一回目は――パン。こちらはおじさんもご存じでしょう」

「そうだねえ。もっとも、おじさんの若いころのパンは、もっと黒くて、丸くて、重そうなものだったが……今、持ってきたような、細長くて白いパンというのは最近流通しているものだね?」

「はい。というわけで、本日はパン作りを体験してみましょう!」

「……なぜそうなるのだね」

「実際に普段何気なく口にする物を自分の手で作ってみることにより、『大変だなあ』とか『こんな仕事を毎日、それも大量のお客さん向けにやっている職人は尊いなあ』とか、そういうことを学ぶんです!」



 なるほど、本日のコンセプトはいつもより具体的だ。

 聖女もだんだんと進歩を見せているらしい。



「では、今日はパンを作るのかね?」

「そうですね。前回持ってきたアクセサリーは、おじさんにあんまりなじみがないもので、職人の大変さをわかっていただけなかったようなので……今日は、おじさんも普段食べているであろう物にしました!」

「……」



 主食が血液だということは、すっかり無視されていた。

 まあ嗜好品としてお茶を飲んだりスコーンを食べたりはしているから、食べられないわけではないが……

 男性はティータイムの習慣があるだけで、別に空腹でパンをかじったりはしないのだ。

 あと、男性にとって血液以外の食事は口寂しさを紛らわすためのものでしかなかったりするのだ――そういう意味では、最近のパンより、昔のパンの方がいい。



「しかし私は人生で一度も料理をしたことがないのだが、大丈夫なのかね?」

「おじさん」



 と、聖女が顔を寄せてくる。

 そして、チラチラ部屋の隅――そこにいる眷属を見つつ、小声で話し始めた。



「普段は眷属ちゃんにお食事を作らせているんですよね?」

「……作らせているというか……まあ、そうかな」

「そこでですよ。たまに、おじさんの方が作って、眷属ちゃんにごちそうしてあげるんです。すると、眷属ちゃんも感動して、『おじいちゃん大好き!』ってなると思いますよ」

「………………」



 おじいちゃん大好き! とか言う眷属がさっぱり想像できなかった。

 そもそも男性は眷属のおじいちゃんではない。



「いやあ……どうだろう、眷属はそういうのほしがっていないと思うのだが……」

「口に出さないだけですよ。たぶん」

「あいつは口には出さないまでも、顔には出すのだがねえ……」

「無表情じゃないですか」

「いや、あいつの顔は結構うるさいよ」

「顔がうるさいってなんですか」

「とにかく気遣いは無用だよ」

「うーん、わかりました。でもですね! 無職男性の自炊しない率はそれなりに高いんですよ。料理、掃除、このあたりが、『無職でいいや』と思う精神の改造につながるとわたしは思うんです」



 どのみち料理はさせる気らしい。

 男性は抵抗をあきらめた――どうせヒマだし、たまには変わったことをするのも悪くない。



「わかった、わかった。では、本日はパンでも作ろうか」

「はい! 自炊して、職人の大変さと、作業の達成感を知って、社会復帰しましょうね!」



 聖女が笑顔で言う。

 そういうわけで――今日の吸血鬼は、厨房にこもることになった。

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