1話 それでも吸血鬼は城から出ない
「朝ですよー!」
ガッシャアア!
分厚く黒い遮光カーテンが一気に引き開けられる。
お部屋に容赦なく入り込む真っ白な朝の日差し。
「ギャアアアアアアアア!」
野太い叫び声。
声の主は天蓋付きのゴシックなベッドで転げ回るおっさんだ。
「おじさん、朝ですよ!」
にこにこと楽しそうに笑いながら、少女がベッドに近寄る。
そして、小さな体からは想像もできないほどの腕力で、ブランケットを引きはがした。
「おじさん、朝!」
「朝日が痛い!」
「もう、そんな、ダメですよ。そういうの、通じませんから」
「ねえ聖女ちゃん、ねえ、あの、おじさん朝はダメだって言ったよねえ?」
「そんなんだから、社会復帰できないんですよ」
もう、と頬をふくらませる、小動物みたいな女の子。
色白の、男性は困り果てた顔で赤い瞳を向けるしかできない。
このやりとりは、最近毎朝やっている。
しかし――今日もやらねばならないだろう。
ベッドのふちに腰かける。
容赦なく入り込んでくる朝日に目を細めながら、男性は言う。
「あのねえ、おじさん、吸血鬼なの。朝日で死ぬの。わかる?」
「生きてますよ!」
「まあ、強いから室内に差しこむ朝日ぐらいじゃあ死なないけど……つらいのは、つらいんだよねえ。ほら、吸血鬼だし」
「もう、なにを言ってるんですか。吸血鬼なんて、お話の中にしか存在しませんよ。騙そうとしたって、ダメなんですからね」
これなのだ。
男性は、かつて悪逆非道の限りを尽くした――本物の吸血鬼だ。
しかし暴れるのにも飽きて引きこもり、引きこもっているあいだにすっかり枯れて――
もうあんまし血もいらないし、生きるだけならたまに動物でも襲えばいいやというぐらいまでモチベーションダウンしてしばらく外に出なかったら――
自分以外の吸血鬼は絶滅していた。
今では『吸血鬼』なんて、お伽噺の中にしか出ない存在らしい。
かつて世界中から怖れられ、『神に敵する真なるバケモノ』『吸血鬼たちの王』と呼ばれた男性も、今では『郊外の古城に住み着くヒキコモリ』扱いだ。
時代の流れが身に染みる。
少女はやる気に満ちた表情で――
「大丈夫ですよおじさん」
「なにがかな」
「社会になじめないおじさんを社会復帰させるのも、我々の役目です。神はいつでもあなたの味方ですよ」
「どうかなあ……おじさん、どちらかと言うと神の敵対者側なんだけど」
「大丈夫です。わかりますよ。『神は俺の敵だ』とか『俺は吸血鬼だ』とか言いたくなる時期は誰にでもありますからね」
慈愛に満ちた微笑みを向けられた。
どうやら痛い若者みたいに思われているらしい。
手に負えない。
これが武威をもって城から出て行かせようとしてくるなら、男性にもやりようがある。
だが、あくまでも説得と改心を求められると、どうにもモチベーションがわかない。
もともと争いとか支配とかに飽きて引きこもっていたのだ。
戦うのはこたえる――なんというか、節々に。若くないのだ、もう。
「……毎日毎日元気だねえ、君は」
男性は枕元をさぐる。
そして、パイプを手にし、魔法で火を点けて――
「毎日おじさんのところに来て、お父さんとお母さんは心配しないのかな?」
「いないので全然大丈夫です!」
「……ああ、それはその、悪いことを……」
「もともと、我らの神殿では捨て子の中から聖女を選びます。捨て子というのはつまり、神が遣わした子なのです。ようするに、私のお父さんとお母さんは、神様なのです」
「君は元気でいいねえ」
「はい! 元気がいいというだけで今期の聖女に選ばれましたから!」
「そうかい」
紫煙をはき出す。
と、「けほ、けほ」と少女が咳き込んだ。
男性はうろたえる。
「ああ、すまない、すまない。そういえばタバコは苦手だったか」
慌てて灰を落とした。
ザザザ、と影が動いて灰を呑み込み、運んでいく。
その光景は彼女には見えていないだろう。
聖女はちょっと涙ぐみ、目をこすりながら、
「い、いえ、お気になさらず! わたしはもう、なにが起きても全然平気です! おじさんを社会復帰させるまでは、どんな仕打ちにも耐えてみせますから!」
「今のは、おじさん、悪意なかったんだけどねえ……」
「はい! おじさんはいい人です!」
「……そうかい」
「社会に出てもきっとやっていけますよ!」
どんな会話をしても最終的に社会に出ろと言われる。
つらい。
男性は額に手を当てる。
そして――
「いいかい、聖女ちゃん、私はね、別に働かなくてもいいんだよ。住む場所には困ってないし、働かなくても食べていけるんだ。だから君も、私を外に出そうだなんて無駄なことはあきらめて、私以外の困ったちゃんのところへ、その元気をとどけてあげなさい」
「でもおじさん、このお城の正式な主じゃないですよ?」
「いやあ……ここはおじさんの城なんだけど……」
「でも法律上は不法占有ですよ?」
「……あの、数百年前からここで寝起きしてるんだけどね」
「数百年前……ああー……はい、そうですね」
「痛い若者の妄想じゃなくてね? おじさん、もう本当、何度も何度も正直に言うけれど、吸血鬼で、六百年ぐらい生きてて、ずっとこの城で寝起きしてるからね?」
「本当に吸血鬼なら、なにか吸血鬼らしいことをしてみてください!」
「うーん……」
男性は困ったようにうなる。
吸血鬼らしいことをしろと言われても――
とりあえず、見つめてみる。
吸血鬼の瞳には『魅了』の魔法が付与されている。
異性も同性も問わず、これだけ至近距離でジッと見つめれば、だいたいの相手はメロメロになる(死語)のだが――
「……どうしました?」
聖女は首をかしげるばかりだ。
……やはり、効かない。
対魔力――というか、無効化のようだ。
世が世ならこんな僻地でおじさんの介護に回されるような人材ではなかっただろう。
ならば――
男性は、聖女の首筋を見る。
露出の低い服装。それでも首筋は露出していた。
真っ白い肌。
若々しい――そこに牙を突き立てて直接『魔法を流し込めば』、いかに彼女でも無効化できないだろう。
だが――
「……うーん、なんか、いまいちこう、沸き立たないんだよねえ」
「はい?」
首筋に牙を突き立てる――それは性行為に近いのだ。
男性は、少女を見る。
桃色の髪。
健康的でハリのある肌。
顔立ちは快活そうで、露出の少ない格好だけれど、全身から『元気!』という感じが振りまかれている。
年齢は――十代半ばかそこらだろう。自信はない。人の年齢が男性にはよくわからない。
なんていうか――そう。
性愛の対象じゃない。
娘的な感覚で、とてもじゃないが、モチベーションが湧かない。
「私が吸血鬼だということを示すのは、君がもっと大人になってからかねえ」
男性は笑う。
少女は首をかしげる。
「どういう意味ですか?」
「いやいや。とにかく――おじさんのことはあきらめて、他に行きなさい」
「ダメです! こんなところで寂しそうに昼夜逆転生活をしているおじさんを放っておくわけにはいきませんから!」
「困ったねえ」
男性は笑う――笑うしかない。
これが最近、枯れ果てた吸血鬼の日常におとずれた、小さな変化。
毎朝こんな会話をしていて、少しずつ生活サイクルが健康的になっているが――
それでも吸血鬼は、城から出ない。