4 人は愚かだ。どんな子どもも愚かな大人にしか成らぬのなら。
「で、霙よ」
ひとまず力を抜いて、俺は手近な屋根に座り込んだ。
「どうするんだ、このあと? 冥穴が開くのはいつだって? 居場所はつかんでるのか?」
皮肉っぽい言い方になったのはまあ、許せ。やり方が気にいらねえだけだ。結局、逃がしちまったしな。
霙からの反応はない。…動かないとこ見ると固まってるんだろうか。こいつ、逃がすなんて微塵も思ってなかったんだろうなあ。
とりあえず兄さんに後を任せて、俺は奴が消えた駐車場へ行くことにした。妖気の残滓が消えた場所を示していて、そこだけが周囲と様子が違う。草に隠された洞穴だ。
「防空壕だな」
「防空壕? こんなところにか?」
菜種の呟きに、俺は反射的に問い返す。
戦争中に空爆から身を守るために彫られた壕のはずだけど、…これ、ただの洞穴じゃねぇの?
防空壕ってのは、空襲を受けるような大都市にこそそこら中にあるけど、こんな山の中まで、必要だったんだろうか?
「防空壕として使われていた。下手に掘ると、かえって崩れるからと…まあ、意味はなかったがな」
ああ、そういうことか。
実際、…防空壕に残ったばかりに生き埋めになった例もあるそうだ。周囲が火の海になって、…蒸し焼きとか。浅知恵だよな、ほんと。
ああ、おれはそのころを知らないんだよ。お爺とか、木賊の兄さんとか……そういえば、菜種がよく、教えてくれるよな。
「お前はここの生まれじゃないんだったな。そう、ここには必要なかったから、子どもたちの遊び場になっていた。戦時中も、その後も…あの日までは」
菜種の示す先にあったのは、文字が彫られた石…風化しかけてて、文字がほとんど読めないけど、慰霊碑、か?
「もう読めなくなったか。要石に触れ、伝わるはずだ」
…これって、そんな数十年で風化するようなものじゃないよな。そのために石に彫るんだし。
菜種を振り返っても、何も言わない。ただ、要石を見ているだけだ。
「教えてくれるか。何があったか」
要石に触れた瞬間、白昼夢のように光景が流れ込んできて、俺はそれが要石の見ていた光景だと気づいた。
子どもたちが遊んで、帰る。日が昇って落ちて、時間が流れて。幾日もそれが続いて、…平和な日々だ。俺には奴が何を言いたいのか分からない。
また、子供たちが入っていく。楽しそうに。
不意に、映像が乱れた。身体が揺れたような感覚に襲われて、俺は思わず膝をつく。
「地震だ。ーーさほど大きなものじゃない。でも、この穴を崩すには、十分だった」
洞窟の中に入っていった子どもたち、出てくるよりも先に穴は崩れた――。
「何人も、子どもたちが死んだ。人は馬鹿だ。不要になったときに埋めるべきを埋めず、子どもたちを死なせた。…何の意味もなく。その死すら意味を成さず、ここはこのままだ」
菜種の声にだけ集中して、俺はもう映像を見なかった。見られるわけがない。あまりにも、…残酷だ、こんなの。
「人は愚かだ。どんな子どもも愚かな大人にしか成らぬのなら、…そんなもの、守る価値はない」
菜種の声は低い。震えているのかもしれない。
…そっか。こいつ、人間が嫌いなわけじゃないんだ。
「戦争がなけりゃ、もっとマシな世界になってたのかな」
「…どうだろうな。人類の発展に、戦争は必須条件らしいが」
奴らしい答えだ。そしてそれだけは、俺も同意する。戦争のない世界なんて、夢でしかないんだ、きっと。
奴が人間に好意を持つときは、きっとそれが夢でなくなって、それでもそれを夢に見続ける人間が出てきたときだろう。
「それでも我らは、人がいなければ生まれなかったかもしれぬ。積年の人の思いが、形作った仲間も多い。人とは切っても切れぬ関係なのだよ」
木賊の兄さんの声に、俺は立ち上がった。聞きたいことがあった。
「なあ、兄さん、霙」
振り向かないまま、俺は問いかけた。
「俺、化け猫に成り立てのころ、地獄夜行見てるんだよ。…あんな形じゃなかった。ただ黒い光と煙だけで出来てて、それが余計に恐かった。でもさ」
言葉にならない。でも、聞かなければならないことだ。
「あいつは、新しい姿を得ていたよな。しかも機関車ってことは、せいぜい数百年だ。…なあ、奴はさ」
口の中が乾いて、唾を飲み込むことも出来ない。掠れる声で、俺はようやく呟いた。
「どうして、あの姿になったんだ?」
しばらく待った。なんとなく、返事は木賊の兄さんだろうと思ったけど、違ってた。
「戦争だ」
ぽつりと、でもはっきりした声で答えたのは菜種で。
「機関車が町を走るようにって何年かして、戦争が始まった。愚かにも、世界各国をこの国一つで敵に回して、な」
…それは、オレでも知っている。ただ、寝物語に聞いただけだから、詳しくはないけど。
「地獄列車は、争いがあるところに現れる。戦争など、奴を呼び寄せる格好の餌だった。だからあれが現れて、…同調したのだ、あの機関車と」
「同調って…そんな、なんで…?」
器物百年を経て、妖となる。それは兄さんも言ったとおり、人の思いがそれだけ集まるから。ああ、そういう意味なら不思議はない。不思議はない、けど。
「あれは人を運ぶ。人が抱いた思いを運ぶ。…それが、地獄列車を狂わせた」
「元からマトモじゃねぇだろ、あいつ」
茶々を入れたわけじゃない。あれはただ、…出会った者を取り込んでともに消滅する、そのためだけに存在するはずの…妖怪ですらない、何かだ。
「あれはな。…本来は、亡霊だけを取り込むものだ。永遠に彷徨う哀れな存在を取り込んで消滅させる、そのために生まれたと、あやつ自身も知っている。生きた人間など、見向きもしない…はずだった」
「戦争が狂わせた。訳も分からぬまま死にゆく人々だけであれば、あれの本懐よ。だが、破壊され尽くす家々。苦しみ、呻き、…死を待つしかない人々に、余りに多く、長く…あれは触れすぎた」
それはまるで、…優しさ故に道を踏み外す、愚か者のようで。
「壊れたのだよ。今はもう、乗せた人々が満足するまで犠牲者を取り込み、彷徨うだけだ」
事実は違うのだと…そう、聞こえた気がした。
優しさの意味を履き違えると、悲劇が待つ。