3 酔っ払いは嫌いだ。
酔っぱらいはろくなことをしないねぇ。
な、なに!?
い、今聞こえたのって何、誰もいないのに!
「っ!?」
うわ、何か自転車が重い…ってうわあっっっっ!
いきなりの暴風が、僕(と自転車)を吹き飛ばしそうになる。必死にバランスを保つのが精一杯で、下り坂なのも手伝ってブレーキが掛けられないって倒れ…っ。
「…あ、あれ?」
絶対に倒れるタイミングでふらついたはずなのに、僕は平気だった。それどころか更に加速してるし。
「お前、俺の声聞こえるな?」
「うわあぁぁぁっ!?」
み、耳元から声! 後ろに人なんか乗ってないのに声! 違う、これはきっと空耳!
「なんでもいいから方角だけは間違うなよ、でもってとっとと家の中逃げ込むんだ、死にたくねえだろっ」
なんでもよくないってか死ぬって何!?
「家ン中入ったら説明してやる、いいからいけ!」
うわぁぁっっ加速したあ!
ちょっと待ってよ絶対こんなのハンドル効かないって!
「効かせろ! 前だけ見てろ他所見するな吹っ飛ぶぞ!」
訳の分からないまま、僕は必死でハンドルを握った。こんなんじゃカーブは曲がれないけど、家までは幸い一直線、なんとかなる!
「おお、いい度胸だ、守り甲斐があるってもんだ、なあ、坊主」
マモリガイって何、何が起きてるの?
そのとき、汽笛が聞こえた。船の音じゃない、これって…汽車の?
「追いついちまったか。今の音、聞こえたみたいだな。あれは地獄夜行、乗せられちまったら泣こうが喚こうが地獄行きって奴だ。彼奴は生き物を見つけたら取り込むまで諦めねえ、ほっといたらお前が狙われるから守りに来た」
一気に説明されてもわかんない…っていうか百鬼夜行てそんな恐いものじゃなかったはずだけど。
「普通は祟る程度なんだけどな、あれは例外だ。詳しくは後で説明してやる。いいか、――自転車、軽くなったら飛び降りて敷地に入れ。家に入るまで後ろを振り向くな、それが命取りだからな」
信じられない。けど、汽笛は聞こえたし、何かが迫って来るような気がする。
「いくぜ」
その言葉と同時に荷台が軽くなって、家が見えた。僕は夢中で自転車がガレージに突っ込むように向きを変えてから飛び降りた。かなり派手な音がしたけど、全部明日の話だ!
門に鍵はかかってないから僕は飛び込んだ。これで鍵を掛けてしまえば何とか…うあ。
「お、とう、さん…」
滅多に帰って来ない父さんがそこにいた。別に不仲ってわけじゃないんだけど、えーとこのタイミングってことはたぶん。
「ずいぶんうるさかったな。何をやった?」
ごく普通の言葉に聞こえるけど、僕は知ってる…というかこの臭い。
「酔っ払いと話すことはありません、ほらほらおやすみっ」
ぐいぐいと父親を押して、僕は必死に扉に押し込んだ。…で、何を勘違いしたのか扉が目の前でしまっちゃったんだ。
「ってちょっと父さん! 入れてよ!」
か、鍵までかかってる!
「実の父親にそうゆう真似をするやつあ、百鬼夜行にでも食われちまえ~」
ひっく、と聞こえるところを見ると完璧に酔ってるな…にしてもこんなときに…。しかたない、裏口へ回るか。
ガタン、ゴトン、と聞き馴れない音が聞こえた。振り向くと、…いた。機関車が、青白い煙を吐いて、見えるところに。
「うそ」
大丈夫、ここはもう敷地内で、入って来られない、はず。
「ばかやろっ、こんなとこで道草くってんじゃねえ、とっとと家に入りやがれ!」
「んなこと言われても鍵かかっちゃってるんだよっ」
僕は言い返して、慌てて裏口へ向かった。機関車の汽笛が聞こえて、思わず振り向いた瞬間、青白いものが僕を包んでいた。
それを切り裂くかのように人が飛び降りてきて、光が舞い散る。光に包まれた僕を、その人が突き飛ばす。
突き飛ばされた僕は家の影、機関車の死角に入れてくれたことに気づき、慌てて家に飛び込んだ。
「薄墨! 無事か!」
「俺もあいつも無傷だっ」
叫ぶ兄さんのお陰だ。あいつにかかった青い炎は、俺じゃ破れなかった。目の前で、みすみす食われちまうとこだったんだ。
悲鳴のような汽笛が辺りを切り裂く。人に聞こえる音じゃねえから、誰も出て来ないのが救いだが、俺も兄さんも、あまりの響きに一瞬動けなくなった。
「何してるんですか、二人とも!」
唯一平気だったのが後方の菜種だった。そりゃそうだよな、あれは前方の敵に向けての威嚇だもんな。
「悪い、助かった! そのまま押さえろっ」
菜種は後方から客車を引っ張って、奴の動きを鈍くしていた。とんでもねえ妖力だ。
「夜明けまでこのままでいろというのか!?」
「んな無茶は言いたかねえが、それ以外方法があるのかよ!」
こっちだって任せきりってわけじゃない、兄さんの羽根に守られちゃいるが、動けないように妖力全開で足止めしてる。とはいえ、こんな全力放出やってたら一晩持つわけがない。
「しばしまて、今の音で社神から言霊が来た、間もなく来ていただけるそうだ」
兄さんの言葉が耳元にだけ届いた。たぶん菜種も同じだろう。奴に知られちゃならないことだ。
気合を入れて束縛を強める。兄さんの羽根は菜種も包んだ。上からの助力で、どっちもこの瘴気にやられずにすんでる。有り難い。
ほんのしばらくして、空気が変わった。地獄夜行の瘴気で濁っていたそれが、一気に清冽な神気へと。
来た、神さんの降臨だ。
けど何処にいるのかはわからねえ、気は抜けない。でも空気が軽くなって、呼吸が楽になったのは分かる。けっこう、辛かったんだな。
「って霙じゃねえかっ!」
気配の主は神、には違いないんだが、…ええと、普通は神様の使いとされてる白狐で、霙と呼ばれてる奴だ。尻尾は一本だが、神様に選ばれて成り立て妖狐から昇格した奴で、俺たちとは一線を画した存在だ。…っていっても、俺のほうが先に妖怪化してるんで、どっちも気にしてねえけどな。
「文句はお控えなさいませ、吾妻の神はそれを迎え入れる冥穴の準備で手が離せませぬ」
そう言って手を広げると、狐火を手のひらに乗せた。あ、ちなみに奴は今、妙齢の美女姿だ。男にもなれるはずだけど、狐ってのは元の性別に関わらず、女の姿を好む奴が多い。陰に属する妖怪だからってのが通説だ。実際は知らねえ。
あと冥穴ってのは、地獄へ通じる穴のことな。奴もいずれは地獄へ行くんだが、それがいつか分からないし、その地獄は冥府の中とは限らない。だから穴を開けて誘導しようってことらしい。
俺が決めたことじゃないから、詳細は知らない。知ってたところで、何も出来ないし。神さんの決定事項だから。
「どうなさる?」
木賊の兄さんが問いかけるのが聞こえた。おしゃべりはこの辺までかな。
冥穴を開く作業中ってことは、ここでそれをやるわけにも、奴を消し去るわけにもいかないはずだ。まさかと思うが、このまま夜明かしさせる気じゃないだろうなあ、おい。
「瘴界へ一時放逐致します。皆様、私の炎よりお離れくださいませ」
固定を緩めないまま、俺たちはそれぞれ距離を取る。もともとそんなに近いってわけじゃなかったけど。
狐火が分裂して、霙の舞いに合わせるかのようにその数を増やし、次々に地獄夜行を取り巻いていく。
もう俺たちには手を出せねえ。というより、出すなという意味だろう、妖力の干渉が断ち切られたってことは。
でも、瘴界か。思い切った真似というかなんというか。
あ、瘴界って、瘴気や悪意の渦巻く別空間みたいなもんだよ。精神持った妖怪は、呑まれたら壊れる、そんな空間だ。ただし、寿命は短い。せいぜい数日で消滅するし、大方は外に向かって瘴気が放出されて、中身はいきなり現世空間に現れる。
奴をそこに放逐っていっても、あれ自体が瘴気の固まりだから、狂うってわけでもないし、ほとんど意味がない。唯一の救いは同じ瘴気であるからその力が通じず、外へ出られないことなんだが…壊れたらどうするってんだ?
そんなことを考えてるうちに、狐火が色を変えた。青から赤に、そして黒い炎が奴を包み、奴は必死の抵抗か汽笛を鋭く鳴らした。
その音に包囲網が破れ、奴が飛び出しす。黒い炎に纏わりつかれたまま、奴はまた汽笛を鳴らして、――すぐ近くの駐車場から消えた。
「え」
声を漏らしたのは霙、まさか破られるとは思ってなかったらしい。
それはこっちも同じだが、俺たちの妖力干渉を防ぐとかしなけりゃ、なんとかなったかも知れないわけで。
…あー、馬鹿か、こいつ。
「感知出来る範囲内にはいない。完全に逃げられたようだな」
木賊の兄さんの声が響いた。
自分に自身があるやつも、ろくなことしないのよねぇ。