2 猫の集会は、妖怪たちの集会かもしれない。
猫の集会って、けっこう怖いんですよ?
「変な奴――」
畦道を抜けて行く自転車とその上に乗る子供、守護する霊か何かが普通はいるはずなのに、その気配がない。
俺の声が聞こえたというなら、やっぱり守護する奴がいないんだよなあ。でも別に、何か弱ってるとかそういう感じでもなかったし。
「俺、一応妖怪だし。普通は聞こえもしないはずなんだよなあ」
あ、この場合の『普通』ってのは、妖怪がいるものと思ってない奴のことな。そうじゃない奴は普通に見える。…たぶんな。人間に知り合いはいないから、知らねえ。
ん、なんでかって、そりゃ理解の範疇外のことなんかに遭遇したら、気が狂っちまうからさ。そうだろ?
だからそれに耐えられないと思う奴は、守護者が防御しちまう。信じない奴に見えねえのは当たり前さ。ま、それでも俺くらいの妖力ならその気になりゃ姿を見せることは出来るけどな。
昔はそうじゃなかったんだ、いて当たり前だから、誰でも見えた。そりゃ中には柳を見間違えただとか、影を見間違えただとかあっただろうけどさ。
あーあ、文明ってのはやだねえ、何かも暴いて浪漫ってものを粉々にしやがる。
っと、俺は化け猫、薄墨ってんだ。猫は十年生きれば化け猫になるって知ってるかい。俺はそれ。ま、生い立ちはもうちょっと複雑なんだけど、それはいいや。
化け猫ってのは、実は一番階級の低い妖でさ。そりゃただの猫よりはいろいろ出来るけど、妖怪仲間なんて扱ってももらえねえ、猫又屋敷に奉公に出て修行するとか、誰かに弟子入りするとか、そうやって術を磨かなきゃならねえ。
俺はそれをしなかったもんだから、術は使えるけど…情けねえことに、猫の言葉がわからねえ。
あいつらは俺の言ってることがわかるんだけどなあ。
っとおしゃべりが過ぎちまったな、集会の始まりだ。あんたも来るかい?
木の上からみんなが揃うのを待ってたはいいが、遅刻になっちまうとは情けねえなあ、俺も。
「ようお前ら、元気だったかーっ」
二十メートルはある梢の先から、華麗に着地。これですっころがろうもんなら人間なら爆笑だよなあ。ってだから俺は化け猫さまで、んなドジしねえよ、期待すんなっ。
「貴方になど何も期待いたしませんよ…餌をみすみす逃してしまうなんて…」
「てめえと一緒にするんじゃねえっ!」
足元にあった石を拾って投げる。ビシっと小気味いい音を立てて、額に跡がついた。いいねえ、こういうとき人間の身体ってのは便利でさ。
「つっ…相変わらず…下品な…」
投げ付けた相手は猫又、俺より数百年年上らしい。もっとも妖力自体に差はないけどな。ま、これは生い立ちの違いってのが関係してくるんだけどまあ、そのうちってことで。なんでかってぇと、奴から妖気が立ちのぼってるからだ。なんというかまあ、石の一つが当たったくらいで大人気ない奴だなあ。
本気になると回りの猫ども巻き込んじまう。どうする、場所を変えるか?
ニャギャア――!
妖気漂う広場に響いたのは猫の声。
あー、正真正銘ただの猫で、いずれ妖怪になったらここらのボスどころかかなり上位になるんじゃないかと思ってる姫さんだ。
残念ながら俺には何言ってるのかわかんねえが、妖気立ちのぼらせた馬鹿にはわかるらしい。…この辺はちょっと、修行するべきだったかと思わないでもないな…。
「また貴猫ですか? 生まれも申し分なく将来有望な姫君とは言え、何故この程度のことにお怒りになるのですかね。…子猫の一匹や二匹、気を失ったところで将来性もない屑、いいではありませんか…っ…」
キザ化け猫が腹を抱えてうずくまる。俺の渾身の蹴りを受けて。
「馬鹿野郎、てめえ何考えてやがんだっ!」
屑だあ? 抵抗もできねえ子猫に無駄な妖気浴びせやがって、今度と言う今度は頭に来た!
「って何で止めんだよ姫さん!」
キザ野郎に殴り掛かろうとした俺の間に割って入ったのは姫さんだけじゃねえ、ときどき世間話する長老までいやがるじゃねえか。
…そういやこの長老、十分化け猫の資格もってるのに何でまだ普通の猫やってんだ? とっくに四十越えてるだろうに。
「…ち、やられたぜ」
毎度のことながら、どうしてこうも上手に怒気を削ぐかね、こいつら。まあ俺みたいな下位妖怪が刃向かったって、後がやばくなるだけってのは確かだけど。
俺たち妖怪にも階級ってのがあって、けっこう昇級には手間がかかる。奴は猫又だが俺は化け猫だ。妖力は似たようなものだが、位は奴の方が上。
妖怪基礎台帳ってのがあって、まずそれに載るのに、器物百年、猫は十年、狐が…百年だったっけな?
まあ俺たちみたいな動物からの成り上がりは、長生きしろってことだな。なんか最近は猫も長寿になってきたとかで、台帳への記載も三十年以上にしようとかいう話も出てるらしいけど、俺は知らねえ。ていうかもう化け猫だし。
でもそれは基礎台帳だから、ようやく名前が載っただけ、そんなの自慢にもなりゃしねえ。で、手間暇かけて勉強したり、大御所さんに弟子入りしたり見初められたりで階級を上げていくってんだが、俺は多少術の勉強して百年近く生きてるってだけで、人形の術は身につけたものの昇級に欠かせねえ挨拶まわりだとかも一切やってねえから、誰も俺のことなんか知らなくて昇級のお声もかからない、とまあこうゆうわけだ。
驚いただろ、けっこう俺たちにも制約があるんだぜ?
「…なんだよ、子供が先だってか? ほれ、ちょっとどいてろよお前」
心配そうによってくるのは親猫かな。ったく言葉わからねえのが悔しいぜ。
「どれどれ…あー、問題ねえ、すぐによくなるさ。念のためだ、こいつ飲ませな…って無理か」
特製の栄養剤みたいなもんだが、丸薬を呑ませろったって、猫じゃ無理だよなあ。しかたないから水に溶かして、ゆっくりと強引に喉に流し込む。
「目が覚めたら帰りな。良くきてくれたな、次はもちっと気をつけるからさ、また来てくれよな」
にゃあ、とはっきりした声で返事があって、…うぁぁぁ親がくわえてく…う、うらやましくなんかないっ!
かわいいだけだ!
「それも問題だぞ、薄墨」
キザ野郎がなんか言って…って、違うぞ今の声…。
「あれ、今日の主役は木賊の兄さんか」
ここより奥に、神社がある。そのさらに奥にある山に住んでて、人好きの妖怪嫌いな木の葉天狗だ。ちなみに木賊ってのは通称で、その髪が緑色なところから来てるそうだ。俺たち妖怪ってのは、名前を縛られると命に関わるからな。あ、俺の名前も通称だぜ?
「主催だが主役ではない。主役はあと…そうだな、半時もすれば来るだろう。妖力のないものは散れ。今夜は家人もすべて、外へ出すな」
その言葉に長老猫が進み出る。そいやこの猫、爺さんだっけな、婆さんだっけな?
「どうした、三毛殿。貴君も妖力はお持ちではなかろう」
ニャー、と鋭い声が返る。…あの人目の前にして萎縮しないのって、長老さんと姫さんだけだよなあ。他の猫は固まってるのに。
「そう、今夜は百鬼夜行が通り抜ける。本来であれば歓待するべきだが、…そうも行かぬ。今夜来るのは、『地獄夜行』だ」
長老が凍りつくのが分かる。広場に残っていた猫たちも、姫さんも…キザ野郎どころか俺でも凍りつく。
「マジかよ…『地獄夜行』って、出会ったが最後、人だろうが妖怪だろうが地獄列車に乗せられて終わりっていう、あいつかよ…」
そうだ、と兄さんが頷く。
「仕留めたいところだが、戦力不足。ああ、貴君に期待しておるわけではない、台帳に載られたとしても自由自在に動けるようになるには数十年かかろう。…そこの化け猫のことだ、心配めさるな」
そそ、長老が化け猫になってもしばらくは子猫みたいなもんで…っておいまて、ここにいる化け猫って俺一人じゃねえか!
「だからお前のことだと言っている。あれほど言って根回しも手伝うと言っているのに、いまだ化け猫で燻りおって…今ほどお前が馬鹿に思えたことはないぞ」
うわあああみんなの視線がいてえ…。
「地獄夜行は数日この地域を彷徨う。その間に犠牲者を出さぬよう、お前達を呼んだ。…山の守りは固めた、猟師たちはけして動かぬ。猟犬がけして小屋を出すまい。問題は、…町の守りだ」
兄さんの表情が堅い。…ああ、町の人間は眠らねえ。高速道路とかいう奴はけっこう磁場も考えられてるし、その明かりが夜行を寄せつけねえ。あそこを走る速度に追いつけるのは、高速道路に住み込んでる妖怪婆さんくらいだしな。
問題は明かりのない、こういうところをうろつ…く…。
「…なあ、兄さん、さっきここらをうろついてる子供がいたんだけどさ」
「子供? …ああ、あの守護者のいない子供か。学習塾の帰りだそうだが…もう帰り着いたころだろう」
「そか、ならいいや…って何で知ってるんだ、そんなことまで」
「あれは知人の息子だ。我が知らぬはずはなかろう」
…ああ…そういや人好きだったっけな、この天狗。人間のふりして子どもと遊んでたっけ…。
「木賊どの」
「――なんだ、菜種」
「…その呼び名は止めて下さいと昔から」
「ならば蒲公英」
ぶふっ。
キ、キザ野郎完全に玩具だな。…つーか兄さん、怒ってる…?
「笑うな、薄墨!」
ってこわ、睨まれたぜ…っぶふっ。
いや、笑っちゃいけない、それに分かる、分かるんだ、奴の見た目はけっこう細身のいい男で、それが菜種だとか蒲公英だとか呼ばれたら泣きたくなるのはわかる、わかるんだ、うん、俺だってそれやられたら嫌だし。…俺、灰色猫で良かったな。
「諦めろ、その色では他の名を思いつかぬのだ」
奴はトラ猫だ、ごく普通の。でも人間型になると何故か髪の色は黄色で、呼び名に色の名前を付けることに凝ってる兄さんにとっては非常にやりにくい相手らしい。…いや、別に色にこだわらなきゃいいんじゃないかと思うんだけども。
「用件を言え、蒲公英」
「…菜種でいいです…」
…さすがだ、木賊天狗。
「人を守るのが嫌だというなら、今すぐにでも位を剥奪してやるが?」
返上受付じゃなくて剥奪ですか…ほんっとに容赦ないな、この天狗。
…あー、脅し文句じゃなくて、実際俺たちはそういう決まり事がある。ていうか守るのは人に限らないんだけど。
妖怪台帳ってのは人間でいう戸籍みたいなもので、住所が書かれてるんだな。人間ほど細かくないし、分け方もまあ、古い地図使ってるんだけど…要はそこに住む者に危害を加えないということで、台帳に名前も載るし、昇級もするわけ。悪戯程度は構わないけど、命摘んだら終わりだな。
で、それを嫌だという場合は位の剥奪になるか返上になるかは状況次第だけど、野良妖怪になるんだ。…奴の場合は野良化け猫になって、俺より格下扱いになるのかな。耐えられないだろうなー。
あ、他所へ行きたいときは転籍か、さらに広域の台帳に名前載せることになるんだ。…けっこう俺たちの世界も面倒だぜ。それに載ってない野良妖怪は、狩られても文句言えねえ立場さ。
「別にそういうことを言いたい訳ではありません」
「そうか、先程は人の子供を餌と見ていたようだったが。我の知る者だから言わぬなどと言えば即座に位を剥奪、野良猫に戻す。心せよ」
あくまで冷静なやり取り、なんだが…あ、猫たち消えてやがる。やっぱり恐いです、兄さん。ていうかあんた、そのころから見てたのか。
俺の冷静な視線に気づかず、兄さんはつぃと視線を外し、地図を広げた。
「では本題に移ろうか。夜行の道筋だが、昨夜はここ…朱杜の結界ギリギリを東へと通り抜けたそうだ。今までの移動傾向からして、この辺りの休耕田に姿を見せる可能性が高い。だが、見えても手を出すな。この先、吾妻大社の祭神が手伝って下さることになった。我らはここで犠牲者が出ぬように全力を尽くす。良いな」
俺は一も二もなく頷き、奴もまあ、仕方ないといった感じで頷いた。奴も別に、悪い奴ってわけじゃない。ちょいと差別風味が強いが、それだけだし、嫌がらせするわけでもなきゃ修行を怠るわけでもない。…ただ、人間とか弱い奴が嫌いなだけらしい。だから木賊の兄さんに、強く出られない。…へ、いい気味だ。
「薄墨。…来るぞ」
菜種に言われて、俺は耳を済ました。夜風の音と虫の音、それに…地響き?
「予想より早い。…二人とも、間違っても手を出すな」
そう言った兄さんが夜空へ舞い上がり、同時に菜種も飛ぶ。俺はまだ羽も飛行術も持ってないから、梢に登るくらいしか出来ないのがかなり悔しい。
…んなこと言ってる場合じゃなさそうだな。
「普通こういうのって一両編成じゃねえのか…」
先頭が地獄車…火車とも言われる奴の変種だ。本来は罪人専用の運び屋のはず。…何だよ、あの客車に乗ってるの人間じゃねえか…?
「迂闊に手を出した者や守護者のいない地域での被害者だろう。…救おうなどと考えるな、自業自得の上、分が悪い」
「…残念ながら今回ばかりは同意見だ。我らは守る、けれど守れなかったものはどうにも出来ぬ」
菜種だけじゃねえ、兄さんにも言われた。…わかっちゃいるけど、…割り切るしかねえのか。
「我らに浄化する力はない。…諦めろ」
口の中。…血の味がした。噛みきっちまったな。…ああ、そうだ。どうにも出来ねえ、俺達はただの妖怪だ。
…ちょっと、まてよ。予想より早いっつったよな、兄さん。
「なあ、この先って…さっきの子供の家、どの辺だった?」
あの自転車の速度なんかじゃ、すぐに追いつく。…夜も遅いんだ、家についてるよな、という俺の期待も空しく、兄さんが顔色変えて飛んでいく。
「行け、薄墨。見失わぬよう背後から行く」
「悪い、任せた!」
ああ、キザで差別なんていう嫌な奴だが、信頼は出来る。
飛べない俺はとにかく家々の屋根を跳躍で追いかけた。兄さんの飛ぶ速度は、そんなに早くないのが救いだが、命取りにもなりかねない。…確かに位上げして上級術、身につけるべきかもな、俺。
「四つ辻の」
兄さんの声が一瞬だけ近付いた。俺が跳躍で兄さんに近付いたときに、何か言ったのか。四つ辻ってのはただの十字路のことだけど、この方向には信号機がある。たぶんそこ…っておい!
「何でまだこんなとこでうろついてんだよ!?」
俺が叫んだら、奴の動きが止まった。…ち、ちがうお前こんなときまで止まるな、とっとと行け!
「辻を左へ回って突き当たりだ。敷地へ放り込めばいい、行け!」
行け、って…兄さ…うわ!?
兄さんの羽根が舞い散って、街灯と月明かりに白く照らされた。それが一瞬で別の道を作って、兄さんお得意の幻術だと分かる。
「怒り狂った奴に長時間はもたぬ、行け」
「了解! おい、そこの坊主!」
姿はともかく俺の声は聞こえてる、いける!
薄墨は化け猫です。尻尾は二本です。
菜種は猫又です。尻尾は三本あります。
木賊さんは木の葉天狗です。