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さくら荘の珍住人  作者: 和泉あや子
第一章 挨拶まわりの壁
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第一章1 第一印象「引っ込み思案な人」の回避へ

 まだ木の匂いが残る本棚に、持ってきた本をすべて立てて荷物は片付いた。

「この春から大学生かぁ」

 独り言が、部屋に消えた。あらかた片付いた部屋を見渡した。開け放した窓から、ぬるんだ春の風が入ってくる。ワンルームの部屋でも、自分ひとりには広いように感じてしまう。

第一志望の大学に合格したのと、両親の海外転勤を機に、大学にほど近いアパート“さくら荘”に単身で暮らすことになった。


 一息つこうと、実家から持ってきた愛用のマグカップを箱からとり出した。キッチンに立ち、やかんをガスコンロの火にかけた。実家の自分の部屋とインテリアの配置をほぼ同じにしたから、ちょっとは慣れるのがはやくなるかな。いまはこのなじみのマグカップがホームシックにならないようにしてくれるかも。

 そんな思いを中断させて、やかんから沸騰するかん高い音がした。猫の絵が描かれたカップに紅茶を注いだ。たちのぼる湯気とともに、甘い香りが鼻をくすぐる。ソファに腰かけ、紅茶を飲んだ。

 ふと、ご挨拶用に、と母が渡してくれた菓子折りが目に留まった。この紅茶を飲みほしたら、ほかの部屋の住人にご挨拶にいかなくては。自己紹介。人見知りなところがある私がもっとも苦手とすることだ。人は好きだが、初対面はべつだ。よくわからない相手に、どう話しをすればよいのか考えすぎてしまう。結果、第一印象はいつも「引っ込み思案な人」になってしまう。なかなかその第一印象をふっ切れないままで人付き合いが続くことがほとんど。ある程度の付き合いになってきて「鈴ちゃんって意外と積極的だよね」なんて言われることに慣れてしまう自分が情けなくなる。空になったカップをテーブルに置き、並べたばかりの本たちに目をやった。苦しくなったら本に助けを求める癖がでる。あの小説の主人公ならどうするだろうと、本棚のまえに立った。どの本よりも背が擦れた一冊を棚から出した。『あしたと太陽』の題名はかすれて薄くなっていた。悩んでいるといつもやる方法で、一瞬目を閉じ、パッと本を開いた。


 ――本当は、人が怖いんです。それでも人間を嫌いにはなれない。だからいつも魔法の力を借りるの。人と会うときは口角をあげるのが、うまく話せるおまじない。これでいつも第一印象はばっちりなんです。……第十印象くらいから、味が出てるねって言われちゃいますけどね。それでも第十印象まで付きあってくれる人がいれば、私はそれでいいんです――


 途中からでもどの場面かわかるくらい読んでいたはず。それでも完全無欠なヒロインは、はじめから正義のヒロインらしくあったわけじゃない。向日葵が太陽をもとめて茎を伸ばすように生きて花を咲かせていることに、自分が悩んだときにページをめくって気づく。

「会ってみたいなぁ、こんな人に」

 心のなかの考えが声につい出てしまう。こんなとき主人公なら、どうするだろう。きっと花弁を上に向けて、太陽のまぶしさにひるみはしない。

 時計に目をやると十五時過ぎだった。苦手、とはいうものの、これからお世話になるであろうご近所さんには、ちゃんと挨拶しておかなければ。この小説の主人公のように、変わりたい。読んでいた本を棚に戻した。菓子折りを手にとり、上着をかるく羽織って外に出た。



 さくら荘は築数十年の二階建てで、全六部屋のちいさなアパートだ。私は東南角部屋の一〇三号室。まずは大家さんに、そのあとお隣さんと上の階に挨拶しよう。大家さんには一度引っ越しまえに会っているから、すこしは気持ちが楽だ。やさしい老夫婦で、私のことを孫みたいだ、と言ってくれた。

アパートの向かいに建つ家へ歩いていくと、ちょうど奥さんが帰ってきたところだった。

「あら鈴さん、今日から入居だったわね」

 ゆっくりとしたしゃべり方は、西洋の映画にでてくるような貴婦人を思わせた。

「はい、おかげさまで無事に引っ越し終わりました」

 口の端を上げるのを意識して話す。おまじないの効果、本当にあるかも。緊張がいくらか和らいだ。これ、ご挨拶に、と菓子折りを渡した。

「まあわざわざ、ありがとう。これからほかの方にもご挨拶?」

 腕に下げていたのこりの菓子折りを見て尋ねてきた。そうですと答えると、

「なら、お隣の子と話してみたらいいと思うわ。あなたと同年代の女の子が一人暮らしをしているから。とてもいい人よ」

 優しい笑顔で言い、それじゃあねと家に入っていった。

この調子でさっと挨拶まわりをすませてしまおう。隣の人、話しが合うような人なら嬉しいなという期待をしつつ、ドアの前に立った。ふぅーと息を大きく吐き、口角を引きあげた。一〇二号と書かれたドアのチャイムを押した。しばらくの間があり、鍵を開ける音がした。

「……ま、だ……締切日……さきじゃ……ないですかぁ」

住人は、途切れとぎれにこう言いながら出てきた。黒い髪の毛は寝ぐせがついたまま乱れ、目元は前髪がたれてよく見えない。目の下にはくまができているように見えた。そしてぼんやりとした表情。どこかのホラー映画で出てきそうな容姿だった。――ホラー映画怖くて見たことないけど。今すぐにでも自室に逃げ帰りたいが、とにかく挨拶しなければ。

「隣の一〇三号室に引っ越してきた神月鈴ですっ」

「へ? あれ、あぁ。あの、」

「これ良かったら召し上がって下さいっ、では失礼しました!」

 ほとんど早口言葉のように自己紹介をすると、菓子折りをわたして、一〇三号室にかけ戻った。ドアを荒々しく閉め、玄関に立ちつくしてしまった。はぁ、と思わずため息がこぼれる。せっかく挨拶にいったのに。まともに自己紹介できずに戻ってきちゃった。上着を脱ぎながらソファに座った。あいさつ周りは明日にしよう。そういえば相手の名前も聞けなかったな。また会ったときにでも話そうか。……できればあまり関わり合いたくないが。



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