92.優しく撫でる風の中…
「この曲…」
あまりにも不意打ち過ぎて
言葉も出ない
久しぶりに聞いた私のために歌ってくれてる曲
先とは打って変わって切ないバラード調のメロディー
『私のため』なんてズルイ
あまりにも自己中心的で笑えてしまう
だけどこの瞬間は偽りない私でありたい
…私の曲
「私の…ための曲」
理由もなく吐き出した言葉
恥ずかしげもなくその気になって嬉しくなった
『君と僕の幼いメモリー ―――』
初めの歌詞が流れる
私の意思とは関係なく奏汰君の声が流れる
そう…私達はもう終わってしまった
6年前のあの日に
罪とは言いがたい責任なんて誰に対してなのか分からない
ただ言えるのは小さい頃たった一つの私達に出来た『約束』
『共に笑ったり泣いたり怒ったり――
そんな単純な感情しかなかったあの頃』
私が奏汰君に気付かれないように泣いて
だけど幼い私達は何かをする力がなくて
『君の大好きなメロディー口ずさんだり 手を繋いで遊歩道を歩いたりしたね―――』
泣きすぎて感覚が麻痺してるはずなのに
楽しかった出来事ばかり思い出して
漠然としたお別れだけが必要に迫ってることだけが分かった
最後に私を抱きしめてくれた感覚
忘れていたことが嘘かのように甦る
必死に隠してたのにそれを見破られて
…本当に子供だった
『想い出が閉じ込めて置けないほど溢れて
あの場所から動けずにいるんだ…』
淡々とだけどいつもとは違う声で
私に耳元に鳴り響く
『僕の時計はあの日…激しく雨の降る中壊れてしまった
大好きだった君の最高の笑顔とともに』
6年前もうすぐ7年前になる私達は逢う約束をした
奏汰君の仕事が軌道に乗り始めて
デビュー目前だったあの日
忘れられない事が起こった
私はただただ電話越しの奏汰君じゃない奏汰君に会える
それしか考えてなかった私には衝撃的な事件
だけど…
『僕と君の止まったメモリー
それはお互いが気付かぬ間に見失っていた―――』
それがなきゃ私は気付かなかった
皆一人一人それぞれに『彼方』を愛してること
命を懸けているんだって事
そしてその重みに負けた
同時にファンとしての私と幼い頃の私に直面してしまった
結局怖くなってしまった
逃げ出してしまったって言う方が事実なのかもしれない
資格とか権利とかそんなちっぽけなことに自分を押しとどめていた
思い返してみれば自己満足だったのかもしれない
今の自分に出会ってみれば
『消えない笑顔が僕の支えになっているから
今も変わらない僕がいる』
気付かなかった奏汰君の思いに
そんなに思ってくれてるって事
ファンのせいにしてたのかも
6年前裏切られたんだってそう考えてたにもかかわらず
私を尚…探してくれていたなんて
思っていてくれたなんて
ただ『ファン』が『仕事』がって本当の自分押し隠して
表立ってる6年前の事件とか記憶が戻った翌日の事件しか頭になかった
好き
学校に奏汰君が来たときに泣きながらそう告げた
その時本当の自分がすっと身体の中に帰ってきた
私は事件のこともあったのかもしれないけど
皆に認められないかもしれない私が怖かった
記憶が戻って両想いですなんて酷い話だから
聞き入っていた
瞳をただ閉じて周りからは何をしてるんだか分からないだろう
だけど、頭の中では渦を巻いている
今までの思い出がすぅっと掠めていく
だから気付かなかった
少しずつ朝の日差しを浴びながら影が伸びていくのを
遠くから微かに見えるくらいだから瞳を開けていてもまだ難しい
『もう君はすぐ傍にいる…』
何年ぶりか抱きしめられた瞬間
昔と変わらない奏汰君の匂いがした
引越しのとき不意に抱きしめられたあの時と同じ
だけど、少し成長した奏汰君の腕があった
懐かしかった
一心に張り詰めていたものが解けて
恥ずかしい位に泣いて何度も好きって言ってしまった
耳には聞こえないが髪がなびく
前髪が額にかかったりして少しくすぐったい
風が通っているのが分かる
『その似合わない仮面を剥いで僕に見せてほしい―――』
満春には分からない
確実に近づいている音
周りには草木なんてない
満春の周りにはある
だけどそこまで来ていなかった
「ハァ…ハァ…ハァ」
汗だくになっているが
このとっても心地いい風がいい癒しになっている
日差しの照りつける中
手で日差しを遮る暇もないほど全力で走る
『憶えていてくれるなら…振り返ってくれるのなら
これからの真実を見据え君の名を呼び続ける―――』
何処から走り続けているのかなんてもう誰も知りもしない
でも知らない間に確実に側に…