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81.等身大の『彼方』

 「まだデビューしてない頃からの俺のファンが起こした傷害事件」


会場がざわめいた


 「いつの事件か俺の知らない間に起きて知らない間に結末が突きつけられてた。彼女が記憶喪失ってかたちで。だけど、この事実を知らない俺はただ連絡か途絶えていたことに愕然とした。一気に空っぽになった俺の中には何も残らなくなって。誰のために歌って俺はどこにいるのかわからなくなった」


 「だけど、世間では丁度売れ始めた頃で『彼方』が時間がちょっとした隙間を許してくれなかった…気持ちは動かないまるで機械のように動き回る日々に絶望していた時…飛び込んできたのが今、俺の目の前にいる皆だった」


真っ直ぐとステージを見る

何度目だろう

この沈黙の間をぬって彼方君が息をする

大きな緊張を押し殺す瞬間

 「今まで仕事の傍ら相手にしてきたって過小評価していた皆の笑顔だった。むしろその時は気付いてもいなかった。目の前で俺の気持ちを複写するかのように一喜一憂してくれる。今となってはかけがえのない存在になってた」


さっきとは違う

きっと違う

明らかにこのざわめき


 「それを教えてくれたのは他でもない…記憶を失くした彼女本人だったんだ。彼女は一部のファンの子達に傷を負わされたのに記憶が戻っても尚、俺の言動には腹をたてた。彼女は偶然にも記憶がなくなっていた傍ら俺のファンになってくれていた。知ってしまったんだ。『幼馴染』のカナタと『アーティスト』としてのカナタを同時に」


辺りにはまた静けさが甦る


 「だから知ってしまった…5万人の内の一人の気持ちも、小さい頃から抱いていた感情も…自分の置かれている立場にも、きっと戸惑ったんだろう。そして記憶が戻って翌日彼女は俺に別れを告げた」


心の中を見透かされたのか

私の心情を映し出すかの様に彼方君の口から綴られる

まったくその通りとはいえない

一瞬でも自分の嫌な部分が私の心の中を蝕んだこともある


他の子たちは関係ないじゃないかとか

彼方君は誰より私を必要としてる…なら

私自身の気持ちのほうが大事とか


だけど、それを打ち消すかのように凍りついた

チケットを手に出来なくて会場の外で眺めていた子達

それは無視できないほどの光景

自分が同じ立場だったら…立場だったら


一人のためにこの人たちを無視できない

マコと繋がってる掌に力を込める

表情こそは見えないけどマコは

握り締めた手をドッシリと受け止めてくれている


 「それから俺はやる気も何もかもなくなってしまった。音楽に対する情熱なんて左程なかったし、他活躍してる人たちが眩しく見えるくらい…いつの間にか汚い人間になってた。己の事しか考えない醜い人間…詩も曲も浮かばなくなった。」


マイク越し一息置く


 「そう、なんて彼女は偽善者だと思った。他の子たちのために自分一人が犠牲になれば良い。馬鹿馬鹿しいほど人思いの偽善者だ。それで心から喜ぶ人など誰もいない。綺麗過ぎてだけど彼女らしい答えでもあった。周りの事ばかりで一番近くにいる俺の気持ちはどうなるだって。」


静寂を保っている広い会場にマイクのエコー耳を劈く

瞬間気持ちまでもが根こそぎもぎとられるような感覚

そのもぎ取られた隙間に彼方君の言葉が埋め込まれていく

怪我した表面にバンソーコーを貼られたみたい


 「辞めようと思った…俺はこの場にいる意味がないからこのまま仕事も全部放っておけばいつか追い出されるそして全てが終わると。だけど、一目視界を変えれば見えるものは違うもので最初で最後の彼女からの電話の後、それからは目で追えないくらいの心境の変化」


 「不意に聞こえる皆の俺を呼ぶ声事務所で何度も聞いた。偶然街で大ファンだって言ってくれた女の子…今日来てるかな?それまではファンの子達をいとおしいって言う気持ち、会場で俺一緒にはしゃいだり飛び回ったりしてくれる子達の表情を気にすることも嬉しく感じることもなかった」


彼方はマイクを片手にパイプ椅子を軋ませながら腰をあげる

また一斉に彼方君に視線が集まった


 「そんな勝手な感情で音楽を忘れかけたときもあったけど…皆が事務所に送ってくれた手紙、声すごく嬉しかった!!俺の歌でこんなにも救われてる人、人生変わった人、世界が広がった人いるなんて思わなかった」


そう告げる彼方君の声が震えていた


 「しょうもないくらい…俺は子供だったと気付かせてくれた。ずっと前から音楽は好きだったって思った!!」


マイク越しに聞こえる声は情けなさと感謝の表れ

 「……っ」

飛び出しそうな吐き出されそうな想いを無理矢理喉に押し込む

ゆっくりと頭を下げると同時に


 「皆、ありがとう」


それは静かに静かに会場に響き渡った

さざ波のように一人一人の胸に伝っていく


 「こんな大切なこと気付かせてくれてありがとう…!」


何度も連呼する彼方君

私の頬に涙が伝う

勝手に流れる涙なのにどうしてこんなにあふれてくるんだろう

なんだか彼方君が目の前にいるみたいな感覚

彼方君一人しか目に写らない

いつの間にかマコは私の手を離していた

その手で私は涙を拭う

気付いてないフリをするマコ

だから手を離したんだ


周りでもところどころ鼻をすする音が聞こえる

 「俺、皆が大好きだ…本当に俺、音楽やっててよかった」

エコーが最大の演出をする


 「私情はさんだ活動休止だったけど自分を見直すことが出来た…その機会を与えてくれた事務所の方、俺の前にいる俺の大切な人達に返せないほど感謝してる…これがこのツアーの最後だけど初めて俺はライブというライブが楽しかった。心の底から破裂しそうなくらい痛感してる」


一つ一つ言葉をつむいでいく確実に

それは嘘偽りなく私の鼓膜に張り付いていく


一言一句逃す暇などない

ステージで曇りもなく輝くその姿を

大切にしたかった


 「でも、もしかしたらこれが最後になるかもしれない」


止めにかからないスタッフを見ていると分かる

速瀬さんが裏で動いているんだって

そう言ってる言葉に後悔の陰りが見えない


 「最後かもしれないからこそ…皆に言っておきたい。」


言葉が途切れる

さっきまでまくし立てるかの様に話していた

勢いがここで途切れる

そしてその息を吸う音を私は忘れない

沈黙の時間を静かに過ぎた


 「俺には好きな人がいる…。」


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