79.覚悟と制裁
――皆に言っておきたいことがあるんだ…――
言っておきたい、こと?
心の奥がざわついた
それは私だけじゃなかった
一気にざわめきはどよめきに変わる
会場全体が不安な場に一変
「だから、少し皆座って聞いていてくれるかな?」
そんな彼方君の言葉に動揺しながらもバラバラと座る
舞台袖で見ていたスタッフはもちろんそんな話聞いていない
スタッフ全員が不安げに顔を見合わせる
会場と一緒にステージ脇もざわついていた
微動だにしない速瀬を除いてだが
「こんなの予定であったか?誰か調べろ!」
誰でもいい隣にいるスタッフに声をかける
騒然としたスタッフの傍で冷静に見つめている速瀬
ただ、不安を吹き飛ばすかのように
ステージに気を走らせ数回息を飲む
裏で何が起こっているか考慮の上
マイクの位置合わせをすると話を続ける
言葉を少し濁しながらの会話
一気にざわつきは落ち着いていく
それに反発するかのように私の心臓がバタついていく
確かに言った…
『最後まで見ていてくれっ』って
「しっとりとした感じなのが最後の曲なんて俺らしくないけど…これは俺が初めて書いた歌詞…口コミライブ見てくれた人なら知ってると思うんだけど」
あの時のライブ…
私の記憶が戻った時の
「これにはすごい思い入れがあって俺、これがなかったらもうここにはいなかったと思う。昔はそんなに興味なかったんだ音楽なんて…ただの口実。粋がって好きな振りして繋ぎとめるだけの方法でしかなかったんだ…」
ちらほらと囁きに似た声が聞こえてくる
「ある子の笑顔を絶やしたくなくて…そして約束を守るための一つの手段」
「だから目の前にいる俺を応援してくれる皆もその過程の一つでしかない…どんなに素直に歌を聴いてくれていても感慨なんて沸いてこなかった。ずっとその子に届くようにってそれ以外浮かばなかった。皆の顔も声も」
さっきまでの歓声がなくなる
それは困惑にも似たざわめき
当然の結果だった
舞台袖で観客にこそ聞こえないが
怒鳴り声が響き渡っていた
「何を言ってんだ…!!あいつ。あんなこといって何をする気なんだ」
いつも指揮を取っている責任者らしい人が声を荒げる
苛立ちを隠せないのかうろうろと歩き回る
そんなこっちの気も知らずとばかりに彼方の言葉は次々と会場に伝わっていく
「おいっ…!!」
目に付いた近くのスタッフに声をかける
「おい!!彼方を止めて来い!!」
「で、ですが今は…」
あまりにもすごい剣幕にたじろぐスタッフ
そんな反応がもっと血を上らせた
「こんな話続けているよりマシだ!!いいから引っ張って来い!!」
「あ、あの」
「なんだ…今度は」
睨むかのようにスタッフを見つめる
「は、速瀬さんがこのままでいいと。」
会場の空気は変わらない
何を言っているのかが分からない
たくさんの人の会話がここにも伝わってくるよう
私の不安をますます掻き巡らせた
分かりすぎるくらい不信な空気
何を話してるのか…その考え自体愚問
「昔、ある子と約束をしたんだ。小さい頃親の都合で会えなくなる大好きな子に歌手になるってね。そんな些細なことで始まったこの芸能生活なんだけど…」
淡々と述べていく彼方君
会場の皆のことなんて気にしない
そんな人じゃないって分かってるけど
このドームに集まっている人の中で納得して聞いてる人は多分いない
マコは不安顔で私の方をちらちらと見てくる
「み、満春、これってやばくない?」
「う、うん」
そんなの言われなくても分かってるけど
私にはどうにも出来ない
緊張で言葉が出ない
「子供が乗り込んで何もかも上手くいくはずなくて挫折しそうになったときいつも彼女から連絡を受けてその元気な声で頑張って来れた。ここまで来れたのは彼女のおかげといっても過言じゃないと思うんだ。彼女なしじゃ俺はこの場に立ってないこれは確実に言える事」
な、何を言ってるの?!
これじゃこんな言葉じゃ
その時どこからか声が聞こえる
「やめて…!!!!」
そう、誰も納得しない
誰の声だかわからない
瞬間…彼方君の声が止んだ
どこから声がするのか分からない
だけど「やめて」その声だけははっきりと聞こえた
その短い言葉は悲痛の叫び
その言葉を引き金に会場は嵐が巻き起こる
それは風こそ吹かないが人が巻き起こす
不信や戸惑いや…複雑な感情が吹き荒れる嵐
右から左から目の前の人から一つ二つ後ろから
目には見えないが
反感の言葉は降り注ぐ雨のようにステージに突き刺さる
だけど、私の瞳に映る彼方君は平然とした顔で言葉を続ける
「俺がこうやって頑張っている以上彼女は笑顔で迎えてくれるその事実が周りの誰の言葉より糧になった…二人の約束それだけが俺が音楽をやっている理由…他ははどうでもよかった。彼女が笑ってさえくれれば喜んでくれれば…」
バンッ!!!!
彼方君の死角から物が投げられる
その物音をするほうに視線を向ける
そこには席から離れ身を乗り出す見知らぬ女の子だった
放り出されたものはこのライブのパンフだった
続くように身を乗り出しパンフが投げられる
その一つが彼方の身体に当たる
力をなくしたパンフが彼方君の足元に落ちていく
ゆっくりとしゃがみこみ静かに拾う
不意に彼方と視線が重なり合った人からは涙が流れていた
その隣の女の子もきっと同じ
少し先にはパンフを投げようとばかりに握り締めている子
会場の怒りが窮地に達していた
そう、それは拒否
彼方はゆっくりと瞳を閉じると
マイクのあるほうへと向かう
パンフをパイプ椅子に静かに置く
「俺…」
いつの間にか静かになっている会場に響き渡る
速瀬は静かにその光景を眺めていた
そして静かに歩き出す
緊張感のあるそのヒールの音はさらに緊迫を煽る
コツ、コツコツッ
その時速瀬に視線を向ける人影がいた
「速瀬さん…」
「速瀬さん!!いったいどういうことですか…!!」
歩いている速瀬に追いつくように小走りでくる
「貴方、こうなる事を知ってたんですか…??!」
「えぇ…」
冷ややかな相槌を打つ
目的地へとたどり着く
その扉を冷静に開ける
「…っ!!貴方らしくもない。」
そこは照明音響全てを統一している場所
中にはいくつもの難しい機械がずらりと並んでいた
速瀬が入ってきたことに全員の視線が扉にそそがれる
誰一人戸惑っていないものなどいなかった
「こ、この状況どうします…?」
難しそうな顔をして
速瀬の隣にいる男に視線が配られる
「いい。構わないわ」
「え?」
代わりに速瀬が答える
「このまま続けて…」
「そ、それは…その」
「いいから私の言う通りにして」
この場で賛成するものなどいるはずがない
だが、速瀬のその凛とした姿に誰一人口を出せるものがいない
スタッフ同士顔を見合わせるしかなかった
「全て私が責任を取る。いいからこのまま続けてちょうだい」
またもや冷静に言い放つ
そう速瀬は一喝すると文句を言うものはいなかった