75.君の声
大丈夫 大丈夫 大丈夫なんだから
そう大丈夫大丈夫…
よし!!…この調子
だいぶ暗示かけたから楽になった
気持ち悪さもさっきよりなくなった
トイレの水道をひねる
会場時間だからなのか外のしかも目立たないこのトイレには数人しかいない
そして、私が最後のひとりとなる
少し身体を落ち着かせる
頭では分かってる
鏡を見つめる私の顔はあまりにも冴えない
これじゃ、マコに心配されても仕方ない
顔前面に冷たい水をかける
「っは〜ぁ」
意外に冷たかった
まだ夏の終わりなのに
それほど私の体温が下降しているのか
今日は9月のわりには涼しいかもしれない
だいぶ意識がはっきりしてきた
首を振って髪を横に分けるとハンカチで顔を拭いた
「ふう〜」
深く溜息をつく
どんなに幸せでもこの場所は笑ってなんて通れない
色々ありすぎたんだろな…
だけど、これを超えなきゃいけないって思ってる
意外と前向きな自分
無責任な行動を世間は許さなかった
自分達だけのために渡っちゃいけない橋
その橋を越えてしまったんだから
何も知らなかったじゃすまされない世界
自分たちだけのことを考えて想い合っていられる橋の向こう側じゃない
だけど、私は最後まで渡ってしまった
向こう岸にいる彼方君の手を取ってしまった
ふっとよぎる…
私はここに来て良かったのか。
何回も何万回も考えた
何回も何万回も考えたけど…
最終的な答えは一緒だった
「好き」
…だから逢いたい
その言葉を言ってしまえばそれだけで頭いっぱいになる
もう、いいんじゃないかって
何も考えなくてそれでって
一度手を取ってしまった以上
自分からは手を振り払えない
私一人では引き返せない
これからは一緒に…渡っていきたい
どんなに次の橋が細く落ちそうでも
例え死んでもそれが選んだ選択
間違って繋ぐロープが千切れえても後悔しない
手を繋いで渡ってた時間は幸せだったから
「っよし!!」
私はマコみたいな気合を入れた
トイレの入り口で人の気配がする
あ、誰かきた?
会場時間なのに珍しい
そう思いながらカバンを手に歩こうと鏡から目を離した
プルルルルルルッ―――プルルルルルルッ―――
あ、電話…
こんな時になんだろ
必要以上になり続ける電話
「はいもしもし?」
急いで携帯を取り出し耳に当てる
『あ、満春…俺』
俺って…まさか
「俺って…かなっ」
『わっ馬鹿っ!…シーーーィ!!!』
その言われて意味が分かり思わず口を塞ぐ
『お前、今どこなんだ?』
「会場前…」
『だったら尚更名前言うなよな!』
そうだったそうだった
しかもさっき誰かが入ってきたような気配がしたんだった
聞かれてなかったかな?
少しあたりを気にする
『まぁ、俺的にはいいんだけど呼ばれた方が…』
イキナリの発言に鼓動が早くなった
「な、なんで?」
その先が気になってついつい聞いてしまった
『なんでって、まぁ』
「……?」
何を言ってくれるのか期待をしてしまう
『満春の『かなた君』って昔思い出すんだよ』
思い描いたのとは違う返答に言葉が出なかった
「…え?」
『電話越しに聞く『彼方君』は何だか元気が出るんだよ』
「彼方君」
口に出してしまった名前は邪魔されることなく受話器の向こうへと消えた
意外な言葉だったけど変に格好つけられるより嬉しい
もっと聞いていたくて携帯を耳にもっと押し付ける
『満春と引越しで別れてからずっとその声、俺の救いだったから』
言葉が出ない
『か、彼方君!!!!?って満春のいつになく元気な声」
一気に顔が赤くなる
「わ、私は!!そんな声してないよ…」
言われたことの恥ずかしさに
関係のないところに文句をつける
じゃなきゃ私がもたない
『またその声が聞けてよかった…』
あまりにも切なそうに言うから
こっちもキューっと胸を締め付けられた
「なぁ、満春…」
「ん?」
問いかけてくる声を静かに待った
「このライブ何があっても最後まで見ててくれ…」
「え?」
言った意味が良く分からない
「な、何?彼方君…」
「いや、何…俺のまぁ、覚悟っていうかけじめって言うかとりあえず」
「……」
「お前は何もしなくていい。最後まで見てて?」
何かする気だ
だけど詳しくは聞かない
「私…も何か…したい」
それでも何かしたい
「お前には元気もらったから…」
そう、知ってた
彼方君はそう答えてしまうんだろうなって
そういい終わると電話は切れた
両手で握っていた携帯はいつの間にかおろされていた
ふっと鏡が視界に入った
さっきとは比べ物にならない程の赤みのある良い表情
こんなに単純なんだ
少し笑えてしまった…
それがまた元気にさせてくれる
『最後まで見ていて欲しい』
私に出来ること
「あぁ…必要ないじゃん」
私の視界に入らないところにその人物はいた
聞こえないくらいの小さな声に呆れた表情を浮かべ
「つまんないのっ」
そういって静かにトイレを出る
「事情知らない分ビシバシ言ってやろうと思ったけど…美味しいトコ取り」
本気で残念だったのか
オーバーリアクションの奈津美は舌打ちを鳴らした
衣装に着替えつかの間の休息に浸っていた彼方
片手に持っていた携帯をゆっくりと下ろし
ソファーに身体を預け
考えるかのように視線を天井に向け深い溜息をつく
余計な不安がこの溜息と一緒に出て行けばいい
そう思わんばかりの深い深い溜息
天井を見る瞳に何が写っているんだろう
彼方にしか分かり得ないことだった
「テンションあがらないみたいね。珍しく緊張でもしているのかしら?」
いたずら心も入り混じった口調の速瀬
いつの間にか彼方の楽屋へと入ってきていた
「いや、逆だよ。テンションあがりすぎて爆発しそうだよ」
冗談ととったのかそれとも真意を悟ったのか
速瀬はそんな彼方を見て笑った
「そう、頼もしい限りね…」
…………。
会話がつながらない
そう、間違っていない
気合も十分にあるが緊張もしている
速瀬も同様そのせいで言葉が見つからないんだろう
「俺、間違ってないよな?」
「それは私が決めることじゃないわ」
彼方の近くにあるパイプ椅子に腰掛ける
「だけど、貴方が迷っている以上…それは間違っていることかもしれないわね」
「ははっ!何その抽象的な言い方」
「いいえ。そんなつもりで言ったんじゃないわ。迷っている以上周りの皆にも中途半端にしか写らない」
軽く速瀬は足を組む
そして真っ直ぐに彼方を見た
その瞳から彼方は目が離せなくなる
「そんな下らない覚悟で迷っているようなら止めなさい。」
彼方は言葉を失う
そしてホッとしたかのように微笑んだ
「いつもそうだけど、容赦ねーな!まぁ、らしいからいいけど」
「……」
「迷ってはないよ。悪かったよこんな言い方して」
強い眼差しで速瀬を見返す
確認してから彼方から目を逸らす
「本当すっぱり言い切っちゃって…俺、速瀬さんのことやっぱり好きになれねーよ」
「それは光栄ね…」
ソファーから腰をあげる
一気に背筋を伸ばした
「んーーーーっ!!」
気持ちいい背伸びが出来たのかいつまでも伸ばしてる
「安心しなさい。貴方が今の貴方でいる限り…信じてる限りその姿を見てくれる人必ずいるわ」
いきなりの言葉に彼方は途中で背伸びを止める
そして一気に腕も元の位置に戻した
「だけど、嫌いでもなんだわ。これがとんでもなく意外で仕方ないんだけど」
「…!!」
その彼方の言葉に速瀬は言葉を詰まらせた
「勝手に言ってなさい」
「親みたいで…」
平常心に一瞬にして戻った速瀬
ポーカーフェイスに瞬時にして戻る
彼方は呆れながら笑った
いつまでも変わらない速瀬の態度に…