72.真っ直ぐにさせるもの
今日はライブがない日
だけど休みが取れるわけじゃない
この日はライブでもないのに会場
そう、ライブの合間を見ての入念リハーサル
和気藹々としている
このコンセプトを支えるスタッフも
この時だけは真剣そのもの
先頭を切ってお酒を飲み始める
総責任者も
仲良く肩を組んで飲んでいたスタッフに罵声
だが、そのスタッフはめげるわけじゃない
そう皆必死なのが見て分かる
何十とある公演の一つでも無駄なものにしたくない
それが一人一人の胸のある
期待を裏切らないライブ
妥協なんてものはない…
それを怠るスタッフは誰一人いなかった
総責任者から紙を投げつけられた後
『はいっ!!』そう会場全体に響き渡るような返事を返し
持ち場に戻る
だがそれを傍目で見ていて重く感じる彼方ではない
「なんかワクワクすんなぁ!!」
いいながらの能天気な背伸び
そうだれもいない会場に思いをはせている
誰もいないはずなのに…
そう誰もいないはずなのに
歓声が聞こえる
一緒に口ずさむ会場のファン
誰一人名前なんて知らない
全然知らない人たちばかり
どこで何をしていてどんな苦しみを解き放ちたくて
どんな悩みを抱えてこの会場に来て
会場に彼方に逢いに来ているのか分からない
だけどこんなにもちゃんと鮮明に愛せる
精一杯愛してあげる自信がある
最高の笑顔で…最高の歌で
楽しんでいって欲しいって心から思う
今、まさに彼方の瞳にはこのドームは満員だった
彼方は目を瞑ったまま会場に笑顔を向ける
「最っっっ高〜〜〜〜〜!!!!」
周りにいたスタッフの誰もが彼方に視線を向ける
それに気付いた彼方は思わず
「あ、…はははぁ〜」
笑ってごまかすしかなかった
「そこの妄想青年…貴方一人のん気なものねぇ」
後ろから声かける聞きなれた甲高い緊張感のある声
「恥ずかしいわね…身を引き締めなさい!!」
「ははは〜」
ここでも苦笑い
容赦なく注意をくだす速瀬
「何、速瀬さんもう来たんだ…」
「そうね。ついさっき着いたところよ。貴方のお守りをしなきゃいけないから早めについておく事にしたわ。正解だったようだけど」
顎に掌を当てながら呆れた顔をする
「皆こんな必死に頑張っているのに当の主役は無責任なものね」
イコール呆れてものが言えない
そう言われたような気がした
「だから!!皆必死で頑張ってるから俺が出来ることって言ったらテンション高めることって言ってもそんな必要ないんだけど」
そう言ってステージの真ん中に立つ
再び大きな伸びをした
「本当すっかり」
「ん?」
遅れてステージの中央に立つ
言いたいことの意図が分からず速瀬をただ見つめるしかなかった
そんな姿に速瀬は苦笑した
「その感じだと本人は自覚してないみたいね」
「何が…?」
「貴方が事務所に飛び込んで来た時と同じ目をしてる」
会場を向いたまま会話する二人
「俺が事務所に入ってきたとき?」
「えぇ、知ってはいると思うけれど…私、自分の納得しない素材とは仕事しないわ…私自身が認めた逸材だけよ。一緒に仕事できるのは」
そ、素材…人を物みたいに
でもそれは聞き慣れた安心できる言葉
それは久々に聞いたから
最近はなかった事務的な口調
「その私を認めさせたのよ。覚えているかしら?」
遠く会場を見つめながらにやける彼方
「若い時失望していた、権力…最後お金それしか残らないこの仕事。言いようのない人に媚売って…歌唱力は二の次、ビジュアル重視。確かにビジュアルにも目を向けなくてならない事は分かっているわ…でも主は歌なの。私には納得できなかったわ。この子ならって無我夢中の駆けずり回って想いを託す先には私の願わなかった結果…私の仕事は何なのか…考えるたびにこの仕事に誇りを持てなくなった。そう考えていた頃貴方にもう一度かけてみようと思ったわ」
「……」
「その瞳が私にもう一度力をくれたのよ…でも瞳はくすんで力に負けたんだわって思った。6年前のあの雨の日にね。こんなこと彼方に言うのは変だとおかしいと思うけど試していたのもあったのかも。正直、貴方がどこまで真剣なのか…その真っ直ぐに前だけ見ていける瞳はどこまで強いのか」
「俺は、そんなたいしたもんじゃないよ」
軽く言葉を挟む
速瀬が無我夢中になっていたように
彼方も無我夢中だったそれだけのこと…
一瞬彼方に視線を移しすぐに会場に目を向ける
「そうね、そういうことにしておくわ」
「………」
「もう私の中では答えは出てる」
肌をすり抜ける風はとても心地いい
それは時として気持ちの持ち様に左右される
こんな優しい風にも切なく思えたり
涙を流すほど感動したり
思いのほか感傷に浸れる一瞬
吹かれながらこの風は暖かく自分を包んでくれるような
「貴方も知らず知らずのうちに学んでいく。何時気付くのかしら…寂しい気持ちもするわ」
フッと途切れる
風の終わりは少し切ない感じだった
「彼方がその瞳でいられる時は信じてる時よ。あの時事務所で私と会った時『約束』を満春さんをひたすら真っ直ぐに見てた」
「しん、じる?」
「信じるものがなくなった時貴方は貴方じゃいられなくなる」
思い出されるのは6年前と満春と別れたあの日
今、会場をいつまでも見ていたはずが
いつからかお互い向き合っていた
見たこともない真っ直ぐな瞳で速瀬は彼方を見る
「そしてまた強く思うものが出来た。それは満春さんもあるだろうけど」
「……!!?」
彼方はビクッと体を揺らす
「黙ってるのが下手ね…それが貴方のいいところだけど。満春さん一人思ってる時以上に今の貴方はよりもっと前へと真っ直ぐな瞳だわ」
強く射抜くような風が二人の間を突き抜ける
「貴方は他に何を強く思うようになったの?」
「強く思う?」
言葉の意味はすぐには理解できなかった
長い髪を耳にかける速瀬
「他に貴方を真っ直ぐにさせるものって何かしら…」
遠くから速瀬を呼ぶ声が聞こえる
完全に会話は途切れた
「何が起きても覚悟できてる。それだけは覚えておいて」
そう微笑むと会場だからか
いつもの足音はなく
振り向くとスニーカーの速瀬はステージの裏に移動していた
ついさっきの言葉が彼方の頭で連呼する
端々が気にかかる
答えが出てる
意味も理解できる
だけど速瀬の言葉の意図が理解できなかった
「速瀬、さん」
速瀬がいたはずの誰もいなくなった空間
眺めながらその意味を考えていた