70.奔放な理由
『彼の本名…仲宮 奏汰って知ってる…?』
目の前のルーズリーフに走り書きで名前を書く
奈津美の笑いは一瞬で止まった
言葉の意味を分かってくれた証拠
言葉がなくなった
「よく、知ってるね本名」
不意に奈津美は私に顔を向ける
奈津美から目をそらさなかった
「えっとさ。本当のこと、なんだ?」
私はゆっくりと首を縦に振った
静かにさっきまで座っていた席に戻る
「えっと、あはは…そうなんだ」
「……」
「そうだよね。私さえも知らないもん。本名」
やけに落ち着いてる
そんな奈津美の態度が気になる
「それで…」
「えっ?あっ…」
「ずっと…付き合ってたの?」
首を振った
「付き合い始めたのは最近、それまでは会ってさえもいなかった。相手が相手だけに」
「………」
「中身を話すと長いんだけど」
奈津美は黙った
その瞳から何も感じられなかった
「…ははっ、本当にマジで!!?」
「え?」
「聞いてるとマジなんだって思ってきちゃった。テンションも上がってきたっ!!だって芸能人の彼だよ。恋人にしたいNo.1だよ!!うわーっ!すごいマジなんだ!!鳥肌立ってきたぁ!!…ってか水臭いっっ!なんで話してくんなかったのよ」
いつもの奈津美だ
怒ったりとか泣いたりとかしない
怖いくらいに日頃見てる奈津美
いつものテンションの奈津美
冗談を言いながら力いっぱい笑ってる
「そうかぁ…あの彼方だよ!!いつどういう経緯なのか今度、じっくりコトコト話しましょ」
笑いながら言葉にする
つられて私も笑いながらうなずく
「あ、そうだ!!私、これから用事があったんだぁ。根掘り葉掘り聞きたかったんだけど。いつもスケジュールいっぱいなの。奈津美ちゃんてばモテモテ引っ張りダコ?」
席を立つ奈津美
カバンを取って扉に手をかける
「…あぁ、いそがしいそがし」
忙しいはずの奈津美の手が止まった
「ねぇ…」
奈津美の低い声が響いた
緊張が走る
「ばらしてもいい?…奈津美ちゃんネットワークで」
これから彼方君と付き合うのなら避けては通れない問題
いつもとは違う声なのが分かる
時が止まった
一瞬で私の表情を凍らせた
言葉が出ない
それは彼女が本気だと思ったから
いつもと違う声でいつもと違う攻撃的な視線
覚悟は出来てる
それは彼方君の身体に腕まわした時に決まっていた
「な〜んて…冗談だよ」
私の頭は真っ白になった
「まぁーたそんな顔しないで…!!ははっ、からかいたくなったのよ。」
軽くウインクをする
それにつられまたもや笑う
「でも、さ。なんで私に話したの…言われるの予感なかった?」
「それは」
「だって、そんな特ダネ!!情報収集をモットーとする奈津美ちゃんには持ってこいな大好物なんだけど…」
自然と口から出てくる
「本気で好きなんだってそう思ったから…」
何の根拠もない
そこまで私は奈津美を知らないのは事実
笑い合って冗談言い合ってる奈津美しか知らない
言わば上っ面の彼女しか目にしてない
だけどそんな無責任な言葉はあまりにも簡単に
私の喉を通過した
「そんな気がしたから彼方君のこと話してる奈津美が…」
「じょ、冗談よしてよ!!なんで会えもしない彼をマジになんなきゃいけないの」
「な、つみ?」
「空想よ!だって芸能人じゃない!全部こうなれたら良いな…こうなったらいいなって夢みたいなもの!!冗談に決まってるじゃないっ…テレビの中のかっこいい人見たら誰でもそうなるでしょ…」
声を荒げる奈津美
それはいつもの『ムキ』じゃない
本気で感情がむき出しになってる
「要は『憧れ』なの…だからいつか目が覚めることがあっても仕方ないって思ってた。馬鹿やるしか能がない私には好きになることなんて何億年も先の話よ!!」
私は静かに席を立つ
「本気で好きなんて笑っちゃう!!あんたに何がわかんのよ」
「……」
「何にもしなくてもそのままを皆に好かれるあんたに…」
「…」
「私の……」
ゆっくりと奈津美に近づく
言葉もなく奈津美の傍に行く
「……ごめん」
パーーーンッ!!
「あんたのそういったすかしたトコムカつくっ!!」
気がつけば私の頬は叩かれていた
思いも寄らないことだったけど
意外に心は冷静だった
叩かれた重みは奈津美の痛み
どれだけ傷ついているのかが分かる
「いい人ぶった面見せないでよ!!何もかも知っているような言い方しないで!!…」
奈津美は泣いていた
「だけど…馬鹿なのは私」
いつも元気な奈津美が見せる
涙は流さない…だけど泣いてる気がした
そう笑いながら彼女は何回泣いたんだろう
冗談言いながら彼女は何回自分を痛め続けてたんだろう
想像できなかった…
あまりにもちっぽけな自分にそんな大それた答えなんて出ない
「好きだった…」
奈津美は床にしゃがみこんだ
「マコや満春の前では笑い話で済ましてたけど…私はいつも本気だった。」
それは彼方君だけを指している訳ではなかった…