61.謝罪
スタジオ内に沈黙が走る
周りを取り巻くスタッフは誰も無表情
静かなスタジオに溜息が聞こえる
それにつられてまた一つ
少しずつ増えていく溜息の数
「はいっ…オッケー」
そしてどよめきが歓声に変わる
ザワザワ…
一人また一人言葉にしてく
彼方はゆっくりとヘッドホンをはずした
途端、周りの雑音が耳に入ってくる
「お疲れ様ですっ…」
「お疲れ!!」
挨拶はそれぞれ交わされていく
彼方も思わず溜息が漏れる
「ふぅ〜…」
軽く汗を拭いスタジオから出る
そこにはいつも見慣れている顔があった
「お疲れ様。彼方」
速瀬は目の前にタオルを差し出す
「ありがとう…」
あれから上手くいっていた
速瀬は何事もなかったかのように
一週間後ノートが埋まるくらいの予定をもって現れた
久しぶりの仕事記者会見の帰り
速瀬は彼方に『一週間、時間をあげるわ』と言って去って行った
すぐにでも仕事はできる準備は出来ていた
今すぐにでも取り掛かりたい気分だった
一週間後速瀬の姿を見て言葉を失った
それは並大抵のことじゃなかったことは
容易に想像できる
信用の失った俺にやすやすと仕事をくれる程
この世界は甘くないって彼方自身速瀬に教わったことだから
いつも皺一つなく綺麗なスーツに化粧をしている速瀬は
その日に限ってはスーツはしわが寄って
トレードマークの赤いハイヒールも少し汚れていた
何回も頭を下げ、必要あらば土下座をしてきた証拠
その時ほど彼方は胸が痛んだことはなかった
今思えば『時間をあげるわ』じゃなく『時間を頂戴』って意味だった
自分のふがいなさと情けなさに
涙が止まらなかった
どこまでも子供でどこまでも浅はかな自分
彼方は満足していたのだった
自分のことをわかってくれたと
でも速瀬はその先のことも覚悟して一週間前笑顔を向けてくれた
彼方が泣いてることに気付くと
『これは私の仕事よ?…たいした事ではないわ。これは私が貴方を捨て切れなかったケジメなのよ。泣く位なら笑いなさい?』
厳しく言い放つと笑顔を見せてくれた
それはこの仕事にプライドと誇りを持っている笑顔
スーツに汚れた靴
彼方の目の前
誰よりも凛々しく格好よく映っていた
「これでアルバム完成だね」
タオルと一緒に冷たいコーヒーを貰う
彼方は近くの椅子に座った
速瀬もその隣に座る
「そうね。そして発売を記念して全国ツアーも入ってくるわ」
もう一本持っていたコーヒーを開ける
気持ちのいい音が響いた
仕事の終わったスタッフが席を立つ
「お疲れ様です…」
「お疲れ様です」
彼方の椅子の前を通り過ぎていく
その姿を見送る
「全国ツアーかぁ〜」
そういって貰ったコーヒーに口をつける
「あれから初めてのライブだからね…」
「えぇ、きっと皆待ってると思うわ。ツアー全国34公演ファイナルは3ヶ月後、東京ドームはっきり言って久々のツアー申し分ないと思うわ」
「…へぇ」
「ちゃんとトレーニングしてるの?」
「あぁ、そりゃもちろん」
どこか上の空の彼方
「どうしたの?」
「え?あ、いやね…あいつと満春と久々に再会したのも東京ドームだなぁ〜って思って。なんか妙に思い出しちゃってさ」
黙り込む速瀬
「ちょっと速瀬さん変に考え込まないでよ?」
「別に考え込んでなんかないわ…確かにそうね」
素直に話題に参加する速瀬に首をかしげる
「怒んないんだね」
冗談交じりで言い返すと
速瀬は少し睨みあきれた様な表情を見せた
「馬鹿ね…」
そういって席を立つ
「怒らないわよ…あの時は貴方が子供過ぎて子供過ぎて自分の立場さえも考えてないようなお子様だったから」
「そんな何回も子供子供って…」
「当然の言葉よ…子供なんだから」
少しムカッときたが
ここは大人になった証を見せようと思い我慢する
その姿に速瀬は微笑んだ
「少しはね…悪かったって思ってるのよ?顔に出ないけど。こんな別れ方になってしまって。悪かったわ…」
「いいよ。分かってるから」
沈黙が2人の間にわって入る
「6年前も…」
「あそこまでするつもりはなかったわ。本当に」
いつになく口ごもる速瀬さん
「返す言葉なんてないわ」
椅子から腰をあげた速瀬の表情は分からない
だけどその背中は彼方に見せた事のない小さな背中だった
初めて聞いた謝罪の言葉
感じ取れるその背中に攻めの言葉なんて持ち寄せてなかった
「今は、速瀬さんに謝られることが辛いよ。俺考えたんだ」
「……」
「覚えてる?速瀬さんとけんかして俺が仕事すっぽかした日・・・」
「えぇ」
「あの時、速瀬さん満春ん家きたろ?」
「えぇ…確か」
「その時は何も思わなかったけど…速瀬さん何度も来てるだろ?」
「!!」
「冷静に考えたらはじめて来た人の訪問の仕方じゃなかった…迷わずに満春ん家入ってったし速瀬さんはこれでもかってほど恐縮して…満春の母親も自分の子供をあんなにした事務所関係者に毛嫌いの一つも見せてなかった」
速瀬は硬直する
「謝りに、謝罪しに何度も訪れてたんじゃないのか?」
彼方の顔を見る
「満春さんのこともそうだったけど…会社が事務所がこれを機に満春ちゃんのお父さんの会社に多大な圧力をかけてたの」
彼方は言葉に詰まった
何を答えたらとか考えたらとかじゃない
分かるのは頭が真っ白になっている
「事務所が?社長が?」
「えぇ、正確には当時に社長だけど…いつでもこっちの手中にあるって事を思い出せるように」
彼方の持っていた缶を取り上げ
近くにあるゴミ箱に捨てる
カーンッ…
どこか気持ちのない音が響いた
「それもあって満春ちゃんの家に。どうしようもなかった…若かった私はあのときの社長に反論することは出来なかった。でもこれは言い訳ね。だって6年前の自分の不始末をもみ消しにしてくれたのは社長、それに甘えたのも私自身なんだから」
彼方に背を向けている速瀬
どこか震えている
彼方はそれに気がつかないようにわざと視線をはずしていた
「それからね…私が仕事だけに生きるようになったのは、私にとって貴方たちは商品でしかない。私に背くことは許さない…じゃなきゃこの薄汚い世界の中じゃやっていけないから。愛情とか優しさとかそんな安っぽい感情で渡っていけるほどの仕事じゃない」
「でも、裏では速瀬さんは俺の親代わりだった。それに優しさを忘れてないからそんな社長に隠れながらも満春ん家行ってたんじゃないのか?」
速瀬は黙り込む
「俺が熱出したときに厳しいことを言いながらも俺にずっと付き添っててくれた…3日3晩いてくれたんだろ?側に…」
「……」
「それに、見捨てた俺をまた面倒見てくれたのは速瀬さんだろ?」
速瀬さんからは散々な目に合わされた
だけど彼方からも速瀬さんに迷惑をかけた
誰に頼まれたわけでない
意識的でもなく自然に言葉が外へと出て行く
「そんな出来事があったから俺はこうしてここに座ってる…目の前にある状況だけだ俺の知ってる速瀬さんは…後は知らない」
前、満春の母親に久々にあったときの疑問
今、分かった
彼女は俺の上にいるものに怯えていたんだ
消えた…いなくなったはずの俺が目の前に現れて
また圧力をかけられるか
それに怯えていたんだ
俺は思わず深い溜息をついていた
「なんか本当に俺、身勝手なことばかりしてたんだな」
「申し訳ないことをしたと思っているわ…ごめんなさい」
初めて見るこんな姿
冗談とか形だけとかそんなんじゃない
今まで俺に隠し続けて欺いて
きっとそれは一つや二つじゃない
背負わなくてもいいところまできっと一人背負ってきたんだろう
犯してしまった過ち
その重荷がきっと俺を成功へと導く異常なほどの信念
俺の目にとまらないところで
幾つもの嘘や打算を重ねてきて
その分彼女も傷も増え続ける
だから歪むしかなかった
自分を変えるしかなかった
そうじゃなきゃこんな世界にいられない
上司から信頼されるまでの人になんてなれない
表向きの速瀬さんしか見て来なかったけど
頭を下げた彼女の背中、とても深く傷ついている
「いいよ。別に気にしてない…って言ったら嘘になるけどだけど必要だったと思うから」
俺は全てを許せる余裕を持っている
「だから、頭上げてよ」
一向に頭を上げようしない速瀬
「でも私はそんな純粋すぎた貴方の気持ちを利用したの…幼い貴方を欺いて陥れて満春さんまでも追い詰めて」
「速瀬さん…」
自分に怒りを覚えているのが
それは一目瞭然だった
「だけど簡単に貴方の復帰は実現した…私は望んでいたはず」
「…ならいいじゃない」
彼方は思わず微笑んだ
「え?」
「これが望んでた結果なら良いじゃない?」
速瀬は何を言っているのか分からないと言う顔をする
「俺が復帰した…ファンもそれを望んで速瀬さんも望んでた」
「だけど彼方!貴方は」
「そして、満春も望んでる」
顔を上げた速瀬を確認しスタジオを出ようと歩く
「これで貴方は満足…」
後ろから声が聞こえる
だが、その声は貴方の声にかき消された
「俺は」
「俺は…速瀬さんが傷ついてないとは思ってないよ。」
それが分かってるからいいんだよ
っと言わんばかりに開けたドアから出て行く
「…!!!」
速瀬の言葉はとまった
図星だからとか見抜かれた驚きじゃない
漠然と誰もないなくなったスタジオで
たったの一粒
彼女は人知れず涙を零した