56.速瀬の思惑(前編)
静寂の中彼方の足音だけが響いた
それは歩を進めるのつれて喧騒へと消されていく
相変わらず人の行き帰りが激しい事務所
見渡す限り今にも崩れ落ちそうな書類
フッと目を移すと彼方に対するメモやFAXも目に付く
電話片手にパソコンと向かい合うスタッフ
考えながら歩いていると肩がぶつかり
名も知らないスタッフが通り過ぎる
ここはいつにも増しての騒がしさ
彼方の事務所はいつもこんな感じ
これで何度目か、活動休止した後訪れる
俺は満春との最後の約束を果たしたくて
そして素花ちゃんの願いを叶えたくて
毎日ここに来てる
一人のスタッフとすれ違いでぶつかる
「あ、ごめん…」
今日はぶつかられる事が多い
でもさっきとは違う知っているスタッフだった
「あ…」
「…忙しそうですね」
「そうなんですよ…彼方さんが活動休止してからの抗議電話が後を絶たなくて…いつもいつも回線はパンク寸前で今日だって――」
「余計なことは話さなくていいわ」
カツン…
聞きなれた足音は声の後に聞こえた
よく響く緊張をあおる様な足音
「あ…すみません!」
「貴方は持ち場に戻りなさい」
冷たい視線をスタッフに向け命令する
肩を震わせたあとスタッフは通り過ぎていった
「速瀬…さ」
彼方の形だけの挨拶は空しく宙を舞った
「何度来ても同じよ…ここに貴方の居場所はないわ」
「……」
「出口はあっちよ」
彼方だって知っていることをワザワザ告げる
声のトーンもそのままの速瀬
目の前に誰もいなかったかのように踵を返す
「悪いけど…俺が話あるんだ」
腕をつかみ呼び止める
「…この間から言ってるとおりその話なんてもの私が聞く権利なんてないわ」
まるでゴミをはらうかのように彼方の手をのける
「もう貴方との契約は終わったはずよ…忠告をことごとく無視しておいて今更貴方が用があるなんて都合が良いにも程があるわ…忙しいの。さっさと出て行きなさい。」
長い台本でも読むかのような話ぶり
何の感情も流れてこない
だが彼方の言葉は止まることはなかった
「そう言われても仕方ないと思ってる…だけど俺にだって通したい意地があったんだ…あんただってそこまで敏腕なんだ一つや二つ通してきた意地があったんだろ?」
場を繋ぎとめるための言葉しか出てこない
「貴方にしては下手な言いぐさね」
「別に許してくれって言ってるわけじゃない。仲良く仕事をやろうと思ってるわけでもない…俺のしてきたことはそれを勝ると思っている…でも、恥を忍んでても頼れるのは速瀬さんしかいない」
彼方は真剣な眼差しで速瀬の瞳を射抜く
途端速瀬は驚いたかのような表情を見せる
「あの頃と同じ眼ね…」
「え…?」
聞こえるか聞こえないかのところでヒールを鳴らし
来た通路をまた戻っていく
「…速瀬、さん?」
「その瞳に免じていらっしゃい…話だけは聞いてあげるわ」
言葉で促す通りついて来た彼方は
いくつもある会議室へと通された
「……。」
扉を開け招き入れた速瀬は彼方を横目に静かに椅子へと腰掛ける
さっきまで会議をしていたのか書類をディスクに置く
「いつまでそこにいるつもり?」
指摘を受けた彼方は開いた扉を閉める
その瞬間張り詰めた空気が流れた
「あのさ…」
切り出したのは彼方のほうからだった
「俺さ、好き勝手言って…」
速瀬のいる窓側にゆっくりと歩み寄りながら
言葉をつなげていく
「ガムシャラに突っ走って怒鳴り散らかして…速瀬さんから一喝されて、さらにムカついて突っ張って…全て満春を取りもどすためにやってたことだけど。その度満春との距離広がって」
「……」
「何でだ!!…気持ちさえ向けていれば伝わるって信じてた…。速瀬さん前に言っただろ?…もっと周りのことを見なさいってさ」
「昔の話だけど言った気がするわ」
彼方の顔を一目も見ない速瀬
無意識に彼方の眉はゆがむ
「確かにさ、自分のことばかりだった気がする…満春の気持ちや皆の気持ち何も考えてなかった。もしかしたら俺自身何も考えてなかったかも…ただ必死にあの頃の面影を追いかけてた。それ程大切なことでそれは満春だって同じだと何よりも大切なんだと信じてた」
「それは」
「あぁ、それは間違いじゃないと思う。けど、この前あいつから連絡が来て改めて別れを告げられた。言ってたよ…貴方を見ている人達のことを考えてあげてって」
無言で外を見つめる速瀬
「どうしてって苛立ちも覚えたよ。だってそうだろ?こんな仕打ちを受けたのは誰のせいだよって…しかも同じ仕打ちに2回も。だけどあいつの考えは違うんだ。」
「……」
「全て受け入れてたよ…俺の気持ちさえも知っててあいつは身を引くことを決意したんだ」
「……」
「ただ約束を守るために入った芸能界…満春と連絡が途絶えた後俺を支えてくれたのは速瀬さんや俺を囲むその時いた僅かなファンだった。何も信じられなくなって自暴自棄になってた頃、安らぎをくれたのは紛れもなくファンからの手紙だった」
いつまでも外の景色しか見ない速瀬
訴えかけるように後姿を見つける
「今でも満春の言葉を受け入れようとすると頭が混乱する…」
「……。」
「このまま終わっていいのかって。だけどそんな自分と向き合って気付いた…俺、こんなにも音楽が好きなんだって。歌い続けたいって思った。困惑した環境の中で手にした俺の気持ち…」
不意にきっと無意識なのだろう
向きたくて向いたんじゃない、きっと
そっぽを向いていた速瀬さんの顔が彼方の方へと向く
「あいつが身を引いてまでも俺とファンとの繋がりをつくってくれた…俺、音楽続けたい」
「これからも音楽をつくっていきたい・・・」
時間が止まった気がする
心臓が停止する
喉の奥がジンジンして収まらない
「…そう」
張り詰めた室内の中で速瀬の一言が部屋をこだました
「悪いけど…俺は諦めるつもりはない。色んなことをいろんな意味で今まで一つのことしか見てこなかったから今からはたくさんのことを目にしていきたい…納得してくれるまで何度でもここに通う…勝手な話だけどこれから先も速瀬さんとやっていきたいって思うから」
「……。」
「だから、俺にもう一度音楽やらせてください!!」
振り返ったままの速瀬の瞳を見て頭を下げる
「お願いします!!!?」
「どうして、それを私に?」
冷静な声が彼方の懸命な声を一喝させる
「頼む相手が間違えてるんじゃないかしら?」
「入った頃から俺の面倒見てくれた速瀬さんしかいないと思ってる…」
皆についていけなくて疲労限界の時に
水を差し入れしてくれたのは速瀬さんだった…
この女性のそんな優しさも見落としていたんだ
下げた頭を上げない彼方
「何度も言うけど私は貴方から担当はとうに外れてるの…興味のなくなった者の面倒を見るほど私はお人よしじゃないわ…」
「……!!」
「今は貴方より優秀で…2,3歳年下マネージャーをやっているわ」
彼方の身体が強張る
それに追い討ちをかけるように速瀬の深いため息が耳元に響いた
「それにもう遅いわよ。ファンは着実に離れていってるわ。それが芸能界の怖さ何度も教えたはずよ?」
「…けど!!」
静かに椅子から立ち上がり書類を手にする
呆然と見上げる彼方を他所に歩き出す
「悪いけど、私…これで失礼するわ」
すれ違いざまに囁くような声で彼方にあてる
いつもと変わらない懐かしいはずの足音が
今は一段と違って見えた
速瀬は閉めたドアを見つめる
「………」
反転し背中をドアに預ける
途端胸いっぱいの書類が一枚落ちた
何を考えているであろうその瞳は
ドアの向こうのことが気になるのだろうか
落ちた書類もろくに拾わず立ち尽くしていた
「あの、速瀬さん…」
「え…」
「書類落としましたけど」
そう言いながら拾い上げるスタッフ
「あ、ごめんなさい…ありがとう。」
「いえ」
ちょっとクシャクシャになった書類を速瀬の手元に置く
「そういえば聞きました…?速瀬さんが担当していた例の子正式にここを辞めるそうです。」
「そう」
「社長が一応、速瀬さんにも言っておいてくださいと」
「分かったわ…ありがとう」
書類を受け取ると踵を返した
が、突然立ち止まる
「貴方、一つ頼まれてくれる?」
「はい?」
「今そこの部屋に彼方かいるから…彼方の事務所に残した忘れ物渡しておいてくれるかしら?そうね…後私のディスクの右端にある箱の中のも忘れ物だからそれもお願いするわ。」
「はい、分かりました」
そう告げると速瀬はその場を後にした