55.見ない振りしていたモノ
足早に人並みをかき分ける
いつも以上に帽子を目深にかぶり
彼方はあるビルを目指していた
これで何回目になるんだろう…
引っ叩かれはしないけど
そうしてくれた方がありがたい
何回か事務所に足を運んでいる彼方
人と人との合間をぬって歩いていた
今、自分の素顔を知られるとかなり厄介
ただでさえ活動中止が報道されているのに
こんなところで見つかってしまったら
トラブルどころじゃなくなってしまう
そう確信しているのか帽子を押さえる手に力がこもる
異常な警戒とは裏腹に
「キャッ…」
「あっ!!」
見知らぬ誰かとぶつかってしまった
その人は手に持っていたものを落としてしまった
「ご、ごめん」
彼方は謝ると同時に落ちた彼女のバックを拾い上げる
慌ててそれにあわせて拾い上げる彼女に手が止まった
「………」
「これで全部かな?」
「……」
「あれ、どうしたの?」
硬直したままの彼女を見上げる
その時あんなに目深にかぶっていた帽子が外れていることに気付く
「…げっ」
いつの間にか回りに人だかりが出来ていた
まるで彼方自身が犯罪者か珍動物にでもなった気分
あっという間に人だかりは彼方を囲んだ
その時硬直していた彼女が彼方の手を取った
「あのっ!このままだと騒ぎになっちゃいます…」
「えっ?」
「まだ皆が困惑している間にこっち…」
そういいながら彼方の手を引っ張る
それに引きずられるしかなかった彼方
呪縛を解かれたかのようにすり抜けた側から
たくさんの女性の甲高い声が耳を貫いた
たどり着いたところはちょっとした空き地に
あまり目立たないベンチが一つ
「ここまで来れば大丈夫だと思います」
「ありがとう」
彼方は軽くお辞儀をすると踵を返す
またこんなところで長居してるとヤバイ
「あ、あの」
「………」
「あのっ!!」
「あ、はい?」
進ませようとしていた足を止める
「あの…彼方さんですよね?」
「……」
「あのぉ…芸能人の」
いまさら何を言うのかこの女の子は…
そんな半信半疑で男性をここまで連れ出したのか?
俺が『彼方』じゃなかったらどうする気だったのか聞いてみたい気もするが
何も無反応な彼方に
間抜けな質問を重ねる知らない女の子
見た目服装的には高校生なのかもしれない
だけどそこらにいる女子高生じゃなく
いくらか垢の抜けてない印象が伺える
「よく言われますけど…違いますよ…」
でもこう答えるしかなかった
彼方は平然を装って答える
「彼方さんですよね?」
再度答えを促す
「違いますって…」
「じゃぁ、なんで帽子目深にかぶってるんですか?」
「これは俺流ファッション」
「そうですか…じゃあなんで返事遅れたんですか?」
「誰に言ってるかわかんなかったから…」
「そうですか。じゃぁなんでさっきあんなに慌ててたんですか?」
「行くとこあったんだ…」
「あ、彼方さん…携帯落としましたよ?さっき…」
「あ、どうもありがと…」
「やっぱり彼方さんじゃないですかぁ!」
「今のタイミングだと誰だって俺だって想うだろ!!」
「なにその言い方テレビで出てる時と全然違うじゃないですか…!!」
「あれは営業用だ!!」
口をつぐんだか遅かった
ポケットをあさる振りして舌を出す
「クスッ…」
この口論の嵐にあっさりと自白してしまった
なんでか試合に負けたような敗北感
彼女は小さく笑い続ける
「……クス」
満春とは違い静かな笑い方
彼方の一瞬の緊迫した顔を彼女は見逃さなかった
「…分かりました。彼方さんじゃないんですね?」
今度は『否定』の意味での肯定
ばれている筈なのに
「え…」
「なんか訳アリみたいですね。時間大丈夫なんですか?急いでたのは本当ですよね?」
少しずつ近よって来る彼女
「あ、まぁ…そうだけど」
「暇なら私の話に付き合ってもらえませんか?」
彼方の表情は固まった
なんとも人の話を聞いているようで聞いてない子
会話が成立していない時の違和感
「なんか…変な人だなこいつとか思ってません?」
「いや、そんなことないけど」
思ってるなんて口が裂けてもいえない
初対面の人だ…我慢我慢
満春より長い髪をした女の子は疑いの目を向ける
「…まぁいいですよ」
その瞳はやんわりと笑みに変わった
「君他の子と違うんだね…」
「君じゃないですよ?もとかです。沢渡素花16歳」
彼方は言葉をなくし頭をかく
「もとか…ちゃん。君は疑わないの?」
「さっき疑ったじゃないですか…」
それはそうだけど
確かに間の抜けた質問だけど
俺、自白した気がするんだけど違うの?
「それに違うって言ってたし」
「おかしな子だね…君。」
彼方はここに来て初めて笑った
「それ、笑えるとこですか…?」
「おかしな子だけど…元気にさせてくれる子だね」
彼女の顔から一気に微笑が消える
彼方は不思議そうな顔をする
「本人は元気なんじゃないんですよね…これが」
「え?」
長い話と予感させるようにベンチに座る
自然に彼方の視線は素花へと向けられる
「私、来週入院なんです…本当は外に出ちゃいけないんですけど」
さっきまでの彼女からはありえない言葉
「へへっ!こう見えて病弱っ子なんですよ?」
はにかむように苦笑する
そんな表情に彼方はかける言葉を失った
「だからかな?貴方が他の子と違うって言ったのって。いわゆる外の世界が分からない子なんですよ…」
高校生なのに荒波も何もない
まだ若いのだから
「………」
「何回か入退院繰り返してたせいかな?ぜんぜん馴染めなくなっちゃって…というかそんな私に皆同情しか向けられなかった」
彼女の感情を表すかのように風がすりぬける
「あっ!待って…これからが愚痴なの!!」
表情は一転して変わった
「そんな時に知り合ったんです貴方に似てるアーティストに…。キッカケは些細なことだったんです。『かなた』って名前…昔、家にこもりがちな私に母が私に買ってくれた犬の名前なんですよ…」
懐かしむように微笑みながら話す
「その子は亡くなっちゃいましたけど。それがキッカケと後偶然入院中ラジオで…いつも聞き慣れてる歌なのに歌い手の力の違いでこんなに感動するとは思いませんでした」
「…そうなんだ」
「なのに!!…いきなり嫌な噂は流れ出すわ、活動中止だわで正直大変苛立ちました!!」
ベンチから飛び出すかのように立ち上がる
この子の感情の起伏にはビックリする
驚いた顔を隠せない彼方
「彼は最高でした…ありきたりな言葉だけどこんな私に勇気をくれた。伏せがちだった私を歌で励ましてくれた…クラスの友達に声かける勇気をくれた」
「……」
「そんな気がするんです…こんなに軟弱体質だけど追っかけもやってます!!!?」
ガッツポーズを決める
「公演が決まったら…即座に見に行って大声張り上げてたくさん笑ってたくさん泣いて次の糧にします!!こんな自分がいたんだなって自分自身でも驚きですよっ!こんなことで救われるんですよ?」
浮き沈みの激しい彼女は大きく深呼吸をする
「だから…」
彼女はもう一度呼吸をしなおす
「だから…歌をやめないでください」
「!!?」
「私だけじゃない…皆望んでると思いますよ?」
途端周りの空気が変わる
彼女は真っ直ぐに彼方を見つめる
「辞めないでください…っファンでいさせてください」
「…!」
「な、なんて貴方に言っても、仕方ないですよね」
仕方ないなんて顔をしていない
彼女の表情は確信を得ている
「で、でもっ!私はって…ははっ、私何感情的になってるんだろう…バカみたいですね…」
彼方に見えないように顔を隠す
そしてベンチから腰を上げた
「あ、これから用があるんですよね?ごめんなさい…引き止めてしまって」
去っていこうとする後姿
言葉は喉の先のほうまで出掛かっていた
「あ、あのさ…!」
身体を震わせ立ち止まる
「な、何でしょう?」
「あ、あのさ…今度の入院、手術って何時?」
「えっ…」
素花は振り返る
「え、丁度一ヶ月後…です」
「…頑張って?こっちも頑張るから」
言葉に出来ないほど瞳を丸くする
彼女は今までにないくらい涙をためた
それは今にも零れ落ちそうな
そしてゆっくりと頬を緩ませる
「あ…ありがとうございます!!!?」
彼女は走るペースはゆっくりだけど確実な足取りで彼方の前を後にした
「…頑張るから、か」
再び一人になった彼方