37.ジャケットの裏側…
たった一日
会わなかっただけなのに
彼方君の姿が懐かしく思える
随分ここまで来るのに長かった気がする
目の前の彼方君は昨日まで私の瞳に写っていたのとは違っていた
記憶が甦った私の瞳で彼方君は
アーティストではなく幼なじみに変わってしまっている
ファンではなく…幼馴染に変わってしまってる
それに私はしっかりと蓋をしなくてはならない
頑丈に鍵を掛けて二度と出てこないように…
何故か彼方君は落ち着かない様子で裏口にいた
控え室は落ち着かず外に出てきたという感じ
「何してるの…こんなとこで」
一足先に来ていた速瀬さん
声のする方へと顔を向ける
柱に隠れて私のことはまったく見えていない様子
咄嗟に私が周りのものに隠れたのも原因なんだろうけど
片手には携帯電話が握られていた
「また、電話していたの?そんなに気になる…?彼女」
無表情のまま返事をしない
その態度に速瀬はため息をもらす
「反対だけど…それは今も変わらないけれど」
何を言いたいのか分からないと言いたげな顔をする彼方
再び溜息を漏らすと
「彼方…貴方にお客さんよ」
脈絡のない会話の流れに混乱する
そんなことを気にしていられる気分じゃない
どうやら苛立ちを隠せないようだ
私は咄嗟に涙の後を拭う
そして私は笑顔で彼方君の前に姿を現した
「…こんばんわ」
そう言った速瀬さんは不満げに距離を置く
視線が私に向いたまま固まる
「満春?」
「…うん」
私は返事を短くして答えた
「え、なんでここにいんだ…?」
その言葉に声を詰まらせる
「携帯に連絡したんだけど…」
「あ、ごめん…携帯家に忘れちゃって」
私は…とにかく笑った
「なぁんだ!!…忘れたのかよ〜。心配かけんな」
安心したのか座り込むと
彼方君は笑顔へと戻っていく
心臓が裂かれるように痛くなる
「ごめんね…」
何も思い浮かばなかった
ただ色んな意味を含め私は頭を下げた
それを速瀬さんは離れたところから見つめていた
「いいよいいよ…無事だったら!!」
屈託ない顔を私に向ける
「あ、でさ!!ライブ来てくれただろ?」
あ…
私の表情は彼方君と打って変わって段々と強ばっていく
途端言葉を失っていた
彼は気付かず私の言葉を待っていた
「どうだった…?」
覗き込むように私の顔を見る
気付かない振りをして満開の笑顔を作った
「え?…どうだったって?」
笑顔…とりあえず笑顔
「昨日のライブで何か感じなかった?…」
子供みたいに遠まわしな表現をする
「ライブで感じたこと…」
彼方君の眼差しから視線を背ける
と、少し離れたところにいる速瀬さんが視界に入ってきた
ただ黙って見ている
「今回の新曲、いい曲ですね」
彼方君が驚いたのが手に取るように分かった
速瀬さんも私の顔を凝視していた
二人から私は目をそらす
「あれ、幼い頃を題材に作った曲なんですよね!!凄く素敵だった…気持ちがこっちまで伝わってくる感じがして。…大切な思い出って必ず一個はあるよね小さい頃に。私もあったなぁ〜」
とにかくしゃべったはしゃいだ
顔が見れない、だけど笑ってる
どんな気持ちでいるのか知るのが怖い
「他には?」
言葉だけが耳に入る
その声が重く私の心にのしかかる
表情だけは逆らい続けていた
「他…そんな突然言われても困りますよ…でも素敵なライブでした」
私は笑い続けていた
3人の間に緊張の空気が流れる
「それを…それを伝えたくて今日、ここに来ました。頑張って、ほしくて」
とにかく悟られたくない
このジャケットの奥にある真実を知られたくない
私は必死に手のひらをジャケットを握りしめる
にっこりと微笑む
そして、私は彼方君に背を向けた
私は泣き叫びたい気持ちを必死に押さえ込んだ
「あ、そうだ…応援してます。その女の子にいつか会えると、いいですね!!」
決定打を投げた
これを言ったら終わりだと思う
「ファンとして心から…」
彼方君に背を向けたまま話す
私がこの台詞を言わなきゃ彼方君は芸能界を辞める
…そう予感してた
笑顔は笑顔でも…こんな笑顔が最初で最後だなんて辛すぎる
これ以上彼方君と正面から向き合えなかった
居たたまれなくなって私は走り出す
「…待って!!!」
「っ!!」
「なんで、そんなこと言うの?」
後ろから腕を掴まれる
振り向けない…振り返るのを拒んだ
「君、…なんだ。」
あ… ……。
「……!!」
私の耳に微かに聞こえた
だけど私は聞こえない振りをする
その言葉を無理矢理押し込むように語りかけてくる
「君なんだよ…女の子は」
私は返す言葉を失ってしまった
心から叫びたかった
私を掴むその手が体温が痛い
どんなに真剣か伝わってくるから
この腕の強さが眼差しが…
心臓が漠々と音をたてる
私はもう一回喉に力を入れる
「あはははははっっ!!!!」
思いっきり笑った
彼方君の声が聞こえなくなるくらいにまで
「…冗談言わないで下さい。」
「……」
「人違いですよ…ただのファンだから小さい頃、貴方になんて会ってない。記憶喪失の話だって相談したの冗談だし…興味あったんです。どう答えるのか」
苦しい言い訳
彼方君が口を挟もうとするが
「それじゃ。…さよなら!!」
私は駆け出した
ふっと会話を聞いていた速瀬さんと目が合う
何故?と言う言葉を無言で投げかけるのを無視し
軽くお辞儀をすると私はそのまま駆け出した
瞳に涙を浮かべながら
走る私に容赦なく悔しさが襲いかかる
その倍の速度で涙がこぼれ落ちる
気持ちを静める機能はもはや麻痺していた
こんな結論にたどり着きたくなかった
私は彼方君とは笑顔で再会する予定だった
大好きって言ってくれた笑顔であう予定だった
今日一日でこんな変わってしまうなんて
うぅん…もしかしたら心の何処かで気付いていたのかもしれない
ドーム満員にし会場の全員を熱くさせる
閑散としていた会場が悲鳴に変わる
精一杯の想いを託して叫び出す声
感極まって思わず泣き出す声
感動のあまり呆然とする子
今日見てしまった会場に聞き耳を立てる女の子
何もかもたった一人の人に捧げられている純粋無垢な想い
それが今の彼…
今、社長さんも一目置いてる『彼方』
そう考える度に不安を呼び起こす
…私には重い。
このみんなの思いをたった私一人のために壊すわけにはいかない
覗いてしまったから知ってしまったから
純粋無垢な部分も汚い部分も全て
たった一つ交わした約束のために
みんなの気持ちを台無しになんて出来ない
なかったことにしよう
幼い頃の約束も全部…さよなら
彼方はただ呆然と立ちつくしていた
風が気持ちとは関係なく髪を揺らす
「……。」
そんな彼方に速瀬が髪を掻き上げながら近づく
「彼女…」
速瀬が何を言っても興味はない
そんな彼方に笑みを浮かべながら見つめる
「なんでもないわ」
あさっての方へと顔を背ける
「追いかけないの…?」
彼方とは反対に視線を向けながら呟く
速瀬の瞳は呆れた表情ではなく悲しみに満ちていた
それは時々吹く風によって彼方には見えていなかった
短い時間が過ぎると速瀬は口を開いた
「ねぇ…気付いたかしら?」
視線を彼方へとむき直す
「なんで満春さん…うちのジャケット着ていたと思う?」
「…え?」
突然の質問に困惑する
頭の中が白く染まった
「貸してくれって言われたのよ…満春さんが傷だらけになった身体を隠すために」
ますます彼方の頭に重度の霧が覆った
「貴方に気付かれないようにするために…ファンの子にリンチされたのを」
「なん…だって?」
脳がマヒをしたかのように動こうとしない
速瀬の言葉が重くのしかかり声を出すのがやっと
淡々と話を続けていく
「私が見つけた時…放心状態だった彼女。見た限りあちこち打撲の後だらけ、6人くらいの貴方のファンにに囲まれて…私が止めに入ったら逃げていったけど1歩遅かったら」
彼方は言葉を返せなかった
「それでも私に縋って必死に貴方に会いたいって言ってきたわ…まさかあんな嘘を言うためなんて正直私も驚いたわ…。」
「…だよ。」
誰の声だか分からないような低い声が速瀬の耳を突き抜ける
彼方は怒りを露わにする
正体の見えない犯人に苛立ちを憶えていた
「一体誰だよ!!!……」
速瀬はその豹変ぶりに目を丸くさせる
「ちょっ!!ちょっと落ち着きなさい…」
言葉で制する速瀬
「か、彼方!!!」
もはや速瀬の言葉は耳に入っていなかった
手のひらは血が滲みそうなくらいに力が入っていた
怒りで気が狂いそうになりながら言葉を発っそうとする
パンッッ!!!!
闇の中に衝撃音が走った
一瞬時が止まる
一体何が起きたのか
それは突き抜ける夜風と一緒に解かれた
「落ち着きなさいっ!!」
速瀬の手のひらは赤くなっていく
彼方の頬は段々痛さを増していった
だが、その痛さが彼の平常心を取り戻していく
「彼女の方が利口だわ」
深くため息をつく
「周りの物事が見えてなさ過ぎる!!」
そう言う速瀬を余所に力を無くした彼方は階段に腰を下ろした
「なんで速瀬さんは落ち着いていられるんだよ!!…それともこれもあんたが仕組ん?!」
「馬鹿言わないでッ!!!!?」
大声で彼方に怒鳴り込む
彼方は息をのんだ
「こうなること…。予測してたからよ」
それは速瀬の声だったのか判断がつかなかった
「速瀬さん」
「私の話聞いてなかったの?…あれはすべて貴方のファンから受けたものなのよ。きついこと言うようだけど新曲ライブの時貴方が余計なこと言わなければこんな事態は起こらなかったかもしれない」
「俺、が?」
「気付いてないようだけど入った時から貴方は満春さんに関する執着があまりにも強すぎる…こんな事態が予測できないほど周りを見ていないのよ…」
それから言葉を失う速瀬
言い終わった後思わず顔を伏せる
不意に6年前のことが脳裏に蘇る
「そ、んなことって…」
速瀬の言葉は『貴方が仕組んだこと』と言われているのと同じ
自分のせいで満春は酷い仕打ちを受けた
そう受け止めざる得なかった
何度も耳にした言葉はまた速瀬の口から繰り返される
あの時交わした約束のせいで約束を守れなくなっている
細い声で呟く
それは言わなくても脳裏に浮かんだ
何が起きたのかなんて分からない
彼方自身で見てはいないのだから
身体の体温が下降する
喉が塞がれたように声が出せなくなる
気付いた途端全身の力が抜ける
彼方が真っ白になった