29.伝わらない言葉
色んな機材が行き交っている
次の仕事があるのかバタバタと急いでいる人が目立つ
丁度数分前撮りが終わった
次の移動までそんなに時間はなかった
忙しい中合間を見て彼方は机に向かっていた
そう、無理矢理延ばしてもらった新曲に力をそそぎ込んでいた
「………」
机の上には一つ寂しくペットボトル
そしてノートパソコン
まるでそれしか必要がないみたいに
後は綺麗に整頓されていた
軽快な音をたてながら
誰もいない控え室にキーボードを叩く音が響く
機械的にリズムを刻むように
いきなり新曲変更を申し出た彼方
90%は仕上がっていた曲をけり
リリースされるはずだったものを取りやめ速瀬に啖呵を切った
彼方はそれからこんな感じでパソコンを前にしている
仕事の合間、移動の合間、睡眠を削ってまでもいた
休憩という休憩は全て新曲に気を向けている
だが、そんな過酷さを感じていない
瞳の奥には疲れの一欠けらも見えない
むしろまだまだ余裕を感じる
愛おしむ様な眼差しそれは映し出される文字一点に注がれている
曲に魂を込める…心を映す
歌詞に己の感情を吹き込む
いつの間にかノーパソでは彼方自身の世界が出来ていた
「あ、お疲れさまです!!」
挨拶をしに来たアシスタントの人が顔を出す
「お疲れさまでした…」
彼方は軽く挨拶を返すと扉は閉まった
「…ふぅ」
深く息をつくとゆっくりと肩を回す
目に入った清涼水を手に取る
よほど喉が渇いていたのか半分空にする
蓋をせず机に置くと目をつむった
その瞳の奥で今、昔へと還っていた
自身が奏でたいもの
一番歌いたい曲
今の自分にぴったりのフレーズを搾り出していく
でなきゃ本当に人を楽しませること共感させる事なんて出来ない
数秒が経ち静かに目を開いた
そして胸ポケットから携帯を取り出す
ある番号へと電話を掛ける
『はい、もしもし…』
少し甘えのある声の持ち主が出てきた
「あ、もしもし満春ちゃん?俺だよ。分かる?」
『…はい。』
簡潔に答える
『……』
相変わらずの電話での沈黙には戸惑ってしまう
「あ、ゴメン…用件なんだけどね」
『はい…』
電話先だといつもの倍に大人しく聞こえる満春の声
だが、誰にも真似できない甘えた通る声
受話器から彼方の耳に鮮明に通過していく
「あのさ、今度の木曜って空いてるかな?」
『えっ?』
耳元で声のトーンが心なしか高くなる
「あ、もちろん学校終わってからで良いんだけど…」
『…あ、はい』
「俺もさ、午前中は打ち合わ…仕事があるからさ。午後、そうだなぁ〜7時前位がいいんだけど…どう?」
少しの間無言のまま電話を耳に当てている彼方
とりあえず彼女の返事を待った
『…いいですよ。別に』
聞こえたイエスの返事に笑みがこぼれる
「マジ!!…本当!?よかった。じゃあ場所は」
過剰なほどに
テンションの上がった彼方
緊張の糸がとけたのか話を進めていく
『はい。はい、分かりました』
「うん、じゃあ待ち合わせはそこで…待ってるからね。絶っ対に来て!!」
「絶対」を強調する
『……?はい、必ず』
プチッ…
そう言い終わると彼方は電話を切った
固く携帯を握りしめる
あとは覚悟だけだ
「またあの子?」
いきなりの訪問者に我に返る
「………!!」
「また、満春って子に電話していたの?」
側に立っているのは不機嫌な顔をしている速瀬だった
あれから凝りもせず文句を言ってくる
この前言った言葉を脅しと捉えてないのか
イマイチこの女性のことがつかめない
それよりどうやら気付いてないほど電話に夢中になっていたらしい
「……速瀬さん」
「まったく!!いつまでそんなことやっているつもりなの…?!貴方は啖呵きって新曲変更を申しで…人に多大な迷惑かけて尚今やらなくてはいけない事って彼女に電話なの!?仕事をなめるのも…いい気になるのも大概にしなさい!!」
上からものを言うまさにこの状況
椅子に座っている彼方
それを見下ろす速瀬
話すことなんて無いと無言のまま席を立った
出ていこうとするのを止める
「待ちなさい!!」
「………。」
「確かに6年前のあの日の出来事は認めるわ!!結果的に悲惨な結末になってしまった。それは忠告程度に現実を見て欲しかったから…貴方の頭の中を占めてやまない彼女に。だけれど悪かったとは思ってはいない。貴方やあの子のためにやった事なのだから」
怒りのあまり乱暴に振り返る
「俺のためって…何言ってんだよ!!?何が俺のためなんだよ!!知ってるよな…俺はただのらりくらりとレールを走ってきてた訳じゃない!!俺が才能あるなんて言うのは上っ面しか見てない奴だけ…どれだけ必死で頑張って誰のために努力してきたか…長年連れ添って分かってるんじゃなかったのかよ!!」
「えぇ、知っているわ」
「じゃぁ、なんで!!」
問いかけようとした矢先
速瀬の鋭い目が彼方の言葉を詰まらせる
「分かってない。分かってなさすぎるわ。この仕事がどんなものなのかをっ…そこらの一般の仕事とかと違うの!!成功しなければすぐお払い箱…実力なければ即アウト…去った人に目を向けてたらすぐ蹴落とされてしまう…。惚れられて、愛されて、育てられてがこの世界なのよ…私事なんてあっては足を引っ張るだけだわ」
いつか言っていた言葉
速瀬の冷静な声で再現される
「その世界に貴方は飛び込んだの。…それに恨むところが間違っているわ。恨まなきゃいけないのは私じゃない、再会の過程にこの世界を選んでしまった幼い頃の貴方自身を恨みなさい…ここは遊び場じゃないの。」
「………」
「今後一切、桐谷満春と会わないで…。」
速瀬は一直線に彼方の瞳を見た
だが、その瞳を彼方はいとも簡単にかわした
「会わないでって…何かにつけてはそれだな。」
そんな彼方に深いため息をもらす
これは速瀬も彼方も引く気はないという証拠
「貴方は確かに努力して勝ち取ったものどれも申し分ないわ…。だけど理解力はかなり欠けているみたいね」
呆れた口調で言葉を返す
言葉はどこにも通過せず空しく宙へと舞う
お互いの感情が行き違えている事を意味していた
「じゃぁ、その何だっけ?才能やら何やら見込まれてるようだけど…それは幼い頃からの成果が物を言わせてるだけだよ…言わば努力の賜物ってやつ。さっきも言ったとおり。あるとすれば約束を守りたかった…。全てあの子がいなきゃ速瀬さんが見込んでいる今の『彼方』はなかったも当然なんだぜ」
「でも今は必要ないでしょう…?」
戸惑いもせずサラリと言ってみせる
彼方は一瞬めまいがした気がした
予想さえしていなかった答えに言葉を失う
躊躇いもない割り切った発言に怒りが湧き起こる
「確かに今の貴方をつくったのは紛れもないあの子かもしれない…。でもそれは昔の話…今の貴方にとってあの子は何の価値もないわ!…十分一人でやっていける力を持っている。そうね、今は足枷、邪魔の何者でもないわ…。道を塞ぐ石ころでしかないわ」
トゲのある言葉が彼方の耳を貫く
速瀬の言葉は衝撃の何者でもなかった
「…黙ってないで。まだ言いたいことあるんじゃないかしら」
一気につもった怒りのはけ口を必死に拳で黙らせる
「何も言わないと言うことは認めるって事かしら?」
息が吐き出せない程の興奮
呼吸が出来なくて倒れこんでしまいそうだ
全身は意志とは関係なく震えおさまりが利かなくなる
言い方を改めない速瀬に怒りは頂点へと達する
思わず腕を大きく振り上げる彼方
「……っく」
だが腕は空中で止まったまま静止した
殴れるものなら殴ってやろうかと思った
とんでもなく理不尽で勝手な言い分に暴力的なことでしか表現できない
今にも振りかざさんとする腕を理性で止めていた
たった数センチの理性で…
震えの止まらない腕を身体を深呼吸で持ち直す
「はぁ……やめた」
「………。」
「あんたごときにこのマイクを持つ手を使うのはもったいないっ!」
そう言い終わると速瀬に背を向ける
立ち去ろうとする彼方の後ろから話しかける
「これだけは覚えておいて…これはあの子にも言いたいことなの。これ以上会ってはいけないのよ…危険すぎる!会うならそれなりの代償が必要になるわ」
一瞬見えた彼女の心配に気付かない彼方
その問いかけを無視し控え室を後にする
速瀬に声が段々と遠のいていく
果たして声は届いていたのか、いないのか
どちらにしろ
歩いている足取り、そして前を見据える瞳が強く物語る
なんて言おうが…結論は決まっていた