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僕の嫌いな先輩

作者: 青空

今日も良い天気!掃除日和だ!

さあさあ小鳥さん、歌を歌いましょう!

掃除が終われば、今度は風とともに奏でましょう♪

可愛い後輩と頼りになる仲間とともに

By ハル先輩

僕には、心底嫌いな先輩がいる。

それは、僕が所属しているオーケストラ部で、ヒエラルキーでいえば最下層に位置するハル先輩だ。

ハル先輩は、掃除を押し付けられても、無視されても、後輩に負けてバカにされても、何事もなかったかのようににこにこと笑っているのだ。

その惚けた笑顔がまた腹が立つ。

なんで嫌だと言わないのか、怒らないのか、勝つための努力をしないのか。

彼女はいつも、空を見上げては下手くそな歌を歌っている。


僕らの部活は割と忙しく、朝練昼練はもちろんのこと、土日祝日もほとんど毎日活動している。

もっとうまくなりたい、という気合のある奴は、この土日祝日でさえ1時間前には部室に来て練習していた。

僕もその一人で、入部したその週から1時間前には部室に来ていた。

さすがにまだ誰も来ていないだろう。

そう予測して職員室に部室の鍵を取りに行くと、既に鍵は貸し出されていた。

もしかしてもう誰か来ているのか。

驚きと同時に、対抗心がむくむくと起き上がってくる。

一体どんな人が練習しているのだろう?

誰よりもうまい、シキ先輩だろうか?

それとも、真面目そうなアキ先輩だろうか?

はたまた同じ学年の、僕と同じく早くうまくなりたい奴だろうか?

誰だとしても楽しみだった。

足取り軽く部室に向かうと、調子外れの歌が聞こえてきた。

「ともーだちがっ、いなーくなっちゃった!」

音程が不安定で聞いていて胸が悪くなる、そんな歌だった。

近くで活動している部活のだれかが歌っているのだろうか?

そう思ったが、部室に近づくごとに聞くにも耐えない歌声は大きくなっていく。

まさか、うちの部活の誰かが歌っているのか?

冗談だろう。音楽に携わる部活にこんな音痴がいるはずがない。

半ば自分に言い聞かせるように心の中でつぶやき、部室の扉を開けた。

はたして、歌とは言えない何かをそらんじているそいつは部室にいた。

ほうきとちりとりを持って、軽快に譜面台をどかしては埃をはいている。

窓から入ってきた柔らかい風が、その人の長い髪を巻き上げた。

「うわっ!埃が飛ぶ!」

その人は残念な叫び声をあげて、ちりとりをほうきで押さえていた。

「…あの、おはようございます?」

一応礼儀としてそう挨拶すると、その人はクルリとこちらを向いた。その人が僕を見て、ふわりと笑う。

「おはよう!早いね!」

空気中を舞う埃が光を受けてキラキラと煌めく。

その人は、演奏後にシキ先輩に怒られていた、ヘッタクソなヴィオラパートのハル先輩だった。

また風が吹いた。

これが、ハル先輩と僕が初めて言葉を交わした瞬間だった。

「何やってるんですか?」

見てわかるけれど聞いてみると、案の定返ってきたのは、

「掃除」

の一言だった。

「こんなに早くから?」

そう尋ねると、ハル先輩はにっこりと頷いた。

「だって、掃除しないとこの部屋、すぐに埃だらけになっちゃうんだもん」

小さな子どものような口調でそう言って、またマイペースに掃除を始める。今度はせっせとほうきを動かして埃をはいていく。

…小さくさっきの歌らしきものを口ずさみながら。

この人は僕には理解できない人種だ。

僕はハル先輩とはなるべく関わらないようにしようと心に決めた。

この日の次の日、僕は早めに家を出た。しかし、部室には既にハル先輩がいた。

今日は掃除ではなく、楽器を演奏している。

ロングトーンのつもりなのか、メトロノームに合わせて音を伸ばしているけれど、やはり聞くに堪えない。

弦をしっかり指で押さえていないせいで音程がぶれているし、弓を大きく動かしていないせいで音が貧相だ。

「…おはようございます」

そう挨拶した声は、自分でも驚くほど低かった。

しかしハル先輩は気にした様子もなく、飴を貰った子どものように笑って、

「おはようっ!今日も早いね」

と返してきた。

僕は顔を顰めて頷き、さっさと自分の楽器を取り出して練習を始めた。

ハル先輩も、まるで僕のことを気にせず練習に戻る。

結局その日の朝は、部活が始まる30分前になるまで先輩とふたりきりだった。

僕はなんとなく、ハル先輩より早く部室に来たくて、行く時間を早くしていった。

それでもハル先輩より早く来ることはできなかった。

「…なんで、ハル先輩はこんなに早く来てるんですか?」

ただ掃除をするくらいなら、もう少し遅くても構わないじゃないか。

そう思って聞くとハル先輩は、

「そんなの、みんなが来る前に済ませたいじゃん」

と答えた。

「みんながいる時に掃除をすると邪魔になるし、楽器にも悪いでしょ?」

なんの屈託もなくそう言って、ダンスを踊っているかのように軽やかにステップを踏みながら掃除をするハル先輩を見て、やっぱり理解できないと感じた。

こんな変わっているハル先輩だからか、部活でも浮いていて、だれかと仲良く話しているところはあまり見かけなかった。

話していても、事務連絡。それでさえ5、6回くらい名前を呼ばないと気づいてもらえない。

どれだけ寂びしい人間なんだと、少しだけ同情した。

そのハル先輩はいつも一人、外で楽しそうに楽器を弾いている。外で聞くと、貧弱な音はよりいっそう貧弱に聞こえて、まるで死にかけの老婆が最後の力を振り絞って歌っているかのように聞こえた。

その消え入りそうな音は、まだ楽器を始めて1ヶ月の後輩にでさえ、

「俺の方があの先輩よりも上手く弾ける」

と言われる始末だった。

実際その後輩の方が上手いのだから何も言えない。

ハル先輩も、

「そうだね」

とにこにこ笑っている。

この人は耳が悪いのだろうか。それとも頭が悪いのだろうか。

僕はどちらにしろ病院に行った方が良いのではないかと思った。

その、ひとつも良い所のないハル先輩が、ある日部活を休んだ。

その日は初めて部室が開いてなくて、ついに僕も勝ったのかと喜んでいたのだが。朝のミーティングで、ハル先輩が休みだと聞いた時言い表す事のできない何かが心に引っかかった。

どうやらハル先輩は風邪を引いたらしい。

そういえば昨日からふらふらとしていたか。

いつもふらふらしているからわらかなかった。

そんなことをつらつらと考えていると、

「なんだよ、あいつ休みかよ」

という声が聞こえた。

この声はシキ先輩だ。

シキ先輩はバイオリンパートで、小さい頃から習っていたらしく僕たちとは桁違いにうまい先輩だ。

その音は例えるならば百合の花のように上品で、力強い。曲を弾けば、目を閉じるだけでその曲のイメージが頭の中に流れ込んでくるような、そんな音を奏でる先輩だ。

「ハルのこと?最近寒くなってきたしね」

そう答えるのは、アキ先輩だ。

アキ先輩もまた、部活の中では上手い方で、絵を描くように繊細な音を響かせるチェロ奏者だ。シキ先輩の音を百合だとするならば、アキ先輩の音は薔薇のように気品がある。

ふたりとも僕の憧れの先輩だ。

その先輩方の会話は、例えどうでも良い話でもつい聞き耳を立ててしまう。

「あいつ寒くなるとすぐ休むよな」

「まあ、自分でも爬虫類だからって言うほどだしね」

先輩方はクスクス笑いながら話を続ける。

「でも、あいつがいなかったらだれがここ掃除すんだよって話だよな」

「そうそう。それしか存在意義ないんだしさぁ、掃除する日に休まないでほしいよね。だれかやってくれないかな?」

「お前がしたら?」

「は?やだよ。ここ虫が出るらしいし」

先輩方の話に途中までは、本当にあの先輩って迷惑だな、と思っていたはずなのに、いつの間にかだんだんイライラしていた。

シキ先輩とアキ先輩が高い声で笑う。その笑い声が部室に響く。

いつものことなのに、僕はなぜか物足りなさを感じた。

いつもなら、その高笑いに交じって蚊の鳴くような音が聞こえてくるのに、今日は雑多な話し声しか聞こえてこない。

なんとなく練習する気になれなくて、その日は珍しくほとんど練習しなかった。

その次の日、朝木枯らしの吹く中マフラーに顔を埋めて校門付近を歩いていると、歩道を歩いているハル先輩を見つけた。

ハル先輩はあっちにふらふら、こっちによろよろと明らかに不穏な足取りで歩いている。

あの人は何やってるんだ?

気にはなったけれど、わざわざ聞くほどでもないと思い僕はハル先輩を無視した。そのまま職員室で鍵を貰い、部室で楽器の手入れをしていると、約20分ほど後にハル先輩は部室にやって来た。

「あれ?ナツくん、今日は一段と早いねぇ」

いつもよりのんびりとした口調のハル先輩の手には、既にほうきとちりとりがあった。

「今日は先輩が遅かったんですよ」

そう言うと、先輩は、

「本当だ、気づかなかった」

と目を丸くした。

この人はこれで大丈夫なのだろうか?

僕には関係のないことだけれど、思わず心配してしまった。

ハル先輩は酔っ払いも驚くほどの千鳥足で歩き回り、のそのそと掃除を始めた。そこにいつもの軽快さも、聞くに堪えない歌もなかった。

「…先輩、大丈夫なんですか?」

あまりにもらしくない様子に心配になり声をかけると、

「大丈夫だもん」

といつぞやの子どものような口調で返された。

イラっとしたけれど、口には出さなかった。

ハル先輩は、亀のような早さで掃除を進めていった。

その間僕は楽器の手入れを終え、既に今度演奏会で弾く曲の練習に移っていた。

ハル先輩が楽器を弾き始めたのは、もう部活も始まるという時だった。

その日、ハル先輩は部活が始まってすぐに倒れて保健室の先生に保護されていった。

まったく、何しに来たのだがわからない。

その後もハル先輩は掃除して、練習して、時には倒れてを繰り返したけれど、いつまで経っても音が良くなることも、技術が上達することも、音程感覚がつかめることもなかった。

ただ一度だけ、ほんのまぐれで、耳を疑うほどの音を出していたのは今でも忘れない。

それはハル先輩の最後の演奏会でのことだった。

シキ先輩やアキ先輩のメロディーを引き立たせるかのような柔らかく、繊細なのにどこか強かなあの音は、間違いなくハル先輩のベストだった。

そのことを伝えると、ハル先輩はいつもの3割り増しで嬉しそうに笑っていた。

その演奏会の後、ハル先輩は笑顔で引退していった。

それからも、ハル先輩は時々部室に忍び込んでは差し入れのお菓子を置いていった。しかも、その差し入れは僕たちの好きな味やお菓子ばかりで、僕は心が温かくなった。

そして卒業式の日。

最後に一緒に演奏してほしいという僕たちのお願いに、シキ先輩もアキ先輩も、他の先輩方も快く引き受けてくれた。

ただその日、密かに待っていたハル先輩だけは、ついに姿を現さなかった。


それから10年間、ハル先輩は消えてしまったかのように姿を表すことはなかった。

僕は音楽の教師となり、小学校で勤めていた。

桜咲く、入学式の日。

僕は新一年生のクラスを担任することになり、玄関に立ち親御さんと子どもたちに挨拶をしていた。

柔らかい風が吹く。

「しょうがくせーになったらー!しょうがくせーになったらー!とーもだーちひゃーくにーんでっきるっかなぁ!」

どこからか調子外れな歌が聞こえてくる。

柔らかい風が吹いた。

一組の家族がこちらに歩いてくる。

お父さんとお母さんに挟まれ調子外れな歌を歌っていた女の子が、僕に気づき、

「おかあさん!せんせい、いたっ!」

と手を繋いでいる女性の方を向いた。

お母さん、と呼ばれたその人が僕の方を向く。

僕は目を見開いた。

彼女はふわりと微笑む。

「あら、ナツくん」

その笑顔は、あの時の何倍も幸せそうで…。


僕はやっぱり、ハル先輩が心底嫌いだ。


ナツ

主人公。私の中ではツンデレ男子ですが…いかがでしたでしょうか?


ハル先輩

ヒロイン。この世にはこびる変人のひとりですね。生態も生息地も、未だにわかっていません(^_^;)


シキ先輩

ぶちょー。めんどくさがりで可愛いものが好きな男子です。実はアキ先輩が好きという裏話があったりなかったり


アキ先輩

幹部。虫が嫌いな真面目系美少女です。もてます。…爆発してしまえ!


最後に、読んでくださってありがとうございました!

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