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LL's.  作者: YUTADOT
3/5

「A児」



 子供の頃から、空気が読めなかった。

 その場で色々やってしまって後から気付く。

 それはもう仕方が無いのだと、A児は何処か諦めていた。

 例えば、小学生の時。体育の授業でサッカーがあり、特にスポーツが出来る訳でも無いA児

のポジションはディフェンダーだった。キーパーはクラスでもエラそうにしているヤツで後ろ

からやたらと命令してくるのにA児は苛ついていた。とは言え、いちいち言い返すのも面倒だ。

「来たぞ!お前等ちゃんと守れよ!」

 キーパーがまた後ろから怒鳴った。

 顔を上げると相手チームが押し寄せて来ていた。小学生特有の、ボールにほぼ全員が集まっ

てしまうグチャグチャの状態の中キーパーは怒鳴り続け、テンパったA児は目の前に来たボー

ルを何の迷いも無く蹴った。ボールは味方のゴールへと吸い込まれていった。それは綺麗なオ

ウンゴールだったのだが、A児はそのことにしばらく気がつかなかった。

「おい、何だよ」

 と相手チームが喜びながらポジションに戻る中、文句を言って来る味方にA児は言った。

「うるせえよ」

 それは興奮してただ返しただけだったのだが、実際何が起きていたのかは次の日になって気

がついた。周りはキーパーの怒声に逆ギレしてわざと蹴り込んだのだと思っただろう。事実、

そのキーパーはその後A児には寄り付かなくなった。何を考えているのかよく分からないヤツ、

切れるポイントが分からないヤツ。A児の印象はそうなっていった。A児もそのことをわざわ

ざ弁解しようとは思わなかった。皆好きに思えばいいのだ。

 そんな風だったので、A児には親友がいなかった。クラスメイトと普通に会話をすることも

あるが、その場だけだった。学校帰りには一人でゲーセンなどを流した。その場でつるむヤツ

も時にはいたが、結局深い付き合いにはならなかった。

 突っかかってくるヤツには割とすぐ反撃した。ケンカは勝つ時もあれば負ける時もある。負

けたところで何とも思わなかった。原因はA児が空気が読めない点であることが多かったのだ

が、それはもはや仕方が無いと思っていた。なのでA児はクラスでは苛めっこでも苛められっ

こでもない、浮いている様で総スカンでもない微妙なポジションにいた。

 元来一人が苦になる訳ではない。父親は早くに死に、母親は働き通しで家でも一人が多かっ

た。

 高校の時、初めて彼女が出来た。こんな自分でいいのか、と思ったが同じ様に片親のその子

とは意外と気が合った。A児はその子と二人であちこちに出かけた。

 童貞も彼女と捨てた。多くの若者がそうなる様に、A児はしばらく彼女の身体に溺れた。

 その内、彼女が妊娠した。何の迷いも無く「結婚しよう」とA児は言ったが彼女は拒絶した。

今思えば恋愛で舞い上がって言っただけで将来や生活費のことなど全く考えていなかったのを

彼女は鋭敏に察知していただけだったのだが、その頃のA児にはそれが理解出来なかった。

 彼女は堕胎し、家族共々姿を消した。A児はしばし荒れた。

 そんな高校生活を終え、A児は電子系の専門学校でLL(計量プログラミング言語)などを勉強

する様になった。別に将来プログラマーやSEになろうとした訳では無い。自分の学力と家の

金を計算して行ける場所を定めただけだった。

 相変わらず空気が読めない、大して上手くいっていない人生だということは分かっていた。

だがそれが何だというのだ?ならばそれなりに生きていくしか無い。A児はそう思っていた。

 最初の彼女とのことは既に昔の記憶の中だった。A児は街で普通にナンパしては軽い付き合

いを繰り返した。一応その時ごとに真剣ではあるつもりだが、いずれA児の空気の読めなさで

向こうから別れを切り出されるか先にこちらが飽きるか、だ。その覚悟は最初から出来ている。

 その頃には母親も病気がちだったのでA児はバイトもせざるを得なかった。働き始めて分か

ったのは、自分は人を、特に大人をよく怒らせてしまう、という今までと大して違わない現実

だった。A児はトラブルを起こしてはバイトをクビになるか自分から辞めるかしてまた次のバ

イトを探すということを繰り返していた。

 そんな中で、A児はとある場末の映画館の土曜夜のオールナイトのバイトを見つけた。特に

映画自体に興味は無かったが、一晩働けば一万円位にはなる。忙しいのは上映と上映の間の客

の出入りだけで、上映中は暇だ。時には女を連れ込んで映画もそこそこにイチャつくことも出

来る。土曜の晩にわざわざ金を使わずに済むところも気に入っていた。

 ある時、付き合っている女がまたオールナイトの上映にやって来た。

 バイトが一人の時なら黙って入れてやるのだが、その時はK一と一緒だったので彼女は一応

深夜料金を払って来た。普通にチケットを半分に切ろうとすると、彼女はするりと逃げた。

「ふふ」

「おい」

「次の上映、一緒に観る?」

「そうだな……」

 A児はバイト仲間のK一の方を振り返った。

「いいよ」

 聞いていたK一は他の客の応対をしながらサラリと答えた。

 K一は近場の四年制大学の一つ歳上だ。爽やか系のイケメンだが何処か影がある。多分俺の

ことはバカにしているのかも、とA児は勝手に思っていた。それでも上の階で辛気くさい顔を

していつもタブレットをいじっているU太よりはまだ話せる方だった。

「サンキュでーす」

 A児は彼女を先に行かせ、しばらく客の応対をしてから開演直前に場内へと潜り込んだ。

「これさ」

 彼女はA児が座るなり言った。

「もっかい売ったら、その分はパチっていいよね」

 彼女は千切っていないチケットを見せた。

「まぁ……ね」

 A児は少し考えた。

 入れ替え制でシステマティックなシネコンならムリだが、こんな場末の映画館ならそれは可

能だ。

 歓楽街で引っ掛けただけあって結構悪いことを知っている女だった。

「やってみるか」

 A児はすんなりとそれを受け入れた。

 意外とそれはうまく行った。

 A児も時々は一階のチケットブースに入る。監視カメラに写らない様にして持って来たチケ

ットを出して売れば、その分はこっそりと懐に入れても問題無い。

 本当はK一やU太などと結託してチケットを切らずに手に入れる役とブースで売る役を分担

した方が効率は良いのだが、見たところ二人ともそういうタイプではなさそうだ。他のバイト

とはそこまで仲良くはないし、というか悪い方だし……なので、結局A児は一人でそれをこな

していた。

 その女とは少しして些細なことで別れた。いつものことだ。

 それでもA児は細々とオールナイトのバイトを続け、バイト料以外にチマチマと小金を稼い

でいた。犯罪なのは分かっていたがそれが何だと言うのだ。バレたらその時はその時だ。学食

でパンを万引きする感じで、A児はそれを続けていた。

 時々は支配人のE田が「来ている人数とチケット数が合わないな」と言って来ることもあっ

たが、大抵K一たちが「今日は優待券が多かったんじゃないですか」などと知らずに誤魔化し

てくれた。全くご苦労なことだ。

 やがて時は過ぎ、結局A児は専門学校を留年していた。一応就職活動もしているが、専門で

しかも留年までしている身ではそううまくはいかない。K一やU太は一つ年上で4年制大学な

のでほぼ同時に就職活動をすることになる。だがその違いは歴然としていた。本当に人生とは

不公平に出来ている、とA児は思った。

 だがーーーもし自分も普通の大学だったとしても、結果は同じだったろう。所詮大人を怒ら

せてしまう自分はその大人たちに品定めされても、うまく行く訳が無い。

「だめだよ、そんなこと言っちゃ」

 そう言ったのは、最近付き合う様になった子だった。

 A児には珍しく遊んでいないタイプの優しい子で、A児のことを親身になって考えてくれて

いるのは今のところ彼女だけだった。

「ちょっと言葉遣い気をつけるだけで、変わるんだから」

 保母をしているその子はA児の頭をよしよしとやりながら言った。

 そんなことを言われても所詮自分は、とA児は思ったが撫でられている感触が気持ち良くて

黙っておいた。

 彼女はA児と違って映画が好きだった。バイトしている映画館でヒッチコック特集をやる、

と言うと喜んで行くと言った。

「あ、『知りすぎた男』も演るんだ」

 チラシを見ながら彼女は微笑んだ。

 A児はヒッチコックなど何となく名前を聞いた覚えしかなかったし自分の生まれる前の映画

などに興味は無かったのだが、側で彼女が喜ぶ顔を見ているのは楽しかった。

 その週末の夜、バイト中に彼女はやってきた。来るなら言えばタダで入れるよとA児は言っ

ていたがやはり律儀にチケットを買ってきていた。

 その日に来るとは知らなかったA児はいつもの様にチケットを時々切らずに回収して握り込

んでは客を通していた。

「A君」

「おぉ、来たんだ」

 話しながら無意識のうちにA児は彼女のチケットを切らずに自分の手に握り込んだ。

「あ…半券」

「いいのいいの」

「…良く無いよ、あたし集めてるもん」

「いいんだって」

「でも……」

「いいって!」

 思わず手を振り払った時に握り込んでいたチケットが十数枚、A児の手から溢れ落ちた。

「あぁ」

 A児は舌打ちをして拾おうとしゃがみ込んだ。

「A君……?」

 彼女はよく分からず不安そうな顔をしている。ちっ、さてどう説明しようか。

「………そういうことか」

 上から声がした。

「!!」

 見上げると、冷たい目をしたE田が腕組みをして立っていた。

「あ………」

「A君……何……?」

 側で彼女は不安で泣き出しそうな顔をしていた。

「お前、事務所来い」

 E田は静かに言ったが、その秘めた怒りは相当なものだということはA児にも理解出来た。

 すでに確信があるのだろう。チマチマと言い訳をしたところで、今度こそ誤魔化しは効かな

そうだった。

 A児は思った。あぁ、また俺は繰り返したのだ。このバイトも、彼女も、結局失うことにな

るのだろう。

 その時、ヒッチコックの「知り過ぎた男」の劇中曲、「ケ・セラ・セラ」が流れ出して「上

映5分前です」のアナウンスがロビーに響いた。

「……………」

 A児は思い出した。あの時彼女が言っていた。「ケ・セラ・セラ」っていうのは、「なる様

になるさ」という意味なのだと。

 A児は深く息を吸い込んだ。

 そうさーー仕方がない、また。

 空気が読めないっていうのは、そういうことなのだから。

 A児は息を吐きながらゆっくりと立ち上がった。



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