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LL's.  作者: YUTADOT
2/5

「K一」



「ずっと、側にいるよ」

 高校生の時、LL教室でI美に言われた言葉だ。

 言われたK一は「いるものか」と思ったが、口には出さず笑みを返した。

 その時から、K一は自分はいつか地獄に堕ちる、と思っていた。

 いつの頃からか、K一は何事に対しても冷めている自分に気がついていた。表面

上は皆と普通に話せるが、そこには何も真実が無い様な気がしていた。容姿もそこ

そこ良かったし運動もそこそこ出来る。なので周りには女の子が常にいた。

 中学生で初体験を済ませた。正直「こんなものか」と思った。

 母親は高校に入った時に癌で死んだ。それでも割と裕福な家庭だった為、生活に

は支障が無かった。周りは何かと心配してくれたが、K一にはその言葉も何処か響

かなかった。母親が死んだ哀しさは当然あるが、日々泣き叫んで暮らすのは違うと

思った。むしろ母親の為に、自分はちゃんと生きていくべきだ。なので普段通りK

一は生活を続けた。人はそれを「無理している」「けなげに笑顔を作っている」と

思ったらしい。作っているのは普段からだ。なのに周りは色々と気を使ってくれた。

それが少し煩わしかったが、それすらもK一は表に出すことは無かった。

 その頃付き合っていたI美もそんな理解しない周りの一人だった。昼休憩後の次

の授業でLL教室に早めに入ると、他には誰もいなかった。そこでK一はI美とキ

スを交わした。

 その後でI美が言ったのだ。

「あたしが、側にいるよ」

 K一はそれをまるで脅迫かの様に受け取った。I美では母親の代わりにはならな

い。まして一生を共に過ごすことなどその時点では考えられなかった。なのに目の

前の少女は目をキラキラとさせて自分の答えを待っている。表面上は笑みを浮かべ

ながらも、K一は言いようのない居心地悪さを感じていた。

 大学は普通の国立に進んだ。K一は成績もそこそこ良かったので受験で特に苦労

はしなかった。K一は生まれ育った街に父親を残しS市で下宿を始め、一見華やか

な大学生活が始まった。

 K一は特にサークルなど入らず、同じ様な学生仲間と遊び歩いていた。

 I美はK一と同じ大学を希望していたが受験に失敗し、S市内ではあるが少しラ

ンクの落ちる私大に入っていた。K一は大学が別れれば自然消滅するだろうと思っ

ていたがI美はことあるごとにK一の前に現れた。

 私大は勉強もキツく、親に与える経済的ダメージも大きい。I美は次第に歪んで

いった。

「ねぇ、あたしのこと、ホントに好きなの?」

 顔を歪めてそう聞かれる度に「そうでもない」とK一は心の中で思ったが表面上

は哀しそうな顔をしてI美の頭を撫でるだけだった。そういうやり方しかK一は知

らなかった。

 大学に入って二年が経とうとした頃、K一は胃の不快感に気がついた。常にモタ

れているというか、軽い吐き気がずっと続いていた。

 医者に行くとバリウム検査があり、その後精密検査をした方がいい、と言われて

また別の胃腸系の病院で受診した。最近飲み過ぎていたか、程度に考えていたK一

は次第にある種の覚悟をする様になった。胃カメラを済ませた後の医者の見解は「

食道性逆流炎、そして胃が弱っている」とのことだった。胃は既に四十代のそれに

見えるらしく、生活習慣に気をつける様にと言われた。胃ガンや胃潰瘍を覚悟して

いたK一は拍子抜けだったが、同時に奇妙な気分を自覚していた。

 K一は「あぁ、ようやくやってきたのだ」と思った。いずれこの胃で自分は死ぬ

のだと。思えば母親も胃ガンだった。これこそが俺の地獄なのだ、とK一は何故か

確信していた。

 K一はそのことを他人には話さなかった。母親が死んだ時の様に同情されるのは

嫌だった。また、胃ガンで余命何年、などの重病ならともかく生活習慣病程度のこ

とで大げさにするのも違うと思った。

 勿論I美にもそれは言わなかった。

 その頃、K一は土曜の晩に場末の映画館のオールナイトのバイトを始めていた。

金銭目的と言うよりは土曜になるとやってくるI美を躱すのに丁度良いと言った感

じだった。

 そこでK一はU太に出会った。近くの大学の同学年で、どちらかと言うと性格の

暗い方で人付き合い等はあまり上手くない、その辺りをサラリとこなすK一とはあ

まり接したことの無いタイプだった。中高時代なら同じクラスにいてもそうそう話

すことは無かっただろう。だが今のK一は何故かU太とよく話をする様になった。

 U太は映画サークルの一員でそのツテでこのバイトを始めたらしい。それでもそ

の性格故か映画を熱心に撮るグループからは少し離れて、コツコツとタブレットで

小説など書いているという。

 映画も小説もK一は齧る程度だったが、U太と会えばそういうことをよく話した。

U太はK一の物の見方を「そっか、そういうのもあるね」とよく言った。K一はそ

れを何処か心地良く感じていた。中高時代のK一は映画や小説などファッションや

話題としてしか見たことがなく、突っ込んだ話をするのはほぼ初めてだったのだ。

なのに今自分はこうしている。人の変化というものをK一は驚きを持って見ていた。

 そして一見全てをソツなくこなすK一ではあるが、結局何か一つのことに打ち込

んだことはない。それが普通に出来ているU太を、何処かで羨ましくも思っていた。

 ただやはり、流石に自分の全てをさらけ出すことまでは出来なかった。

 一度バイト中に気分が悪くなってトイレに駆け込んだことがあった。U太は心配

していたがK一は大丈夫、と言った。病状や心情をいちいち話すのが面倒だったの

で、「ちょっと心臓が悪いんだ」とだけ言った。U太はそれを聞いて驚いた顔をし

ていた。言いふらすタイプではないのでそれは良かったが、そのU太にまで嘘をつ

いた、という事実は一応心の奥底に引っかかってはいた。また自分の地獄がまた一

つ増えた、と思った。

 それでもK一は、何となくそのまま覚悟の日々を過ごしていた。

「Kクン」

 バイト中に、またI美がやってきた。K一は売店のカウンターの中からそっけな

く答えた。

「あぁ」

 そこは上映中で静かなロビーだった。もう一人のバイトのA児はまた女を連れて

場内に入っていて売店は一人だったので、何となく相手をせざるを得ない感じだっ

た。K一は少し苦痛だったが、それでもいつもの様に曖昧な笑顔を見せた。

「途中からだけど、観てきていいよ」

「ううん、これ多分見たことある」

 上映中の映画は「マシニスト」だった。クリスチャン・ベールが驚異的な痩せ方

をする映画だ。K一も観たことはある。胃を壊しつつある今観ると恐らく気分が滅

入りそうな作品だ。

「……久しぶりだね」

「お互い忙しいしね」

「そうだね……」

 I美はアンニュイな感じで売店のガラスケースを眺めていた。

 ここ最近は一緒にいても会話が続かないことが多かった。

「…………」

 K一はそっと在庫の確認を始めた。

 時折I美がこちらに目をやるのは分かっていたが、しばらく作業に没頭すること

にした。

「来月の同窓会、どうする?」

 とI美が言ったのは、高校の同窓会のことだった。K一は卒業以降はあまり顔を

出していない。クラスの皆はまだ自分がI美と付き合っていると思っているだろう。

I美もそういう場で何らかの確認をしたいのではないだろうか。だがK一は億劫だ

った。なのでいつもの様に曖昧に答えた。

「行けないかな…多分」

「行かない、じゃなくて?」

 珍しく真剣な声だったのでK一は顔を上げた。

 I美はまっすぐにK一を見つめていた。

「…………?」

 ここ最近の少しヒステリックになるそれではない。静かに深い哀しみを宿した、

それでいて非難めいていないフラットな表情だった。

 この子も、こんな表情をするのか。

 今まで全く知らない顔だった。

 K一は一瞬虚を突かれた。

「あ……あぁ……」

 I美は目をそらさずに静かに言った。

「あたし、学校辞めて帰るんだ」

「………そうか」

 K一はやっとそれだけは口にした。

「K一は、頑張ってね」

「……あ………うん……」

 それきりI美は黙って俯いた。

 K一は何か言うべきだ、と思った。だが喉がカラカラで何も出てこなかった。

 彼女はいつから、そう考えていたのだろうか。全く気付かなかった。なのに自分

は今まで、どれほど冷たい仕打ちをしてきたことだろう。どれだけ傷ついていただ

ろう。

「………」

 K一は声が出なかった。

 あれだけ今まで表面を取り繕って生きてきたのに。ソツなくこなしてきた筈だっ

たのに。こういう時こそ、上手くやるべきなのに。肝心の時に自分はーーーー。

「………じゃね」

 やがてI美は顔を上げ、哀しそうに微笑んで去って行った。

「………」

 K一は静かなロビーで立ち尽くしていた。

 終わった。

 ーーー振られた、んだよな。

 それは恐らく初めてのことだった。

 酷いことをしたのは分かっている。だが追いかけてその愛に応えることはやはり

出来そうになかった。そこでまた曖昧な演技をしても余計に傷つけてしまう。それ

はやってはいけないことだ。

「………」

 K一は動けなかった。

 静かなロビーに、深く沈んでいく様だった。

「ふいー」

 劇場の扉が開いてA児が出てきた。上映が終わったのだ。特に映画に興味の無い

A児はクレジットが始まった途端席を立つ。お陰でたまにクレジット後にワンシー

ンある映画はラストを見逃すのだ。

 ……真面目なのか真面目じゃないのか分からないが、それでもそれなりに仕事は

している。一見雑でひねくれている様だが、その点はK一は少し気に入っていた。

「と……」

 K一は取り繕う様に姿勢を正した。

「話はよく分かんなかったけど、あの痩せ方はヤバイっすね」

 などと言いながら隣に来たA児はまばらに出てくる客に時折頭を下げていた。

「まぁね…あれCGじゃなくて絶食して痩せたらしいよ」

 珍しく寝なかったんだな、と思いながらK一がそう告げるとA児は大袈裟に驚い

ていた。

「マジっすか。俺だったら無理だなあ」

「そりゃあ俺も」

 そんな会話をしながらも、K一はいつか自分もああなるのではないかと思った。

 それが、自分の地獄なのだから。

「あー寝ちゃってたー」

 A児が連れていたギャル風の女の子が眠そうに目を擦りながら出てきた。A児は

笑いながら言った。

「次も寝てれば」

 気がつけば次が最終上映だった。

「えー、A君も来る?」

「そうだな…」

 A児はK一の方をチラリと見た。

「別にいいよ」

 K一はいつものようにサラリと頷いた。

 あんなことがあったのに、既にいつもの自分に戻っていることに少し罪悪感を感

じた。

 A児はそんなK一には気づかずパッと笑顔を浮かべた。

「マジっすか?じゃいいよ」

「良かったー」

 そんな二人の様子を見ながら、K一は思った。

 自分もああいう風に普通に女性と接することが出来れば良いのに。

 そうしたら、I美を傷つけることも無かったのになーー。

「ふぅ…」

 K一は少しタメ息を吐いた。

 でもまぁ……俺はずっとこうかな。

 K一は思った。

 もしかしたらこの先、全てを打ち明けられる人に出会うこともあるのだろうか。

 そうしたら、その時は……。

 そんなことを思いながら、K一は数人しかいない最終上映の客を捌き始めた。



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