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強い衝撃を覚悟して志織は目を閉じたが、感じた衝撃は軽いものだった。恐る恐る目を開けると、正志の背中と後頭部が目に飛び込んでくる。振り返ってみると、飛び降りた直後のはずなのに、すぐ後ろにあるはずの研究所はすでに遠くにあった。追手たちは皆、二人が飛び降りた部屋に向かったようで、すぐに追いかけてくる者はいない。正志はこれまで見たことないほどの速さで走り、山の木々たちの中に駆け込んだ。
「大丈夫? 平気?」
獣道をすさまじいスピードで駆け下りながら、正志は冷静な声で志織に問いかけた。
「うん」
彼の背中に揺られながら、志織はそう答えるのが精一杯だった。高所から飛び降り、薄暗く足場も悪い獣道を駆け下りていく正志を見て、彼女の中で何か嫌な感覚が広がっていた。飛び降りた時も志織自身には大きな衝撃は感じなかったし、今こうして走っている瞬間も、人間ではありえないそうなスピードにもかかわらず、背負われている志織がほとんど衝撃を感じないほどのスムーズな動きで駆け下りる正志は……まさに、人間離れしていた。
「不安?」
「大丈夫」
「……そう」
正志は釈然としていないようだったが、志織が「大丈夫」としか答えないであろうことを察したのか、それ以降は何も問いかけてこなかった。
胸に広がる嫌な予感を振り払おうと、志織はひたすら薄暗い道に目を凝らした。長い話の間にすっかり日は暮れて、木々の間から差し込む光は真っ赤に染まっていた。きっともうすぐ日が完全に暮れてしまうだろう。まばらに赤く染まった地面から、はっきりと障害物を見つけることは困難だった。
いつの間にか山を降りきっていて、二人は国道沿いのバス停に辿り着いた。
「よかった。間に合った」
正志が志織を地面に降ろしたちょうどその時、カーブを曲がってバスがこちらへ向かって来ていた。
「バスの時間、分かってたの?」
「乗ってきたときに時刻表を見たから、覚えてただけ。山を登ってきたときの道だと間に合わないから、ちょっと荒っぽいけど近道を使ったんだ」
停車したバスに乗り込みながら、正志は得意げにウインクをする。志織はそれにうまく答えることができず、ただ曖昧に笑って彼に続いてバスに乗り込んだ。