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どうして晴也の姉の名前に、志織たちの母と同じ漢字が使われているのか。志織は先ほど聞いた問いを繰り返した。
「偶然ですよね?」
しかし晴也は大げさに首を振り、肩をすくめた。
「偶然じゃない。父は志穂さんから一文字貰って、姉の名前をつけたんだ」
「どうして……」
実は父親が違った、というのならまだ理解ができるが、母親が違うというのはまったく意味不明だ。実は昔、志穂と晴臣との間に子供がいて、その子が穂香だとでも言うのだろうか。実は晴也と志織が、異父兄妹だとでもいうつもりなのだろうか。名前の字がたまたま同じなだけなのに、晴也がありえない妄想を繰り広げている、と考えたほうが納得がいく。
二人が混乱しているのを悟ったのか、晴也は大声を上げて笑いながら説明をしだした。
「すまない、誤解をさせたようだね。姉が実は志穂さんの娘だ、などというつもりはないよ。これは遺伝子を調べてはっきりしている」
「……じゃあ、どういうことですか?」
正志が晴也を睨みつけた。晴也は一瞬苦々しげな表情を浮かべたが、すぐにいつもの人を不愉快にさせる笑顔を浮かべた。
「私の父と正伸さんが、NELの同僚だということは知っているね?」
志織と正志は同時に頷いた。
「NELはその名の通り国立の研究所だ。研究者の募集はそう多くない。同じ年度に入所した者たちは、自然と交流が生まれやすい」
それは志織も経験があった。仲がいいとまでは言わないまでも、仕事以外の雑談をするのは同年入所ばかりだ。学校や他の職場などでもそのような傾向はあるが、NELの場合、その傾向がかなり極端である。人数が少ない分、一年で習得せねばならないことも多く、その一年の経験の差が上の者への話しかけにくさを助長してしまうのだ。
「彼らも例にもれず、そこそこの交流はあった。志穂さんが入所したのは、彼らの数年後だ。最初は彼らと志穂さんに交流はなかったが、三人が同じプロジェクトに配属され、接点が生まれた」
晴也は淡々とした口調で話し続けた。あまりに淡泊な話し方のせいで、志織は彼が自分の父親について話しているということを忘れそうになりそうになった。
「そこで君たちの両親は親しくなった。あそこで働く者たちは外部との接触が少ないから、NEL内での恋愛や結婚もよくあることで、周囲も受け入れたそうだ。ただ一人以外は」
その瞬間、晴也の表情が一瞬だけひどく歪んだ。
「その一人は、志穂さんを一目見たときから気に入ったそうだ。要するに一目惚れだな。彼は二人が付き合っている時はおろか、結婚した時も諦めきれなかった。彼は結局、見合いをした適当な女性と結婚をしたが、志穂さんのことを忘れられず……」
「娘の名前に、母さんの字を……」
正志が呆然とした口調で呟く。志織は絶句してしまい、ピクリとも動けなかった。
「ああ。その「彼」が、私の父だ」
先程まで淡々としていた晴也の声色には、今や父への軽蔑の色がありありと浮かんでいた。