5-3
「……逃げろ」
正志が低い声で小さく呟いた。この部屋の音声を録音している機器でも拾えないであろうと思われるほど小さい声だった。
「え?」
「逃げるんだよ、ここから。ここにいたら、志織の命が危ない」
正志は小声のまま告げた。思わず大声で聞きそうになるが、それをぐっとこらえて吐息のみで聞き返す。
「マサにいは?」
「俺が逃げられるはずないだろ?」
彼はわざと手錠の鎖を鳴らして見せた。
「嫌、お兄ちゃんを置いてなんて行けない」
思わず、随分昔の呼び名が口から零れる。こんな呼び方をしたのは、正志と再会した時以来だった。
「何言ってんだ」
正志は鋭い視線で志織を睨んだが、志織も折れる気はさらさらなかった。
「……お兄ちゃん、一緒に逃げよう」
正志は一瞬目を見開いたが、すぐに目を細めた。
「何言ってんだ? 本気か?」
「お兄ちゃんこそ、私と離れるなんて、本気で言ってるの? あれだけ暴れてたくせに」
その言葉を聞き、正志はばつが悪そうに視線を逸らした。
「逃げるなら、連れて行く」
吐息のみの声で、しかしはっきりとした意思を込めて告げると、正志は口元を緩めてため息を吐いた。
「志織は昔っからそうだな、こうと決めるとてこでも動かない」
普段通りの話し方でそう言うと、正志は志織の頭を撫でた。
「逃げるなら、計画を立てる。できるだけ早く逃げ出す」
正志は小声でそう告げ、志織を車椅子に座らせた。
「お迎えの時間だ」
正志が言った直後、扉が開いて雪本と松田が駆け寄ってきた。
二人に散々怒鳴られながら、志織は正志の部屋を後にした。